クモは、羽もないのに、なぜ空を飛べるの?
― 糸を引き上げているのは、風だけではなく「空の電気」かもしれません
生まれたばかりの小さなクモは、お尻から糸を出して空へ舞い上がります。海の上、100km以上沖の船に降りてきた例もあります。長いあいだ「風に乗っているだけ」と考えられてきましたが、晴れた日の空にもある弱い電気が、糸を持ち上げる力になっているらしいことが分かってきました。
秋の晴れた朝、田んぼのあぜや草原が、うっすら銀色に光っていることがあります。近づくと、細い糸が一面に張りついています。
その糸は、網ではありません。小さなクモたちが空へ飛び立った跡、あるいは空から降りてきた跡です。
羽も翼もないクモが、どうやって空を飛ぶのでしょう。しかも風がほとんど無い日にも、飛び立つ姿が見られるのです。
理由は2つあります
地面はマイナス、上空はプラスの電気を帯びています。そのため地面から1m上がるごとに、電気の高さが約100ボルトずつ上がっています。
クモの脚の細い毛は、電気の坂を感じて動きます。電気を帯びた糸は、この坂の中で上向きの力を受けます。体がごく軽いので、その力で足りるのです。
人間が同じことをしようとしても、まったく歯が立ちません。その差がどこから来るのか、順に見ていきましょう。
空には、目に見えない「電気の坂」がある
雨の降っていない穏やかな日でも、空気の中には電気の坂があります。地面はマイナスの電気を帯びています。はるか上空の電気を通しやすい層は、地面より25万ボルトほど高いとされています。
その間をならすと、地面の近くでは1mあたり100〜150ボルトほどの傾きになります。私たちの頭と足の間にも、100ボルト以上の差があることになります。それでも体が電気をよく通すので、何も感じません。
大事なのは、とがった物の先では、この坂が急になることです。図1の左のように、草の先や枝の先には電気の線が集まります。クモが飛び立つとき、わざわざ草の先や柵の上に登るのは、この場所を選んでいるのかもしれません。
クモは電気を感じて飛び立ち、軽さで勝つ
2018年、イギリスの研究者が実験をしました。風が入らない箱の中にクモを入れ、晴れた日の空と同じくらいの電気の坂を作ったのです。
電気を入れると、クモは脚をつっぱってお尻を高く上げ、糸を出しました。飛び立つ前の決まった姿勢です。そして風が無いのに、ふわりと浮き上がりました。電気を切ると、クモは下がってきました。
クモの脚には、ごく細い感覚の毛が生えています。この毛が、電気の坂の中で起き上がるように動くことも確かめられました。クモは風だけでなく、空の電気の具合も「脚で」感じ取っていると考えられています。
もう一つの決め手が、体の軽さです。飛ぶクモの多くは、体重が1ミリグラム前後の子グモです。これほど軽ければ、糸に乗ったわずかな電気でも、重さとつり合えます。体重60kgの人間なら、同じ条件で6千万倍の電気が要ります。これは現実には不可能な量です。
飛び立つクモは、1本ではなく何本もの糸を出します。その糸がからまず、扇のように開いて広がる様子が観察されています。同じ種類の電気どうしは反発し合うので、糸が電気を帯びている手がかりだと考えられています。
マルハナバチは、花のまわりの弱い電気を体の毛で感じ取り、蜜のある花を見分けることが実験で示されています。人間には何も感じられない空気中の電気を、小さな生き物たちは情報として使っているのです。
まとめ
空にはいつも、1mあたり100ボルトほどの電気の坂があります。子グモは脚の毛でそれを感じ、草の先に登って糸を出します。電気を帯びた糸は上向きの力を受け、1ミリグラムほどの体なら持ち上がります。風と電気の両方を使って、クモは何百kmもの旅をすると考えられています。
クモの飛行を支えるのは、羽ではなく軽さ。
体が小さいほど、空の弱い電気でも「翼」になります。
電気を感じるほかの生き物として、砂の下の獲物を電気で見つけるサメの話もどうぞ。電気のため方については冬の静電気の記事にもまとめています。長い旅をする生き物の道案内は渡り鳥の記事で紹介しています。
- 秋の晴れた風の弱い朝、日の出の少し後に、草原や田んぼのあぜを斜めから眺めます。日の光に糸がきらきら光って見えることがあります。
- 草の先や柵の杭のてっぺんを、よく見てみます。お尻を上に向けた小さなクモがいたら、飛び立つ直前の姿勢です。
- 下じきをティッシュでこすって電気をため、細くさいたティッシュの束に近づけます。細い紙が扇のように開いたり、引き寄せられたりする様子から、軽いものほど電気の力で動きやすいことを確かめられます。
クモはつかまえずに、見るだけにしましょう。飛び立つ瞬間は数秒で終わることが多いので、根気よく待つのがコツです。
もっと知りたい人へ ― 用語・数式・教科書とのつながり中学理科から大学の専門科目まで、どのレベルの話かを明示しています
- 中学中学校の理科で習う範囲
- 高校高校の「物理基礎」「物理」で習う範囲
- 高校+高校の発展、または教科書のコラム扱いの内容
- 大学高校では習わない、大学の専門科目(大気電気学・感覚生理学)の内容
- 研究大学でも「定説」として教わらない、いま研究者が調べている最中の話
中学用語:この現象には名前があります
- バルーニング(空中移動):クモが糸を出し、空中に運ばれて移動すること。子グモが生まれた場所から散らばるために行います。
- 大気電場(電位傾度):晴れた日の空気中にある電気の坂。地面の近くでは1mあたり100〜150ボルトほどとされます。
- 感覚毛(毛状感覚子):クモの脚に生えた、ごく細く軽い毛。空気の流れや電気の坂で動き、それを神経に伝えます。
中学高校式で確かめる:クモを浮かせるのに、どれだけの電気が要る?
糸に乗った電気が受ける上向きの力が、クモの重さと等しくなれば、クモは浮きます。そのとき必要な電気の量を求めます。
| 記号で書くと | q × E = m × g (だから q = m × g ÷ E) |
| 言葉で書くと | 電気の量 × 電気の坂の強さ = 質量 × 重力加速度 |
| どこから来る式か | 電場の中の電気が受ける力(高校物理の「力 = 電気量 × 電場」)と、重力のつり合い |
| q | 糸とクモが帯びる電気の量(単位はクーロン) |
| E | 電気の坂の強さ=電場(単位はボルト毎メートル) |
| m | クモの質量(単位はキログラム) |
| g | 重力加速度(約9.8、単位はメートル毎秒毎秒) |
| 飛ぶ子グモの質量の例 | 1ミリグラム = 0.000001 kg |
| 地面近くの電場(晴れた日) | 約100 ボルト毎メートル とされる |
| 草の先で強まった電場の例 | 1000 ボルト毎メートル(実験で使われた強さと同じくらい) |
| 比べる人間の体重 | 60 kg |
| クモの重さ(N) | 0.000001 × 9.8 = 0.0000098 |
| 地面近くで必要な電気(C) | 0.0000098 ÷ 100 = 0.000000098 |
| 草の先で必要な電気(C) | 0.0000098 ÷ 1000 = 0.0000000098 |
| 人間の重さ(N) | 60 × 9.8 = 588 |
| 人間が草の先で必要な電気(C) | 588 ÷ 1000 = 0.588 |
| 人間はクモの何倍の電気が要るか | 0.588 ÷ 0.0000000098 = 60000000 |
草の先のクモなら、約0.00000001クーロン(10ナノクーロン)で浮きます。冬にドアノブでパチッとくるときの人の体の電気は、これより数十倍ほど多いとされます。つまり、クモには手の届く量です。一方の人間は6千万倍が必要で、とても無理です。必要な電気は体重に比例するので、飛べるのは小さな生き物だけなのです。
高校高校+電場と、とがった先の効果
高校電場の中に置いた電気には、電気量と電場の積の大きさの力がはたらきます。これはクーロンの法則から導かれる関係です。地面がマイナス、上空がプラスなので、電場は下向きです。マイナスの電気を帯びた糸は、その逆の上向きに押されます。
高校+電気を通す物のとがった先では、電気の線が集中して電場が強まります。草や枝も地面とつながって電気を通すので、その先端では電場が何倍にも強まると考えられています。
大学大気電気学と、クモの感覚毛
晴天時の電場は晴天静電場(大気電場)と呼ばれ、大気電気学で扱われます。世界中の雷雨が電離層と地面の間に電気を送り続け、それが晴れた地域でゆっくり下向きに流れ戻る、という「全地球電気回路」の考え方で説明されます。クモの脚の毛状感覚子(トリコボスリア)は非常に軽く、空気の動きだけでなく電場でも向きを変えることが、レーザーで毛の動きを測る方法で確かめられました。
📖 式の導出や、さらに先の内容:ウィキペディア「大気電気学」 / ウィキペディア「クーロンの法則」
研究まだはっきりとはわかっていないこと
- 風と電気、どちらが主役か? 野外では風や上昇気流の効果も大きく、電気の力がどれだけの割合を担っているかは、まだ決着していません。
- 糸はどうやって電気を帯びるのか? 糸が出る瞬間のこすれで電気を帯びるという説などがありますが、実際の電気の量を野外で測った例はほとんどありません。
- どれくらい遠く・高くまで行くのか? 上空数千mで網にかかった例や、陸から遠い海の上で見つかった例は知られています。ただし、1匹が実際にどんな経路をたどったのかは追跡できていません。
つまりこの記事の内容も、「いまわかっている範囲での説明」です。電気の役割は2018年に実験で示されたばかりで、今後の野外観測で見方が変わる可能性があります。
教科書とのつながり(レベル別)
| レベル | 科目・単元 | この記事のどこ |
|---|---|---|
| 中学 | 理科2年・静電気と電流 | 同じ種類の電気は反発する、糸が扇のように開く |
| 高校 | 物理・電場と電位 | 力 = 電気量 × 電場、重さとのつり合い |
| 高校+ | 物理・導体のとがった先の電場 | 草の先で電場が強まる理由 |
| 大学 | 大気電気学・感覚生理学 | 晴天静電場、全地球電気回路、毛状感覚子 |
| 研究 | 行動生態学・生物物理学 | 風と電気の役割分担、糸が帯びる電気の量 |
| ― | 生活とのつながり | 秋の朝の草原の糸、小さな生き物の分布の広がり方 |
- Morley, E. L. & Robert, D. (2018) Electric Fields Elicit Ballooning in Spiders. Current Biology 28
- ウィキペディア「大気電気学」
- チャールズ・ダーウィン『ビーグル号航海記』(1839年。沖合の船に降りてきたクモの記録)
- Clarke, D. et al. (2013) Detection and learning of floral electric fields by bumblebees. Science 340
- Gorham, P. W. (2013) Ballooning spiders: the case for electrostatic flight.(プレプリント)
※本記事は一般向けの科学解説です。掲載した数値は、しくみを理解するための目安・概算です。クモの質量や電場の強さは、種類・場所・天気によって大きく変わります。