飛行機は、なぜわざわざ向かい風に向かって離陸するの?
― 向かい風が少し強いだけで、滑走路は半分ですみます
追い風に乗ったほうが速く走れそうなのに、パイロットはわざわざ風に向かって飛び立ち、風に向かって降ります。翼にとって大事なのは、地面の上を走る速さではなく、まわりの空気に対する速さだからです。そして、その差は思ったよりずっと大きく効いてきます。
空港の展望デッキから、離陸する飛行機をながめています。昼に見たときは、飛行機は右から左へ走って飛び立っていました。
ところが夕方に来てみると、同じ滑走路を、今度は左から右へ走っています。滑走路のわきでは、紅白のしまの吹き流しが、さっきとは反対の向きにはためいています。
空港は、風が変わるたびに、飛行機の走る向きをまるごと入れかえています。なぜ、そこまでして風に向かうのでしょうか。
理由は2つだけ
翼を持ち上げる力は、翼の上を流れる空気の速さで決まります。向かい風の中では、止まっていてもすでに空気が流れてくるので、地面の上を走る速さはその分だけ少なくてすみます。
止まった状態から加速するとき、必要な距離は「目標の速さ×目標の速さ」に比例します。目標が少し下がるだけで、距離は大きく縮みます。追い風なら、その逆に大きくのびます。
パイロットが経験として身につけているこの知恵は、2つの理由を組み合わせると、数字ではっきり説明できます。順に見ていきましょう。
翼は、地面ではなく空気を見ている
翼は、空気の流れを受けて、はじめて上向きの力を生みます。この力は「揚力」と呼ばれます。翼にとっては、自分が地面の上をどれだけ速く走っているかは関係ありません。大事なのは、翼のまわりを空気がどれだけの速さで流れているかです。
図1を見てください。小型の飛行機が浮くには、空気に対しておよそ時速100kmの速さが要るとされます。無風なら、地面の上を時速100kmまで走らなければなりません。
ところが、正面から時速30kmの風が吹いていれば話が変わります。止まっていても、翼にはすでに時速30kmの空気が当たっています。地面の上は時速70kmまで走れば、翼にとっては時速100kmになるのです。
速さが少し減ると、距離はぐっと減る
理由の2つめが、この話をただの節約ではなくしています。止まった状態から同じ勢いで加速するとき、必要な距離は「目標の速さの2乗」に比例します。速さが2倍なら、距離は4倍です。
図2のつまみで、風の強さを変えてみてください。無風で約260mの滑走が必要な飛行機でも、秒速8m(時速約29km)の向かい風なら、約130mと半分ほどですみます。逆に秒速5mの追い風では、約360mまでのびます。
操縦の教本には、昔からこんな目安が載っています。「離陸の速さの1割にあたる向かい風なら、滑走距離は約19%短くなる。同じ強さの追い風なら、約21%長くなる」。これは、0.9の2乗が0.81、1.1の2乗が1.21であることと、ぴったり重なります。
滑走路の端には「34」や「16」といった大きな数字が書かれています。これは、その向きに走るときの方角を10度単位で表したものです。34なら340度で、ほぼ北向きです。1本の滑走路の両端は、必ず18ちがいの番号になります。空港は風に合わせて、どちらの端から使うかを選んでいます。
ハクチョウやカモが水面から飛び立つとき、たいてい風上に顔を向けて水面を走ります。重くて大きな鳥ほど、この助走は長くなります。風に向かえば、少ない助走で翼に十分な空気を当てられるからです。人が飛行機を作るずっと前から、鳥は同じ知恵を使っていました。
降りるときも、風に向かう
着陸でも理屈は同じです。翼が浮いていられる最低の速さは、空気に対して決まっています。向かい風の中なら、地面に触れたときの速さが小さくなります。止まるまでの距離も、やはり速さの2乗で縮みます。
反対に、横から吹く風は、飛行機を滑走路の外へ押し流そうとします。そのため滑走路は、その土地でよく吹く風の向きにそろえて作られることが多いとされます。航空母艦が離着陸のたびに風上へ全速で進むのも、甲板という短い滑走路に、自分で向かい風を作るためです。
まとめ
翼にとっての速さは、地面ではなく空気に対する速さです。向かい風は、その速さの一部を最初から運んできてくれます。そして滑走の距離は速さの2乗で決まるので、少しの向かい風が大きな差になります。
飛行機が見ているのは地面ではなく、空気。
だから向かい風は、敵ではなく味方です。
翼がなぜ浮くのかは「飛行機はなぜ飛ぶの?」で、風の力が速さの2乗で強くなる話は「風の強さ」の記事で、鳥が空気の流れを上手に使う例は「渡り鳥はなぜ、V字に並んで飛ぶの?」で紹介しています。
- 風が少しある日に、広い場所で同じ紙飛行機を同じ強さで投げます。
- 風上に向けて投げたときと、風下に向けて投げたときで、飛び方をくらべます。風上に向けると、手を離れた直後にふわりと浮き上がりやすくなります。
- 空港の展望デッキに行ったら、吹き流しの向きと、飛行機が走る向きを見くらべてみましょう。飛行機は、吹き流しが指す向きとは反対へ走っているはずです。
吹き流しは、風下の側へたなびきます。つまり吹き流しの根元の側が風上で、飛行機はそちらへ向かって走ります。投げるときは、人のいない方向に向けてください。
もっと知りたい人へ ― 用語・数式・教科書とのつながり中学理科から大学の専門科目まで、どのレベルの話かを明示しています
- 中学中学校の理科で習う範囲
- 高校高校の「物理」で習う範囲
- 高校+高校の発展、または教科書のコラム扱いの内容
- 大学高校では習わない、大学の専門科目(流体力学・航空工学)の内容
- 研究大学でも「定説」として教わらない、いま研究者が調べている最中の話
中学用語:この現象には名前があります
- 対気速度:まわりの空気に対する飛行機の速さ。翼の力はこちらで決まります。
- 対地速度:地面に対する速さ。滑走の距離や、目的地に着くまでの時間はこちらで決まります。
- 揚力:翼が空気の流れから受ける、上向きの力。
中学高校式で確かめる:向かい風で滑走距離はどれだけ縮むか
加速の勢いを一定とみなして、無風・向かい風・追い風での滑走距離を出してみます。数値は小型機を想定した目安です。
| 記号で書くと | s = ( V − w )² ÷ ( 2 × a ) |
| 言葉で書くと | 滑走距離 = (浮くのに要る空気に対する速さ − 向かい風の速さ)の2乗 ÷(2 × 加速の勢い) |
| どこから来る式か | 止まった状態から一定の加速度で速さを上げるときの「速さ²=2×加速度×距離」(等加速度運動の式)。目標の速さは、地面に対する速さで考えるので、向かい風のぶんだけ差し引きます。 |
| 記号 | 意味と単位 |
| s | 地面を走る距離(m) |
| V | 浮くのに要る、空気に対する速さ(m/秒) |
| w | 向かい風の速さ(m/秒、追い風はマイナス) |
| a | 加速の勢い=加速度(m/秒²) |
| 浮くのに要る速さ V | 秒速28 m(時速約100 km) |
| 加速度 a | 秒速毎秒1.5 m とする |
| 向かい風 w | 秒速8 m(時速約29 km) |
| 分母(2 × a) | 2 × 1.5 = 3 |
| 無風:速さの2乗 | 28 × 28 = 784 |
| 無風の滑走距離(m) | 784 ÷ 3 ≒ 261 |
| 向かい風:地面の上で要る速さ | 28 − 8 = 20 |
| その2乗 | 20 × 20 = 400 |
| 向かい風の滑走距離(m) | 400 ÷ 3 ≒ 133 |
| 無風とくらべた割合 | 133 ÷ 261 ≒ 0.51 |
| 追い風5 m:地面の上で要る速さ | 28 + 5 = 33 |
| その2乗 | 33 × 33 = 1089 |
| 追い風の滑走距離(m) | 1089 ÷ 3 = 363 |
風の速さは浮く速さの3割にも満たないのに、滑走距離はほぼ半分になります。追い風なら、わずか秒速5mで約4割増しです。速さの「差」が、距離では「2乗の差」になって効いてくる。これが、パイロットが風向きにこだわる理由です。
高校高校+相対速度と、加速度が一定でないこと
高校空気に対する速さ=地面に対する速さ+向かい風の速さ、という関係は、高校物理の「相対速度」そのものです。どちらの立場から見るかで速さが変わり、翼にとって意味があるのは空気から見た速さです。
高校+実際の滑走では、速くなるほど空気の抵抗が増えるので、加速度は少しずつ小さくなります。そのため上の計算は目安です。それでも操縦の教本にある「1割の向かい風で約19%短縮」という目安は、この単純な式とよく合います。
大学揚力の式と、離陸性能の計算
翼の揚力は、揚力 = 1/2 × 空気の密度 × 対気速度² × 翼の面積 × 揚力係数、という「揚力の式」で表されます。浮く速さ(失速速度に余裕を足した離陸速度)は、この式で揚力が重さとつり合う条件から決まります。気温が高い日や標高の高い空港では空気の密度が小さく、同じ揚力に、より大きな対気速度が要ります。航空工学では、これを「密度高度」として離陸性能の表に組み込み、推力・抗力・車輪の転がり抵抗を含めた運動方程式で滑走距離を求めます。
📖 式の導出や、さらに先の内容:揚力(ウィキペディア) / 対気速度(ウィキペディア)
研究まだはっきりとはわかっていないこと
- 地面すれすれの風の乱れ 離着陸の高さでは、風の速さや向きが短い距離で急に変わる「低層の風の乱れ」が起きます。これを前もって正確につかむ観測と予測は、いまも改良が続けられている分野です。
- 大型の鳥は、どう風を読んで飛び立つのか 海鳥に小さな記録計を付け、風や波の条件と、飛び立つまでの助走や羽ばたきの関係を調べる研究が近年進められています。鳥がどこまで風を「選んで」いるのかは、まだ調べている最中です。
- 突風の中での翼のふるまい 風の強さが一瞬で変わると、翼のまわりの流れが追いつかず、教科書の揚力の式どおりにならない時間が生じます。その細部は、実験と計算の両方で研究されています。
つまりこの記事の内容も、「いまわかっている範囲での説明」です。とくに地面近くの風は、パイロットの経験と観測の両方が頼りにされている領域です。
教科書とのつながり(レベル別)
| レベル | 科目・単元 | この記事のどこ |
|---|---|---|
| 中学 | 理科「運動の規則性」 | 速さと距離の関係 |
| 高校 | 物理「等加速度直線運動」「相対速度」 | 式で確かめる、図1 |
| 高校+ | 物理(発展)空気の抵抗 | 加速度が一定でないこと |
| 大学 | 流体力学・航空工学 | 揚力の式、密度高度、離陸性能 |
| 研究 | 気象学・生物の飛行の研究 | 地面近くの風の乱れ、鳥の離陸 |
| ― | 生活とのつながり | 空港の吹き流し、滑走路の番号、紙飛行機 |
- アメリカ連邦航空局(FAA)Pilot's Handbook of Aeronautical Knowledge(操縦の基礎知識の教本、離陸性能の章)
- 揚力 - ウィキペディア
- 対気速度 - ウィキペディア
- 滑走路 - ウィキペディア
- J. D. Anderson, Introduction to Flight, McGraw-Hill
※本記事は一般向けの科学解説です。掲載した数値は、しくみを理解するための目安・概算で、実際の離着陸の判断は機体ごとの性能表と航空当局・管制の指示に従って行われます。