ヤモリは、なぜツルツルの壁やガラスに張りつけるの?
― 接着剤も吸盤も使わない、分子の力のしくみ
ヤモリは、窓ガラスの天井を逆さのまま平気で歩き回ります。足裏に、ねばねばした接着剤も、タコの吸盤のような構造もないのに、なぜツルツルのガラスに張りつき続けられるのでしょうか。
下敷きを髪の毛でこすると、下敷きが髪の毛を引き寄せます。あの「静電気」ほど強くはありませんが、実はあらゆる物質の分子どうしには、ごくわずかに引き合う力があるとされています。
ふだんは弱すぎて気づきませんが、その力を、数えきれないほどたくさん集めたら――ヤモリの足裏で起きているのは、まさにそういうことです。
ヤモリの指の裏には、1本1本がさらに細かく枝分かれした、極めて細い毛(剛毛)が、1本の指だけで数十万本もあるとされています。
毛の先端が表面に極端に近づくと、分子どうしを引き寄せる弱い力(ファンデルワールス力)が働き、それが無数に積み重なって、体を支えるだけの強さになるとされています。
この「無数の細い毛」と「弱い力の積み重ね」を、順番に見ていきます。
足裏の毛は、なぜここまで細かく枝分かれしているのか
分子どうしが引き合う「ファンデルワールス力」は、あらゆる物質のあいだにはたらいているとされていますが、とても弱く、しかも分子どうしが極端に近づいたときにしか、はっきり効いてきません。ふつうの物の表面は、顕微鏡で見るとでこぼこしているため、面と面を押しつけただけでは、ごく一部しか本当に「近づく」ことができません。
ヤモリの足裏は、この問題を「先端をとことん細かく枝分かれさせる」ことで解決していると考えられています。毛の先端が細ければ細いほど、表面のわずかな凹凸にも入りこみやすくなり、より多くの先端が、分子どうしが引き合う距離まで近づけるというわけです。
吸盤は空気の少ない場所(真空に近いところ)では効かなくなりますが、ヤモリは真空に近い環境でも壁に張りつけることが実験で確かめられているとされています。また、接着剤のようにべたつかず、何度も張ったりはがしたりをくり返せて、汚れも残しません。これらは、吸盤や接着剤とは違うしくみで張りついていることの手がかりです。
分子どうしが、もともと持っている引き合う性質を、数で圧倒的に増やして使っているのです。
すばやく足を離せるのは、なぜか
これほど強い接着力があるのに、ヤモリは1秒間に何度も足を着けたり離したりしながら、壁を走ることができます。これは、毛を特定の角度で押しつけると強く張りつき、角度を変えて引きはがすと、力がほとんどかからずに離れるという性質を利用しているためだと考えられています。テープを表面と平行に引っぱるとなかなかはがれないのに、垂直に近い角度で一気にめくると簡単にはがれるのと、似た関係です。
自分で確かめられること
- セロハンテープを、机の上に貼りつける
- テープを表面に対して平行に近い角度で、ゆっくり引っぱってみる(はがれにくい)
- 同じテープを、表面に対して垂直に近い角度で引っぱってみる(はがれやすい)
- 同じ接着力でも、引きはがす角度によって、必要な力が大きく変わることを確かめる
ヤモリが足を離すときも、これと似た「角度を変えて、力をかけずにはがす」しくみを使っていると考えられています。
まとめ
ヤモリがツルツルの壁に張りつけるのは、特別な接着剤や吸盤があるからではありません。足裏の無数の毛が、先端まで細かく枝分かれすることで、分子どうしが引き合うファンデルワールス力を最大限に活かせる形になっているためだと考えられています。1つ1つは弱い力でも、数十万本分が集まれば、体重をはるかに上回る力になるというわけです。
ヤモリの足の秘密は、強い接着剤ではなく、弱い力を途方もない数だけ集める工夫にあったのです。
数十万本という膨大な数が、個々の弱さを補って強さに変わる例としては、体重に対する筋力の割合を扱ったアリの記事もあわせてどうぞ。
もっと知りたい人へ ― 用語・数値・教科書とのつながり中学理科から研究中の話題まで、どのレベルの話かを明示しています
- 中学中学校の理科で習う範囲
- 高校高校の「物理基礎」で習う範囲
- 高校+高校の「化学」、または教科書の発展・コラム扱いの内容
- 大学高校では習わない、大学の専門科目(表面科学・生体力学)の内容
- 研究大学でも「定説」として教わらない、いま研究者が調べている最中の話
中学用語:ヤモリの接着をめぐる言葉
- 剛毛(ごうもう)/セタ:ヤモリの指の裏に生えた、極めて細い毛状の構造。
- スパチュラ:剛毛の先端がさらに枝分かれした、へら状の極細構造。
- ファンデルワールス力:分子どうしのあいだにはたらく、弱い引力。
高校式で確かめる:足の接着力は、体重の何倍にもなるか
毛1本あたりの接着力と、足全体の毛の本数から、理論上の合計の接着力を見積もり、体重と比べてみます。
理論上の合計接着力 = 毛1本あたりの接着力 × 毛の本数
| 毛1本あたりの接着力 | およそ200マイクロニュートン(実験でよく引用される値) |
| 毛の本数(4本の足の合計) | およそ50万本(よく引用される目安の値) |
| 合計接着力(マイクロニュートン) | 200 × 500000 = 100000000 |
| ニュートンに直す | 100000000 ÷ 1000000 = 100 |
| 結果 | 理論上、およそ100ニュートン |
| 体重による重さ(ニュートン) | 0.05 × 9.8 = 0.49 |
| 安全マージン(倍) | 100 ÷ 0.49 ≒ 204 |
| 結果 | 理論上、体重のおよそ200倍もの力を支えられる計算 |
※ 実際には、足のすべての毛が同時に最大の力を発揮しているわけではないとされ、この数値は理論上の上限に近い見積もりです。それでも、必要な力に対して非常に大きな余裕があることがわかります。
高校+なぜ、力が「近づいたとき」しか効かないのか
ファンデルワールス力は、分子どうしの距離が離れるほど急激に弱まるという性質を持っています。目に見えないほどわずかな距離(分子1〜2個分ほど)まで近づかないと、力はほとんど感じられません。スパチュラの先端が極端に細いのは、この「極端に近づく」条件を満たすための工夫だと考えられています。
大学表面科学・生体力学が扱う、接着と剥離の力学
表面科学・生体力学の分野では、剛毛が表面に対してどの角度で接触・剥離するかによって、必要な力がどう変わるかが詳しく研究されています。この知見をもとに、ヤモリの足を模した人工の接着材料(合成セタ)を作り、ロボットの壁面移動などに応用する研究が進められています。
研究まだ、はっきりしていないこと
- ヤモリの足が、使い続けても汚れがつきにくい理由(自己清浄性)の詳しいしくみは、いまも研究が続けられているテーマです。
- 剛毛の角度や力のかけ方を、ヤモリがどう神経的に制御して、高速で足を着け離ししているかについても、解明が進められている途中です。
- 人工的なヤモリ型接着材料を、実用に耐える耐久性・コストで大量生産する技術は、材料工学の分野でいまも研究開発が続いています。
ヤモリの小さな足裏1つにも、表面科学と生体力学が交わる、いまも研究が続く豊かなテーマが詰まっています。
教科書とのつながり(レベル別)
| レベル | 科目・単元 | この記事のどこ |
|---|---|---|
| 中学 | 理科・生物のからだのつくり | 剛毛・スパチュラの基本用語 |
| 高校 | 物理基礎・力のつり合い | 合計接着力と体重の比較計算 |
| 高校+ | 化学・分子間力(発展) | 距離による力の変化 |
| 大学 | 表面科学・生体力学 | 接触角と剥離の力学、人工接着材料 |
| 研究 | 材料工学・生体模倣工学(研究中) | 自己清浄性の解明、制御機構、実用化技術 |
- Autumn, K. らによる、ヤモリの剛毛の接着力に関する古典的な研究。
- 生体力学関連の資料における、剛毛とスパチュラの構造・接着メカニズムに関する解説。
- 材料工学関連の資料における、ヤモリを模した人工接着材料の開発に関する解説。
※ 毛の本数・1本あたりの接着力の数値は、よく引用される目安の値です。実際の値は種や個体、測定条件によって幅があるとされています。
※本記事は一般向けの科学解説です。掲載した数値は、しくみを理解するための概算・目安です。実際の値は種や個体、測定条件によって幅があるとされています。