自分でくすぐっても、くすぐったくないのは、なぜ?
― 脳は、自分の動きの結果を先回りして差し引いています
わきの下を人にくすぐられると、笑いが止まりません。ところが同じ場所を自分の指でなぞっても、ほとんど何も感じません。皮膚が受け取っている刺激は、ほぼ同じはずです。ちがうのは、脳が「次に何が起きるか」を知っているかどうかです。
子どもが「くすぐり返してやる」と、自分のわき腹をくすぐってみせます。でも本人はきょとんとしています。
ところが家族がそっと指を近づけただけで、触れる前から身をよじって笑い出します。
同じ指、同じ場所、同じくらいの強さ。それなのに、なぜこんなに感じ方がちがうのでしょうか。
理由は2つだけ
手を動かせと命令を出すとき、脳はその命令の写しを手元に残します。写しから「このあと皮膚にこう触れるはず」という予想を作っています。
実際に届いた感覚から、予想のぶんを差し引きます。予想と合っていれば、残りはわずかです。だから自分の指では、くすぐったさがほとんど残りません。
くすぐったさは、皮膚の感覚そのものというより、「予想していなかった触られ方」への反応に近いと考えられています。順に見ていきましょう。
脳は「命令の写し」で未来を先読みする
体を動かすとき、脳から筋肉へ命令が出ます。このとき脳は、同じ命令の写しを別の場所にも送っています。受け取った側は、写しをもとに「この動きをしたら、どんな感覚が返ってくるか」を計算します。
この予測に深く関わっているとされるのが、後頭部の下にある小脳です。脳の画像を使った研究では、自分でくすぐったときに、触覚を受け取る領域の反応が弱まっていることが報告されています。
図1を見てください。左の「自分でくすぐる」では、上の帯の予測と下の帯の実際の感覚がほぼ同じ長さで、引き算の結果は短い矢印になります。右の「人にくすぐられる」では予測の帯がありません。感覚がそのまま大きな矢印で届きます。
ロボットで「予想」をわざとずらすと、くすぐったくなる
1990年代の終わりに、イギリスの研究チームが巧妙な実験をしました。参加者が自分でレバーを動かすと、ロボットの腕が手のひらをなでる装置です。自分の動きがそのまま伝わるので、ふつうは自分でなでたのと同じで、くすぐったくありません。
そこで、ロボットが動き出すまでに、ほんの少し遅れを入れました。すると遅れが大きくなるほど、くすぐったさが増したと報告されています。10分の2秒ほどの遅れでも、はっきり差が出たとされています。なでる向きを少し回転させても、同じようにくすぐったさが増しました。
自分で動かしていることは同じです。ちがうのは「いつ・どちら向きに触れるか」の予想が外れたことだけでした。予想の精度が、感じ方を左右していたのです。
目玉を動かすたびに、目に映る景色は大きく横すべりしています。それでも世界が揺れて見えないのは、脳が目を動かす命令から景色のずれを先読みして、打ち消しているからだと考えられています。鳴く虫のコオロギにも、自分の大きな鳴き声で耳がまひしないよう、鳴く瞬間だけ聞こえを抑えるしくみがあると報告されています。
二人で交互に相手の指を「さっきと同じ強さで」押し返す実験があります。どちらも同じ強さのつもりなのに、押す力は回を追うごとに強くなったと報告されています。自分が押した力は弱く感じ、相手に押された力は強く感じるためです。子どものけんかが、なぜかエスカレートしていく理由の一つかもしれません。
まとめ
くすぐったさは、皮膚に何が触れたかだけで決まるわけではありません。脳は、自分の動きが生む感覚をあらかじめ予測し、届いた感覚から差し引いています。予想どおりなら弱く、予想外なら強く感じます。自分の指ではいつも予想どおりなので、くすぐったくならないのです。
脳は、届いた感覚をそのまま聞いてはいない。
「予想とのずれ」だけを、大きな声で伝えてくる。
自分の声が録音だと別人に聞こえる話は「録音した自分の声が別人に聞こえるのは、なぜ?」で、指先の触覚が細かな凹凸をどう感じ取るかは「「ざらざら」と「すべすべ」は、なぜ指でさわると分かるの?」で紹介しています。
- 足の裏を、自分の指で軽くなぞってみます。次に家族に同じようになぞってもらい、くすぐったさをくらべます。
- 家族にくすぐってもらうとき、相手の手の甲に自分の手をそっと乗せて、動きについていってみます。動きが少し読めるぶん、くすぐったさがやわらぐと感じる人がいます。
- 片目を閉じ、開いているほうの目のまぶたの外側を、指の腹でごく軽く押してみます。筋肉を使わずに目が動くので、予測が働かず、景色がふわっと揺れて見えます。
目を押すときは、まぶたの上からほんの少しだけにしてください。コンタクトレンズをしているときや、目に病気やけががあるときはやめましょう。
もっと知りたい人へ ― 用語・数式・教科書とのつながり中学理科から大学の専門科目まで、どのレベルの話かを明示しています
- 中学中学校の理科で習う範囲
- 高校高校の「生物」で習う範囲
- 高校+高校の発展、または教科書のコラム扱いの内容
- 大学高校では習わない、大学の専門科目(神経科学・認知科学)の内容
- 研究大学でも「定説」として教わらない、いま研究者が調べている最中の話
中学用語:この現象には名前があります
- 遠心性コピー(随伴発射):運動の命令を出すときに、脳の中の別の場所へ送られる命令の写し。
- 感覚の減衰:自分の動きで生じた感覚が、同じ強さの外からの刺激より弱く感じられること。
- 小脳:後頭部の下にある脳の部分。動きの調整や、動きの結果の予測に関わるとされます。
中学高校式で確かめる:神経の伝わる時間と、実験の遅れをくらべる
触覚の信号が手から脳へ届くまでの時間を概算し、ロボット実験で入れた遅れがその何倍にあたるかを見てみます。
| 記号 | 意味と単位 |
| L | 手から脳までの神経の長さ(m) |
| v | 触覚を伝える太い神経線維の伝導速度(m/秒) |
| t | 信号が届くまでの時間(秒) |
| 手から脳までの距離 L(大人のおおよその値) | 1 m |
| 触覚を伝える太い神経の速さ v(毎秒数十mとされる中の目安) | 50 m/秒 |
| ロボット実験で差がはっきり出たとされる遅れ | 200 ミリ秒 |
| 届くまでの時間 t = L ÷ v | 1 ÷ 50 = 0.02 秒 |
| ミリ秒に直す | 0.02 × 1000 = 20 ミリ秒 |
| 実験の遅れは、伝わる時間の何倍か | 200 ÷ 20 = 10 倍 |
脳は、神経が信号を運ぶ20ミリ秒ほどのずれは織りこんで予測していると考えられます。その10倍ほどの遅れになると、予測と実際が合わなくなり、「自分の動きの結果」とみなされにくくなる、と解釈できます。まばたき1回(およそ0.1〜0.2秒とされます)と同じくらいの短いずれです。
高校高校+神経の伝わり方と、予測の場所
高校高校生物では、感覚神経が受容器から中枢へ興奮を伝えること、髄鞘をもつ有髄神経線維では跳躍伝導によって伝導が速くなることを学びます。触覚を運ぶ線維は有髄で太く、痛みの一部を運ぶ細い無髄線維よりずっと速く伝わります。
高校+運動の命令は大脳の運動野から出ますが、その写しは小脳などに届くとされます。小脳は「この命令ならこういう感覚が返る」という対応関係を学習していると考えられています。自分でくすぐったときに体性感覚野と小脳の活動が変わることは、脳の画像研究で示されています。
大学内部モデルという考え方
神経科学や運動制御の分野では、脳の中に体と外界の「内部モデル」があり、運動の命令から結果を予測する前向きモデルが働いていると説明されます。予測された感覚と実際の感覚の差(予測誤差)が大きいほど、その感覚は目立って処理されます。19世紀にヘルムホルツが、目玉を指で押すと景色が動くのに、自分で目を動かしても動かないことから同じ考えに近づいていました。電気魚が自分の発する電気を差し引くしくみや、コオロギの鳴き声の抑制など、動物でも神経回路の実体が調べられています。
研究まだはっきりとはわかっていないこと
- くすぐったさは、なぜ笑いになるのか。 くすぐられて笑うのは人だけでなく、ネズミや類人猿にも似た反応があると報告されています。ただ、急所を守る反応なのか、遊びの合図なのか、役割の説明は定まっていません。
- 予測の差し引きが弱い人がいる。 幻聴などの症状がある人では、自分でくすぐったときと人にくすぐられたときの差が小さいという報告があります。自分の行為を自分のものと感じるしくみとの関係が調べられています。
- 自分をくすぐれる人はいるのか。 自分でもある程度くすぐったく感じる人がいるという報告もあり、個人差の理由はよくわかっていません。
つまりこの記事の内容も、「いまわかっている範囲での説明」です。予測がどの神経回路でどう計算されているかは、今も研究が続いています。
教科書とのつながり(レベル別)
| レベル | 科目・単元 | この記事のどこ |
|---|---|---|
| 中学 | 理科2年「刺激と反応」 | 皮膚の感覚が神経で脳へ届く |
| 高校 | 生物「神経系・興奮の伝導」 | 神経の伝わる速さの計算 |
| 高校+ | 生物「中枢神経系・小脳のはたらき」 | 命令の写しと予測 |
| 大学 | 神経科学・運動制御 | 内部モデルと予測誤差 |
| 研究 | 認知神経科学 | 笑いの役割・自分の行為の感覚 |
| ― | 生活とのつながり | くすぐり遊び、押し返しあいのエスカレート、目を動かしても揺れない景色 |
- Blakemore, S.-J., Wolpert, D. M., Frith, C. D. (1998) Central cancellation of self-produced tickle sensation. Nature Neuroscience 1, 635–640.
- Blakemore, S.-J., Frith, C. D., Wolpert, D. M. (1999) Spatio-temporal prediction modulates the perception of self-produced stimuli. Journal of Cognitive Neuroscience 11, 551–559.
- Weiskrantz, L., Elliott, J., Darlington, C. (1971) Preliminary observations on tickling oneself. Nature 230, 598–599.
- Shergill, S. S., Bays, P. M., Frith, C. D., Wolpert, D. M. (2003) Two eyes for an eye: the neuroscience of force escalation. Science 301, 187.
- Poulet, J. F. A., Hedwig, B. (2006) The cellular basis of a corollary discharge. Science 311, 518–522.
※本記事は一般向けの科学解説です。掲載した数値は、しくみを理解するための目安・概算です。目や体に痛み・異常がある場合は、観察を中止し医療機関に相談してください。