ミジンコにとって、水はなぜ「はちみつ」のようにねばいの?
― 体が小さくなると、同じ水が別の液体に変わります
プールで思いきり水をかくと、手を止めたあとも体はすーっと進みます。ところが水の中の小さな生き物は、その「すーっ」を一度も味わったことがありません。同じ水なのに、体が小さくなるほど、水はねばく、まとわりつく液体に変わっていくからです。
夏のプール。息をついで、大きくひとかき。手を止めても、体はすべるように進み続けます。水は、押しのければ道をゆずってくれる、さらさらした液体に感じられます。
同じ日、教室の水槽では、体長1ミリほどのミジンコが触角をふって上下しています。よく見ると、ふるのをやめた瞬間に、ミジンコはその場でぴたりと止まります。惰性で「すーっ」とはいきません。
もっと小さな細菌になると、泳ぐのをやめてから進む距離は、原子1個の大きさにも届かないとされています。同じ水の中にいるのに、私たちと彼らとでは、水という液体の性格そのものが違って見えているのです。
理由は、2つだけ
いったん動き出した体が止まりにくいのは、体の中身が詰まっているからです。この止まりにくさは体積、つまり長さの3乗で増えます。体が大きいほど、水を押しのけて進み続ける側が有利になります。
水は体の表面をこすりながら流れていきます。このブレーキは表面積、つまり長さの2乗でしか増えません。体を小さくすると、中身の減り方のほうが表面の減り方より速いので、ブレーキばかりが残ります。
つまり、水がさらさらに感じられるか、はちみつのように感じられるかは、この2つのどちらが勝っているかで決まります。その勝ち負けを一つの数で言い表したものが、次に出てくる数です。
レイノルズ数 ― 水の「性格」を決める一つの数
体の長さと泳ぐ速さをかけ、それを水のねばりやすさで割った数をレイノルズ数といいます。単位のつかない、ただの比です。この数が大きいほど「押しのける力」が勝ち、小さいほど「まとわりつく力」が勝ちます。
図1を見てください。横軸がレイノルズ数で、右へ行くほど体の大きな生き物が並んでいます。プールを泳ぐ人はおよそ170万。ミジンコは3ほど。細菌になると1よりはるかに小さくなります。境目はおよそ1で、そこを左へ越えたあたりから、水は急にねばい液体としてふるまい始めます。
止まった瞬間に止まる世界では、泳ぎ方まで変わる
惰性がまったく使えないとなると、泳ぎ方そのものを変えなければなりません。私たちが平泳ぎで進めるのは、手足を広げるときと閉じるときで水の受け方を変え、そのあいだに得た勢いを惰性で持ち越せるからです。小さな生き物には、その持ち越しがありません。
図2の左を見てください。二枚貝のように開いて閉じるだけの動きは、行きと帰りでまったく同じ形を逆にたどります。ねばりが勝つ世界では、行きで進んだぶんを帰りでそっくり打ち消してしまい、正味の移動はゼロになります。これは帆立貝定理と呼ばれています。
そこで小さな生き物は、図2の右のように、けっして元の形に戻らない動きを選びます。細菌はらせん状の毛をモーターのように回し、精子は尾に波を次々と送ります。どちらも「開いて閉じる」ではなく、「回す」「波を流す」動きです。ねばりの強い世界で前へ進む道は、実はかなり限られているのです。
はちみつを器に入れ、スプーンでゆっくりかき混ぜてから手を止めてみてください。水なら渦がしばらく回り続けますが、はちみつはほとんど同時に止まります。あなたの手はそのとき、ミジンコが毎日感じている手ごたえをなぞっています。
マグロのような大きな魚でも、卵からかえったばかりの数ミリの時期は、この「ねばい水」の中を生きています。育つにつれて水の性格が変わっていくので、泳ぎ方も途中で作り替える必要があるとされています。
まとめ
水がさらさらしているように感じるのは、水の側の性質ではありません。私たちの体が、たまたま十分に大きいからです。体が小さくなるほど、押しのける力よりまとわりつく力が勝ち、水はねばい液体に変わっていきます。ミジンコや細菌は、その「はちみつの海」を、私たちとはまったく違う泳ぎ方で渡っているのです。
水がさらさらなのは、水のせいではありません。
あなたの体が、たまたま大きいからです。
まわりの流れを味方につける話は、渡り鳥がV字に並んで飛ぶ理由や、飛行機が飛ぶしくみにもつながります。水と体の表面の関係については、水鳥の羽がぬれない理由もどうぞ。
- 深めの器に水を張り、こしょうを少しふって浮かべます。指で同じ向きにゆっくり10回まわし、指をぱっと止めます。こしょうの模様は、しばらく回り続けます。
- 別の器にはちみつを入れ、同じようにスプーンでまわしてから止めます。模様は、ほとんど同時に止まるはずです。
- 最後に、はちみつの中でスプーンをゆっくり右へ動かし、そのまま同じ道を左へ戻します。まわりの筋がほぼ元通りになり、「往復しただけでは何も運べない」ことが見えます。
体の大きさは変えられませんが、液体のねばりを変えれば、小さな生き物が見ている世界をこちらから訪ねることができます。
もっと知りたい人へ ― 用語・数式・教科書とのつながり中学理科から大学の専門科目まで、どのレベルの話かを明示しています
- 中学中学校の理科で習う範囲
- 高校高校の「物理基礎・物理」で習う範囲
- 高校+高校の発展、または教科書のコラム扱いの内容
- 大学高校では習わない、大学の専門科目(流体力学・生物物理)の内容
- 研究大学でも「定説」として教わらない、いま研究者が調べている最中の話
中学用語:この現象には名前があります
- レイノルズ数:押しのける力の効き方と、まとわりつく力の効き方の比を表す数。単位がつきません。
- 粘性:液体の層どうしがこすれ合うときの、すべりにくさ。ふだん「ねばり」と呼んでいるものです。
- 帆立貝定理:ねばりが勝つ世界では、開いて閉じるだけの往復運動では前に進めない、という決まり。
中学高校式で確かめる:泳ぐ人とミジンコで、数はどれだけ違うか
レイノルズ数は、体の長さと速さをかけ、それを水のねばりやすさを表す数で割ると求められます。記号は使わず、単位をそろえて計算してみます。長さの単位はメートル、速さの単位は毎秒メートルです。
| 泳ぐ人の体の長さ | 1.7 メートル |
| 泳ぐ人の速さ | 毎秒 1 メートル |
| ミジンコの体の長さ | 0.001 メートル |
| ミジンコの泳ぐ速さ | 毎秒 0.003 メートル |
| 水のねばりやすさを表す数(20度の水) | 0.000001 とされる |
| 人:長さ×速さ | 1.7 × 1 = 1.7 |
| 人のレイノルズ数 | 1.7 ÷ 0.000001 = 1700000 |
| ミジンコ:長さ×速さ | 0.001 × 0.003 = 0.000003 |
| ミジンコのレイノルズ数 | 0.000003 ÷ 0.000001 = 3 |
同じ水、同じ日、同じ水槽の中でも、数にすると50万倍以上の開きがあります。この開きこそが、「さらさら」と「ねばねば」の差の正体です。
高校高校+層流と乱流 ― 流れの形も入れ替わる
高校レイノルズ数が大きいと、流れはあちこちで巻き上がり、渦だらけの乱れた流れになります。これを乱流といいます。逆に小さいと、水の層がきれいに並んだまま静かに流れます。これを層流といいます。小さな生き物のまわりは、いつでも層流です。
高校+層流のままだと、水はかき混ぜてもなかなか混ざりません。そのため小さな生き物にとっては、においや養分を「流れで運ぶ」より、分子がひとりでに広がるのを待つほうが速いことさえあるとされています。かき混ぜるという行為そのものが、その世界では割に合わなくなるのです。
大学時間の向きが消える方程式
流れを表す方程式から、押しのける力にあたる項を落とすと、時間という変数が式から消えます。これをストークス流れといいます。時間が消えるということは、「速く動かしても、ゆっくり動かしても、水の動く道すじは同じ」ということです。だから、開いて閉じるだけの往復運動は、行きで進んだぶんを帰りでそっくり戻してしまい、正味では一歩も進めません。精子や細菌の尾が、単純な往復ではなく、波やらせんを描いて動くのはこのためだと説明されています。
研究まだはっきりとはわかっていないこと
- たくさん集まったときのふるまい。 細菌が高い密度で集まると、一匹ずつの動きからは予想できない、大きな渦のような流れが現れることが観察されています。どんな条件でそれが生まれ、どこまで予測できるのかは、まだ研究の途中だとされています。
- ねばるだけでなく、弾む液体の中での泳ぎ。 体の中の粘液などは、ねばりと弾力をあわせ持ちます。そうした液体の中では単純な水の理屈がそのまま当てはまらず、泳ぐのが速くなる場合も遅くなる場合も報告されているとされています。
- 体内を泳ぐ小さな機械の設計。 薬を運ぶような微小な泳ぎ手をどう作れば効率よく進めるかは、この世界の物理に強く縛られており、いまも発展途上の課題だとされています。
つまりこの記事の内容も、「いまわかっている範囲での説明」です。小さな世界の泳ぎは、見た目の素朴さに反して、まだ多くの問いを残しています。
教科書とのつながり(レベル別)
| レベル | 科目・単元 | この記事のどこ |
|---|---|---|
| 中学 | 理科・水中の小さな生物/力と運動 | ミジンコがぴたりと止まる話 |
| 高校 | 物理基礎・慣性の法則 | 「押しのける力」のカード |
| 高校+ | 物理・粘性抵抗と流れの種類 | レイノルズ数の計算、層流と乱流 |
| 大学 | 流体力学・生物物理 | ストークス流れ、帆立貝定理 |
| 研究 | 微小な泳ぎ手の物理 | 研究の節 |
| ― | 生活とのつながり | はちみつをかき混ぜたときの手ごたえ |
- Purcell, E. M., Life at low Reynolds number, American Journal of Physics 45(1), 3–11, 1977(小さな世界の泳ぎを扱った古典的な講演録)。
- Lauga, E. & Powers, T. R., The hydrodynamics of swimming microorganisms, Reports on Progress in Physics 72, 096601, 2009(微生物の遊泳を扱った総説)。
- Vogel, S., Life in Moving Fluids, Princeton University Press, 1994(生き物と流れの関係を扱った教科書)。
- 流体力学の標準的な教科書における、レイノルズ数・層流と乱流・粘性抵抗の解説。
※本記事は一般向けの科学解説です。掲載した数値は、しくみを理解するための目安・概算です。生き物ごとの実際の大きさや泳ぐ速さには幅があります。