猫はなぜ、いつも足から着地できるの?
― 何もない空中で、体をひねる物理
仰向けの姿勢で落とされた猫が、空中で見事に体をひねり、足から着地するのを見たことがあるかもしれません。実はこの現象、物理学の基本法則からすると、一見おかしなことが起きています。何も蹴らず、何にもつかまらずに、なぜ体の向きを変えられるのでしょうか。
スロー再生の動画などで、仰向けの姿勢で落とされた猫が、地面に着くまでのあいだに、くるりと体をひねって、足から着地する様子を見たことがあるかもしれません。
フィギュアスケートの選手が空中でジャンプして回転するときは、踏み切る瞬間に、氷を蹴って回転のいきおいをつけています。ところが、落とされる猫には、蹴るための床も壁もありません。
何もない空中で、いったいどうやって体の向きを変えているのでしょうか。
空中では、外から力(トルク)が働かない限り、体全体の回転の量(角運動量)は増えたり減ったりしません。
猫の背骨は非常にしなやかで、体を前半身と後半身に分けて、別々に動かすことができます。
「回転の量は増えないのに、体の向きだけは変わる」という、この一見不思議な物理を見ていきます。
回転を「増やす」ことは、本来できません
物には、回転の量を表す角運動量という値があります。地面や壁など、外から力(トルク)が加わらない限り、この角運動量の合計は、増えることも減ることもありません。これを角運動量保存の法則と呼びます。
仰向けに落とされた瞬間の猫は、回転していません。つまり、角運動量はゼロです。何もない空中では蹴る相手がいないため、この「ゼロ」という値は、着地するまでずっと変わらないはずです。回転する量が増えないのに、体の向きだけが180度変わる――これが不思議に見える理由です。
それでも、猫は「体の柔らかさ」を利用します
ここでのポイントは、猫の体は、1本の固い棒のような「剛体」ではないということです。猫の背骨は非常にしなやかで、体を「前半身」と「後半身」に分けて、別々に動かすことができます。
猫は、まず体を「くの字」に折り曲げます。そして、前半身を小さく丸めながら大きく回転させ、同時に後半身を伸ばしたまま、逆向きにわずかだけ回転させます。丸めた部分は回転しやすく、伸ばした部分は回転しにくいという性質を利用することで、「前半身は大きく回るが、後半身はほんの少ししか逆回転しない」という、都合の良い組み合わせが実現します。
この状態から、今度は丸める部分と伸ばす部分を入れ替えて、同じ操作をもう一度行います。すると、後半身も前半身と同じ向きに回転し、結果として体全体が半回転し、足が下を向くのです。この間、体全体の角運動量の合計は、常にゼロのまま保たれています。
体の柔らかさを使って、回転の「配分」を巧みに操作しているだけです。
なぜ、この操作が可能なのか
丸めた体の部分は、「回転させにくさ」を表す値(慣性モーメント)が小さくなります。同じ量の角運動量でも、慣性モーメントが小さいほど、より速く回転します。逆に、伸ばした部分は慣性モーメントが大きいため、同じ量の角運動量でも、回転はゆっくりです。
この性質のおかげで、「丸めた前半身が大きく回る」あいだ、「伸ばした後半身はわずかしか逆回転しない」という、体全体としては都合の良い状態を作れます。実際にどれくらいの差が生まれるのか、次の折りたたみで数字を使って確かめます。
この物理は、いろいろな場面で使われています
この「体の形を変えて回転を操る」テクニックは、猫だけのものではありません。飛び込み競技やスケートの選手が、体を丸めたり伸ばしたりして回転の速さを調整するのも、まったく同じ原理です。さらに、宇宙飛行士が、何もつかまらない無重力空間で体の向きを変えるときにも、同じ考え方が応用されているとされています。
この体をひねる能力があっても、猫の高所からの落下が安全という意味ではありません。体勢を立て直すには一定の高さ・時間が必要で、高所からの落下と衝撃の関係で紹介したとおり、落下そのものは、猫にとって重大なけがや事故につながる危険です。
自分で確かめられること
- 回転いすに座り、両手両足をできるだけ体に引き寄せて(丸めて)、いすを軽く回してもらう
- 回転しているあいだに、両手両足を大きく広げてみる
- 広げた瞬間に、回転の速さがはっきり遅くなることを確かめる
- 再び手足を縮めると、回転が速くなることも確かめる
これは、猫が体を丸めたり伸ばしたりして、部分ごとの回転のしやすさを変えているのと、同じ原理です。
まとめ
猫が空中で体をひねって着地できるのは、角運動量保存の法則を破っているからではありません。むしろその法則を守ったまま、しなやかな背骨を使って体を「くの字」に折り曲げ、丸めた部分と伸ばした部分で回転のしやすさに差をつけるという、巧みな体の使い方によって実現されています。体全体の回転の合計はゼロのままなのに、部分ごとの回転の配分を操作することで、最終的に体の向きだけを変えているのです。
猫は、物理法則を出し抜いているのではありません。
物理法則の「抜け道」を、体そのもので体現しています。
もっと知りたい人へ ― 用語・数値・教科書とのつながり中学理科から研究中の話題まで、どのレベルの話かを明示しています
- 中学中学校の理科・数学で習う範囲
- 高校高校の「物理」で習う範囲
- 高校+高校の「物理」、または教科書の発展・コラム扱いの内容
- 大学高校では習わない、大学の専門科目(剛体力学)の内容
- 研究大学でも「定説」として教わらない、いま研究者が調べている最中の話
中学用語:猫のひねりをめぐる言葉
- 角運動量:回転している物が持つ、回転の勢いを表す量。
- 慣性モーメント:物の「回転のさせにくさ」を表す量。同じ重さでも、軸から遠くに広がっているほど大きくなります。
- トルク:物を回転させようとする、力の効果。
高校式で確かめる:丸めた部分は、どれだけ速く回転するのか
角運動量が一定に保たれる条件のもとで、慣性モーメントを小さくすると、回転の速さがどう変わるかを計算します。
角運動量 = 慣性モーメント × 回転の速さ
| 角運動量 | 回転している部分が持つ、回転の勢いの大きさ |
| 慣性モーメント | 回転のさせにくさ。体を丸めるほど小さくなります |
| 回転の速さ | 単位時間あたりに回転する角度 |
同じ角運動量であれば、慣性モーメントが小さいほど、回転の速さは大きくなります。この関係が、猫のひねりの核心です。
代表的なたとえとして、体を伸ばしたときの慣性モーメントを、丸めたときの4倍とします。角運動量は、丸めても伸ばしても同じ大きさで保たれるとします。
| 伸ばした状態の回転の速さ(たとえ) | ここでは、1回転/秒とします |
| 丸めた状態の回転の速さ | 1 × 4 = 4 |
| 丸めた状態の回転の速さ | 4回転/秒 |
この速さで、0.1秒間だけ回転させた場合の、それぞれの回転角度(回転数で表します)を計算してみます。
| 0.1秒間の、伸ばした後半身の回転 | 1 × 0.1 = 0.1 |
| 0.1秒間の、丸めた前半身の回転 | 4 × 0.1 = 0.4 |
| 両者の差(体全体が前に進む回転分) | 0.4 − 0.1 = 0.3 |
| 0.1秒あたりの、正味の回転前進分 | 約0.3回転分 |
同じ角運動量でも、体を丸めた部分は、伸ばした部分の4倍の速さで回転するという計算になります。これが、「丸めた前半身は大きく回り、伸ばした後半身はわずかしか逆回転しない」という、都合の良い組み合わせが生まれる理由です。
※ 慣性モーメントの比(4倍)は、しくみを理解するためのたとえです。実際の猫の体における正確な比率とは異なります。
高校+「体を折り曲げる」ことの意味
猫が体を「くの字」に折り曲げるのは、前半身と後半身を、それぞれ別の軸のまわりで回転させられるようにするためだと考えられています。体がまっすぐな1本の棒のままでは、全体で1つの回転軸しか持てず、部分ごとに違う回転をさせることができません。体を折り曲げることで、2つの部分がそれぞれ独立に近い形で回転できる自由度が生まれます。
大学「落下する猫の問題」という、力学の古典的な研究テーマ
猫が空中で体をひねる現象は、「落下する猫の問題(falling cat problem)」と呼ばれ、19世紀末の連続写真による観察以来、剛体力学・多体力学の分野で、正式な研究対象とされてきました。1969年に発表された、数学的なモデルを用いた解析(Kane 氏と Scher 氏による研究)は、この現象を定量的に説明した、代表的な研究として知られています。
研究まだ、はっきりしていないこと
- 猫が、この複雑な体の動きを、どのような神経・筋肉の制御によって、瞬時に実行しているのかという、生体力学的な詳しいしくみは、完全には解明されていないとされています。
- 「落下する猫の問題」で使われる、形を変えることで姿勢を制御する考え方は、ロボット工学や人工衛星の姿勢制御の研究にも応用されているとされています。噴射装置を使わずに、形状の変化だけで姿勢を変える技術は、燃料を節約できる可能性がある研究テーマとして注目されています。
- 無重力環境での、人間の姿勢制御トレーニングに、この原理をどこまで応用できるかについても、宇宙医学・ロボット工学の分野で研究が続けられているとされています。
身近な猫のひねりが、宇宙工学やロボット工学の最先端にまでつながっているのは、興味深いことです。
教科書とのつながり(レベル別)
| レベル | 科目・単元 | この記事のどこ |
|---|---|---|
| 中学 | 理科・力と運動 | 角運動量・慣性モーメントの基本用語 |
| 高校 | 物理・角運動量保存則 | 慣性モーメントと回転の速さの関係の計算 |
| 高校+ | 物理・剛体の運動 | 体を折り曲げることの力学的な意味 |
| 大学 | 剛体力学・多体力学 | 「落下する猫の問題」の数学的モデル |
| 研究 | ロボット工学・宇宙工学(研究中) | 形状変化による姿勢制御技術への応用 |
- Kane, T. R. & Scher, M. P., A dynamical explanation of the falling cat phenomenon, International Journal of Solids and Structures, 1969(落下する猫の現象を力学的に説明した代表的な研究)。
- 物理教科書における、角運動量保存則と慣性モーメントに関する解説。
- 動物行動学関連の資料における、猫の空中姿勢制御(回転反射)に関する解説。
- ロボット工学分野における、形状変化による姿勢制御に関する研究レビュー。
- Marey, E. J. による、19世紀末の連続写真を用いた落下猫の観察記録に関する文献紹介。
※ 慣性モーメントの比などの数値は、しくみを理解するためのたとえです。実際の猫の体における正確な値とは異なります。
※本記事は一般向けの科学解説です。猫を高所から落下させる、または類似の行為を試すことは、猫にとって重大な危険をともなうため、絶対に行わないでください。