形を変えずにどこまでも進む波は、なぜくずれないの?
― 運河で、波を馬で追いかけた技師がいました
ふつうの波は、進むうちに平たく広がるか、前がきり立ってくずれます。ところが、ひとつだけの水の山が、形も速さも変えずに何キロも進むことがあります。1834年にそれを馬で追いかけた技師がいて、その「ありえない波」の正体が分かるまでには、130年かかりました。
1834年の8月、スコットランドのエディンバラ近くの運河です。2頭の馬が、細長い船を岸から引いていました。若い造船技師のジョン・スコット・ラッセルは、船の形と水の抵抗を調べるために、その様子を見ていました。
船が急に止まったとき、船首の前に押し出されていた水が、ひとかたまりの丸い山になって前へ飛び出しました。山は船を置き去りにし、運河をまっすぐ進んでいきます。
ラッセルは馬に飛び乗って追いかけました。山は時速13〜14kmほどで進み、1.5〜3kmほど追ったあたりで、運河の曲がり角の中に見失ったと書き残されています。そのあいだ、山の形はほとんど変わらなかったといいます。
なぜ、この波は形を保てたのか。理由は2つだけ
浅い水の波は、水が深いところほど速く進みます。山の頂上は、ふもとより水が深いのと同じです。だから頂上は前へ追いつこうとし、山の前側はだんだんきり立っていきます。放っておけば、浜の波のように前へくずれる方向です。
一方で、幅のせまい山は、ほうっておくと横に広がって低くなっていきます。細かい波ほど進む速さがばらつくためです。こちらは、山をなだらかにする方向に働きます。
「前がきり立つ」と「横に広がる」。正反対の2つの傾向が、ちょうどつり合ったとき、山はくずれも広がりもせずに進み続けます。ラッセルが見たのは、そのつり合いがたまたま成立した波でした。
高い山ほど速く、そして細い
ラッセルは見た波を忘れられず、自宅の庭に長さ9mほどの水槽を作って、この山を何度も再現したとされています。そして、山の進む速さは「水深+山の高さ」で決まることを、実験から突き止めました。山が高いほど、速く進むのです。
図1を見てください。水深を1.2mに固定して、山の高さをつまみで変えられるようにしてあります。高くすると、速さが上がると同時に、山の幅がせまくなります。高さと幅と速さは、ばらばらには決まりません。「この高さの孤立波なら、幅と速さはこれ」と、ひと組で決まっています。
130年かかった「正体」の確認
ラッセルは1844年、この波を「並進の大波」と名づけて報告しました。しかし、当時の一流の学者たちは、すぐには受け入れませんでした。波は進むうちに形を変えるもの、というのが常識だったからです。
流れが変わったのは1895年です。オランダのコルトヴェーグとド・フリースが、浅い水の波を表す方程式を作りました。その式には、形を変えずに進む山の解が、ちゃんと含まれていました。ラッセルの観察は、理論の上でも正しかったのです。ただ、ラッセルはその13年前に亡くなっていました。
さらに70年後の1965年、アメリカのザブスキーとクラスカルが、計算機でこの方程式を解きました。すると、2つの山が衝突しても、すり抜けたあとに元の形のまま進み続けることが分かりました。まるで粒のようにふるまうので、2人はこれを「ソリトン」と名づけました。
図2が、この記事の要点です。左の傾向だけなら波はくずれ、中央の傾向だけなら波は平たく消えていきます。高さと幅がちょうどよい組み合わせのときだけ、右のように両方が打ち消し合います。図1で高さを変えると幅も変わったのは、このつり合いを保つためです。
オーストラリア北部では、毎年9〜10月ごろ、長さ数百kmにもなる筒状の雲が、朝の空を一列で進んでくることがあります。「モーニング・グローリー」と呼ばれるこの雲は、空気の中を進む孤立波が雲の形で見えているものと考えられています。海の中でも、重さの違う水の層の境目を、巨大な孤立波が進むことが分かっています。宇宙から見た海面に、その筋が写ることもあります。
光の信号も、細いファイバーの中を進むうちに広がってぼやけます。1973年、日本の長谷川晃らが、光でもソリトンが作れることを理論で示しました。運河の水の山と同じく、「ぼやける傾向」と「縮まる傾向」をつり合わせる発想です。
まとめ
ふつうの波は、前がきり立ってくずれるか、横に広がって消えていきます。浅い水では、この2つの傾向が正反対に働きます。高さと幅がちょうどよく組み合わさると、両方が打ち消し合い、ひとつだけの山が形を保ったまま進み続けます。運河の波を馬で追ったラッセルの観察は、130年後に、物理学の新しい一分野の出発点になりました。
くずれない波は、強いのではない。
くずれる力と、ぼやける力が、ちょうど引き分けているだけ。
波が前へくずれる側の話は、海の波は、どこまで高くなれるの?で、水の深さで波の速さが変わる話は、海の波は、なぜいつも岸とほぼ平行に打ち寄せるの?で詳しく扱っています。
- 細長い容器(衣装ケースや、お風呂の長いほう)に、水を3〜5cmほどの浅さで張ります。
- 端に下じきか板を立て、すばやく一度だけ前へ押し出して止めます。ひとつだけの盛り上がりが、反対側へ進んでいくのが見えます。
- 次は強めに押して、高い山を作ります。反対の壁に着くまでの時間をくらべると、高い山のほうが少し早く着くはずです。
水を深く張ると、山は速くなり、差が見えにくくなります。浅いほど観察しやすくなります。床がぬれないよう、お風呂場で試すのがおすすめです。
もっと知りたい人へ ― 用語・数式・教科書とのつながり中学理科から大学の専門科目まで、どのレベルの話かを明示しています
- 中学中学校の理科で習う範囲
- 高校高校の「物理」で習う範囲
- 高校+高校の発展、または教科書のコラム扱いの内容
- 大学高校では習わない、大学の専門科目(流体力学・非線形物理学)の内容
- 研究大学でも「定説」として教わらない、いま研究者が調べている最中の話
中学用語:この現象には名前があります
- 孤立波:前後に波を伴わず、ひとつだけの山として進む波。
- ソリトン:形を保って進み、ほかのソリトンとぶつかっても形が戻る孤立波。1965年に名づけられました。
- 浅水波:波の長さにくらべて水深が浅いときの波。速さが水深だけで決まり、深いほど速く進みます。
中学高校式で確かめる:ラッセルの波は、どれくらいの速さだったのか
ラッセルが水槽の実験から見つけた、孤立波の速さの式を使います。運河の深さは正確には分からないので、ここでは水深を1.2mと仮定し、記録に残る山の高さ(約0.4m)を入れて、馬で追った速さと合うかを確かめます。
| 記号で書くと | c = √( g × ( h + a ) ) |
| 言葉で書くと | 孤立波の速さ = 重力加速度 ×(水深 + 山の高さ)の平方根 |
| どこから来る式か | ラッセルが水槽の実験で見つけた経験式です。浅い水の波の速さ √( g × h ) の「水深」を、「山の頂上までの深さ」に置きかえた形をしています。あとにKdV方程式からも、山が低いときの近似として導かれました。 |
| 記号 | 意味と単位 |
| c | 孤立波の進む速さ(m/秒) |
| g | 重力加速度(m/秒²) |
| h | 山がないときの水深(m) |
| a | もとの水面から測った山の高さ(m) |
| 重力加速度 g | 9.8 m/秒² |
| 水深 h(仮定) | 1.2 m |
| 山の高さ a | 約 0.4 m(30〜45cmと記録されています) |
| ラッセルが追った速さ | 時速 13〜14 km ほどとされています |
| 山の頂上までの深さ | 1.2 + 0.4 = 1.6 m |
| 重力加速度をかける | 9.8 × 1.6 = 15.68 |
| その平方根が孤立波の速さ | 15.68 の平方根は およそ 3.96 m/秒 です |
| 時速に直す | 3.96 × 3.6 ≒ 14.3 km |
| 比較:山がとても低い波 | 9.8 × 1.2 = 11.76 |
| その平方根 | 11.76 の平方根は およそ 3.43 m/秒 です |
| 高さによる速さの増え方 | 3.96 ÷ 3.43 ≒ 1.15 |
孤立波の速さは時速約14kmとなり、ラッセルが馬で追った時速13〜14kmとよく合います。同じ水路でも、高さ0.4mの山は、低い波より約15%速く進みます。この「高いほど速い」性質が、図2の①、つまり前がきり立つ傾向のもとになっています。
高校高校+波の速さは何で決まるのか
高校高校物理では、波の速さ = 振動数 × 波長、と習います。ふつうの波では、山の高さ(振幅)は速さに関係しないものとして扱います。孤立波は、その前提が成り立たない、少し特別な波です。
高校+速さが振幅で変わる性質を「非線形性」、波長で変わる性質を「分散」と呼びます。非線形性は山をきり立たせ、分散は山を広げます。孤立波は、この2つがつり合った波です。そのため、高さ a と幅の目安 L のあいだには、L = √( 4h³ ÷ 3a ) という関係があります。図1のつまみも、この関係で幅を描いています。
大学KdV方程式と逆散乱法
浅い水の弱い非線形波は、KdV方程式(コルトヴェーグ・ド・フリース方程式)で表されます。非線形項と分散項がひとつずつ入った偏微分方程式で、孤立波の解は双曲線関数を使った sech² 型の形をしています。1967年には、ガードナーらがこの方程式を厳密に解く逆散乱法を見つけ、可積分系と呼ばれる分野が大きく広がりました。光ファイバーの中の光のソリトンは、非線形シュレーディンガー方程式で扱われます。
📖 式の導出や、さらに先の内容:ウィキペディア「KdV方程式」 / ウィキペディア「ソリトン」
研究まだはっきりとはわかっていないこと
- 海の中の巨大な孤立波の役割。 水の層の境目を進む孤立波は、深い水と浅い水を混ぜ、栄養を運ぶと考えられています。どれだけ海全体の混ざり方に効いているかは、まだ見積もりの途中です。
- モーニング・グローリーの生まれ方。 海風どうしがぶつかってできる、という説が有力とされます。毎年同じ場所で起きるのに、出る日と出ない日を分ける条件は、まだ完全には分かっていません。
- ソリトンと突然の大波。 外洋で突然現れる異常に高い波の一部を、非線形な波の集まりで説明しようとする研究があります。どこまで実際の海に当てはまるかは、議論が続いています。
つまりこの記事の内容も、「いまわかっている範囲での説明」です。運河の一つの波から始まった問いは、いまも海や空や光の中で続いています。
教科書とのつながり(レベル別)
| レベル | 科目・単元 | この記事のどこ |
|---|---|---|
| 中学 | 理科・音や波の伝わり方 | 山が形を変えずに進む、という観察 |
| 高校 | 物理・波の性質、平方根の計算 | 「式で確かめる」の速さの計算 |
| 高校+ | 物理・波の発展(分散と非線形) | 図2の、きり立つ傾向と広がる傾向 |
| 大学 | 流体力学・非線形物理学 | KdV方程式・逆散乱法 |
| 研究 | 海洋物理学・気象学 | 海中の孤立波、モーニング・グローリー |
| ― | 生活とのつながり | 光ファイバー通信、川をさかのぼる潮の波の見物 |
- J. S. Russell, Report on Waves, Report of the 14th Meeting of the British Association for the Advancement of Science(1844)
- D. J. Korteweg & G. de Vries, On the change of form of long waves advancing in a rectangular canal, and on a new type of long stationary waves, Philosophical Magazine(1895)
- N. J. Zabusky & M. D. Kruskal, Interaction of "Solitons" in a Collisionless Plasma and the Recurrence of Initial States, Physical Review Letters(1965)
- ウィキペディア「ソリトン」
- 和達三樹『非線形波動』岩波書店
※本記事は一般向けの科学解説です。掲載した数値は、しくみを理解するための目安・概算です。ラッセルの観察の数値は本人の記録にもとづく概数で、運河の水深は仮定の値です。