日常のふしぎ 光 予備知識なしでOK 読了 約7分

ハエは、なぜ叩こうとするとすぐ逃げるの?
― ハエの目には、あなたの手がスローモーションで見えています

ハエが速いのは、羽だけではありません。目が、人よりずっと細かく「時間」を刻んでいます。人の目が1コマしか見ないあいだに、ハエの目は4コマほど見ています。だから、あなたが全力で振りおろした手も、ハエにはゆっくり迫ってくるように見えているのです。

公開:2026.10.30 難易度:★☆☆(予備知識なしで読めます) 数式が出てくるのは最後の折りたたみだけ
まず、こんな場面を思い浮かべてください

台所のテーブルに、ハエが1匹とまっています。新聞を丸めて、そっと構えます。

息を止めて、いっきに振りおろします。ところが新聞がテーブルをたたいたとき、ハエはもう天井のあたりを飛んでいます。

こちらは全力で、しかも不意をついたはずです。ハエはいったい、いつ気づいたのでしょうか。

逃げられる理由は2つだけ

1
目が、時間を細かく刻んでいる

ハエの目は、1秒間に約250回も景色の変化を見分けられるとされます。人はおよそ60回です。同じ動きを、人の4倍ほどのコマ数で見ています。

2
逃げる向きを、先に決めている

ハエは、手が近づいてくる方向を見て、足の構えを変えます。危険と反対の向きへ跳べる姿勢をとってから、飛び立ちます。

つまりハエは、「速く逃げる」だけでなく「早く気づき、正しい向きに逃げる」生き物です。順番に見ていきましょう。

目にも「1秒に何コマ」という限界がある

映画やアニメは、止まった絵を1秒に24枚ほど続けて見せています。それでも人には、なめらかな動きに見えます。人の目と脳が、それより細かい時間の変化を見分けられないからです。

この限界は、明かりのちらつきで測れます。光を速く点けたり消したりすると、ある速さから先は、ずっと点いているように見えます。人では、明るい場所で1秒に60回前後とされています。

同じ実験をハエで行うと、1秒に250回前後まで、ちらつきを見分けるとされています(種類や明るさで変わります)。図1を見てください。手を振りおろすあいだに、人とハエの目が受け取る「コマ」の数を並べたものです。

手が届くまでに、目が受け取る「コマ」の数 人の目 1秒に約60コマ → この間に 15 コマ ハエの目 1秒に約250コマ → この間に 62 コマ ← 手の振りはじめ ハエの位置 → ハエ
つまみを動かすと、上下の段の印の数が変わります
図1:手が届くまでの0.25秒に、目が受け取るコマの数。上の段(人の目)は太い印が15本、下の段(ハエの目)は細い印が60本あまり並びます。つまみで時間を短くしても、ハエのほうが約4倍多く見ていることは変わりません。

人の目にとっては、一瞬の出来事です。ところがハエの目には、手が少しずつ近づく様子が何十コマにも分けて届いています。人の感覚でいえば、1秒の出来事が4秒ほどに引き伸ばされて見える計算です。

なぜハエの目は、こんなに速いのでしょうか。ハエは小さな体で、すばやく飛び回ります。飛びながら景色が流れる速さに目が追いつかないと、壁にぶつかってしまいます。速く飛ぶ生き物ほど、速い目が必要なのです。

ハエは、逃げる向きを決めてから飛ぶ

目が速いだけでは、まだ足りません。気づいてから飛び立つまでにも、時間がかかるからです。

アメリカの研究者たちは、ショウジョウバエ(小さなハエの仲間)に黒い円がせまる映像を見せ、高速カメラで撮影しました。すると、ハエは円が近づく向きに合わせて、足の位置や体の傾きを変えていました。前から来れば後ろへ、横から来れば反対の横へ跳べる構えです。

この準備から飛び立ちまでは、およそ0.2秒だったと報告されています。ハエが感じているのは、手の「大きさ」より、目の中で手の像が「ふくらむ速さ」です。像が急にふくらむものは、ぶつかってくるものだと判断します。

💡 ハエには、部屋の明かりがチカチカして見えているかもしれない

昔の蛍光灯は、電気の流れに合わせて1秒に100回か120回、明るさが揺れていました。人にはずっと点いているように見えます。ところが、250回まで見分けられる目なら、この揺れを見分けられる計算になります。ハエにとって、人の部屋はずっと点滅して見えていたのかもしれません。

💡 叩くなら、「いまいる場所」より少し前をねらう

ハエは多くの場合、迫る手と反対の向きへ跳びます。上から振りおろすと、斜め前や後ろへ逃げます。そこで、研究者の間では「ハエのいる場所ではなく、跳んだ先をねらうとよい」と言われています。また、ゆっくり近づく手は像がふくらむ速さが小さく、気づかれにくいとされます。

まとめ

ハエが手をよけられるのは、目が1秒を人の4倍ほど細かく刻んでいるからです。さらに、手が迫る向きを読んで逃げる構えをとり、0.2秒ほどで飛び立ちます。全力の手も、ハエにはゆっくり迫る大きな影に見えているのです。

速いのは、羽より先に目のほう。
ハエは、あなたの1秒を4秒ぶんに見ています。

暗い場所で、目が光の粒をいくつ数えられるかは「人の目は、光の粒いくつで見えたと分かるの?」で、明るさに目が慣れていく時間は「明るい所から暗い部屋に入ると、なぜしばらく何も見えないの?」で紹介しています。虫が夜の明かりに集まるわけはこちらの記事へどうぞ。

🧪 自分の目の「コマ数」を確かめてみよう
  1. スマートフォンやパソコンの白い画面の前で、指を広げた手を左右にすばやく振ってみます。指が何本にも分かれて見えたら、画面のちらつきが目に写っています。
  2. 次に、窓から入る日光の下で同じように手を振ります。今度は指がぼやけるだけで、何本にも分かれにくいはずです。日光はちらつかないからです。
  3. ハエを見かけたら、手を遠くからゆっくり近づけたときと、すばやく近づけたときで、飛び立つ距離をくらべてみましょう(ハエには触らず、観察だけにします)。

1と2の違いは、画面の明かりのちらつきが見えているかどうかです。人の目にも、時間を刻む細かさの限界があることが分かります。

もっと知りたい人へ ― 用語・数式・教科書とのつながり中学理科から大学の専門科目まで、どのレベルの話かを明示しています
この先に出てくるラベルの見方
  • 中学中学校の理科で習う範囲
  • 高校高校の「生物」「物理」で習う範囲
  • 高校+高校の発展、または教科書のコラム扱いの内容
  • 大学高校では習わない、大学の専門科目(感覚生理学・神経行動学)の内容
  • 研究大学でも「定説」として教わらない、いま研究者が調べている最中の話

中学用語:この現象には名前があります

中学高校式で確かめる:手が届くまでに、ハエは何コマ見ているか

手を50cm先から振りおろしたとき、人とハエの目がそれぞれ何コマを受け取るかを計算します。手の速さは、仮に秒速2mとします。

⓪ もとになる式
記号で書くとN = f × t 、 t = d ÷ v
言葉で書くと見えるコマ数 = 1秒に見分けられる回数 × 手が届くまでの時間。時間は、距離 ÷ 手の速さ
どこから来る式か「1秒あたりの回数 × 秒数 = 全部の回数」という数え方と、「距離 = 速さ × 時間」の関係です
N手が届くまでに目が受け取るコマの数(単位なし)
f臨界融合周波数(回/秒)
t手が届くまでの時間(秒)
d、v手が動く距離(m)と手の速さ(m/秒)
① もとになる数値
人の臨界融合周波数(明るい場所)およそ 60 回/秒 とされる
ハエの臨界融合周波数およそ 250 回/秒 とされる
手が動く距離(仮定)0.5 m
手の速さ(仮定)秒速 2 m
ハエが構えてから飛び立つまでおよそ 0.2 秒 と報告されている
② 計算してみる
手が届くまでの時間0.5 ÷ 2 = 0.25 秒
人の目が受け取るコマ数60 × 0.25 = 15 コマ
ハエの目が受け取るコマ数250 × 0.25 = 62.5 コマ
ハエは人の何倍のコマを見ているか250 ÷ 60 ≒ 4.2 倍
飛び立つまでの時間を引いた残りの余裕0.25 − 0.2 = 0.05 秒

人の目には15コマで終わる出来事が、ハエの目には60コマあまりに分けて届きます。1秒の出来事が、およそ4秒に引き伸ばされて見える計算です。しかも0.05秒の余裕を残して飛び立てます。ただし、手が10cmほどの近さから振りおろされると、時間は0.05秒に縮み、構える時間が足りなくなります。

高校高校+速い目には、高いエネルギーがかかる

高校光を受け取る細胞(視細胞)は、光が当たると電気の信号を出します。人の目のかん体や錐体(すいたい)細胞では、この反応に何段階もの化学反応がはさまり、信号が出るまでに時間がかかります。

高校+ハエの視細胞は、細かい毛のような突起(微絨毛:びじゅうもう)が数万本集まった形をしています。一つ一つの突起が光の粒に素早く反応し、反応をすぐに打ち切ります。その結果、速い変化を追える一方で、多くのエネルギーを使います。ハエの網膜は、休んでいる体全体が使うエネルギーの1割近くを使うという見積もりもあります。

大学像のふくらみから「ぶつかるまでの時間」を読む

近づく物体の見かけの大きさ(視角)を θ とすると、θ を「θ が大きくなる速さ」で割った値は、ぶつかるまでの残り時間とほぼ等しくなります。この量は「タウ(τ)」と呼ばれ、心理学者リーが1976年に提案しました。ハエの脳には、像のふくらみに強く反応する神経があり、その信号は巨大線維系(ジャイアントファイバー系)と呼ばれる太い神経を通って、跳ぶための脚の筋肉へ素早く伝わります。動物ごとの臨界融合周波数を体の大きさや代謝とくらべた研究では、小さく代謝の高い動物ほど、時間を細かく見分ける傾向があると報告されています。

📖 式の導出や、さらに先の内容:臨界融合周波数の解説(英語版ウィキペディア) / 複眼と単眼(ウィキペディア)

研究まだはっきりとはわかっていないこと

つまりこの記事の内容も、「いまわかっている範囲での説明」です。数値は種類・明るさ・測り方によって変わります。

教科書とのつながり(レベル別)

レベル科目・単元この記事のどこ
中学理科・刺激と反応、昆虫のからだ複眼、目で受け取って体が動くまで
高校生物・受容器と効果器、物理・速さ視細胞のしくみ、届くまでの時間の計算
高校+生物・発展(神経の情報処理)速い視細胞と、そのエネルギーの代償
大学感覚生理学・神経行動学臨界融合周波数、ぶつかるまでの時間、巨大線維系
研究比較神経科学動物ごとの時間の感じ方
―生活とのつながりハエの追い払い方、画面や照明のちらつき
参考・出典
  1. Card G, Dickinson MH (2008) Visually mediated motor planning in the escape response of Drosophila. Current Biology 18.
  2. Healy K, McNally L, Ruxton GD, Cooper N, Jackson AL (2013) Metabolic rate and body size are linked with perception of temporal information. Animal Behaviour 86.
  3. Laughlin SB, de Ruyter van Steveninck RR, Anderson JC (1998) The metabolic cost of neural information. Nature Neuroscience 1.
  4. Lee DN (1976) A theory of visual control of braking based on information about time-to-collision. Perception 5.
  5. Wikipedia「Flicker fusion threshold」

※本記事は一般向けの科学解説です。掲載した数値は、しくみを理解するための目安・概算で、生き物の種類や条件によって変わります。殺虫剤などを使う場合は、製品の表示に従ってください。