フンコロガシは、なぜ真っ暗な夜でもまっすぐ転がせるの?
― 小さな虫が、天の川を見て方角を決めています
夜のアフリカの草原で、フンコロガシは玉を転がしながら、迷わずまっすぐ遠ざかっていきます。目の上に小さな帽子をかぶせると、とたんに道に迷いました。この虫が見ていたのは、地面ではなく空でした。それも、月ではなく天の川です。
真っ暗な夜、目かくしをされて広い野原に立たされたとします。「まっすぐ100歩、歩いてください」と言われても、たいていの人は大きく曲がってしまいます。
ところが、南アフリカの夜の草原では、親指の先ほどの虫がそれをやってのけます。動物のフンの山から玉を切り出し、逆立ちの姿勢で後ろ向きに押しながら、まっすぐ遠ざかっていくのです。
前も見ず、地図もなく、月さえ出ていない夜に。この虫は、何をたよりに「まっすぐ」を保っているのでしょうか。
理由は2つだけ
フンの山のまわりには、玉を横取りしようとする仲間がひしめいています。同じ歩数でいちばん遠くへ離れられる道は、一直線です。
フンコロガシの目では、星を1つずつ見分けるのは難しいとされます。そのかわり、天の川の光の帯の向きを手がかりにしていることが、実験で示されました。
まず「なぜまっすぐでないと困るのか」から見ていきます。そのあとで、真っ暗な夜にそれを可能にしている空の目じるしの話をします。
曲がりくねると、いつまでもフンの山から離れられない
フンの山は、フンコロガシにとって食べ物と子育ての材料が集まる宝の山です。そのぶん競争も激しく、せっかく丸めた玉を、ほかの虫に奪われることがよくあります。だから玉ができたら、一刻も早くその場を離れたいのです。
ここで「向き」が大きく効いてきます。1回押すごとに向きがでたらめに変わると、進んだぶんの多くが打ち消し合います。図1のつまみを動かしてみてください。押した回数を増やすと、まっすぐ進む矢印はどんどん伸びます。一方、向きがでたらめなときに届く距離(点線の円)は、なかなか広がりません。
49回押すと、まっすぐなら約5メートル先まで行けます。でたらめな向きでは、平均して1メートルも離れられません。この差は、回数が増えるほど開いていきます。玉を守りたいフンコロガシにとって、「まっすぐ」は生き残りに直結する技なのです。
月のない夜、目じるしは天の川だった
昼のフンコロガシは、太陽の位置を目じるしにしています。夜は月や、月の光が空気に散らばってできる「光の向きのそろい方」(偏光)を使うことが、2003年に報告されていました。
ふしぎだったのは、月の出ていない夜です。それでも一部のフンコロガシは、まっすぐ転がしていました。スウェーデンと南アフリカの研究チームは、ここで大胆な実験をします。虫を南アフリカのプラネタリウムに連れていき、映し出す空を変えて転がし方を比べたのです。
結果は図2のようなものでした。満天の星を映すと、まっすぐ転がしました。天の川の帯だけを映しても、同じくらいまっすぐでした。ところが、明るい星だけを映して天の川を消すと、迷い始めたのです。屋外でも、目の上に小さな帽子をかぶせて空を見えなくすると、道すじは大きく曲がりくねりました。
ここで大事なのは、フンコロガシが「どの星か」を覚えているわけではないことです。目的地を探しているのでもありません。行き先はどこでもよく、「いま決めた向きを保つ」ことだけが目的です。そのためには、空のどこかに少し明るい側があれば足ります。天の川は、その役にぴったりの大きな目じるしでした。
フンコロガシは転がし始める前に、玉の上に登ってくるりと回る動きを見せます。空を見渡して、進む向きを決めていると考えられています。途中で障害物にぶつかって向きが狂ったときも、また玉に登って向きを決め直します。
人間の船乗りは、北極星のように動かない1つの星を覚えて、目的の方角を知りました。フンコロガシは星座を覚えず、帯全体の明るさの向きだけを使います。天の川は夜のあいだに少しずつ動きますが、数分で転がし終えるなら、その動きはほとんど問題になりません。
まとめ
フンコロガシは、玉を奪われないように、フンの山から一直線に離れます。曲がりくねると、何倍も押しても遠くへ行けないからです。月のない夜にその「まっすぐ」を支えているのが、空を横切る天の川の淡い帯でした。星を1つずつ見分けられない小さな目でも、帯の明るさの向きなら読み取れます。
私たちが見上げて美しいと思う天の川を、
この虫は毎晩、方位磁針として使っています。
北極星が昔から人の道しるべだった理由は「北極星は、いちばん明るい星なの?」で、秋の夜に天の川が目立たない理由は「秋の夜空は、なぜ明るい星が少ないの?」で解説しています。
- 広くて安全な場所(芝生の公園や校庭)で、まっすぐな目標に向かって立ちます。足元に印を置いておきます。
- 目を閉じて、目標に向かってまっすぐ30歩、ゆっくり歩きます。必ず誰かにそばで見守ってもらいます。
- 目を開けて、目標からどれだけずれたかを見ます。次に、目を開けたまま遠くの1点だけを見て歩き、ずれ方を比べます。
目じるしがあるだけで、まっすぐ歩くのがどれほど楽になるかを体で感じられます。晴れた暗い夜に、街明かりの少ない場所で天の川を探してみると、フンコロガシが見ている「帯」の大きさも実感できます。
もっと知りたい人へ ― 用語・数式・教科書とのつながり中学理科から大学の専門科目まで、どのレベルの話かを明示しています
- 中学中学校の理科で習う範囲
- 高校高校の「物理」「生物」で習う範囲
- 高校+高校の発展、または教科書のコラム扱いの内容
- 大学高校では習わない、大学の専門科目(確率論・感覚生理学)の内容
- 研究大学でも「定説」として教わらない、いま研究者が調べている最中の話
中学用語:この現象には名前があります
- 天の川(銀河):私たちの太陽系をふくむ、星の大集団を内側から見た姿です。遠くの無数の星の光が重なって、空を横切る淡い帯に見えます。
- 偏光:光の振動の向きがそろっている状態です。太陽や月の光が空気で散らばると、空の場所によって振動の向きがそろい、その模様が方角の手がかりになります。
- ランダムウォーク(酔歩):1歩ごとに向きがでたらめに変わる歩き方です。歩数のわりに、出発点からなかなか離れられません。
中学高校式で確かめる:まっすぐとでたらめで、どれだけ差がつく?
1回押すと玉が進む長さを ℓ、押した回数を N とします。毎回同じ向きなら、進んだ長さはそのまま足し算になります。毎回向きがでたらめなら、平均してどれだけ離れるかは次の式で見積もれます。ここでは計算しやすいように、1回に10cm進むと仮定します(実際の値は、虫の大きさや地面で変わります)。
| 記号で書くと | まっすぐ:D = ℓ × N / でたらめ:D ≒ ℓ × √N |
| 言葉で書くと | 山からの距離 = 1回の長さ × 回数。向きがでたらめなら、距離 ≒ 1回の長さ × 回数の平方根 |
| どこから来る式か | 向きがでたらめな1歩どうしは、平均すると打ち消し合います。打ち消されずに残るのは「距離の2乗」の合計で、それが回数に比例して ℓ² × N になります。その平方根をとった値が平均的な距離です |
記号の意味:D は山からの距離(cm)、ℓ は1回に進む長さ(cm)、N は押した回数です。単位は cm で計算します。
| 1回に進む長さ ℓ(仮定) | 10 cm |
| 押した回数 N | 100 回 |
| 100 の平方根 | 10 |
| まっすぐ押した場合の距離 | 10 × 100 = 1000 cm(10 m) |
| でたらめな向きの場合の距離 | 10 × 10 = 100 cm(1 m) |
| 何倍ちがうか | 1000 ÷ 100 = 10 倍 |
| でたらめな向きで 10 m 離れるのに必要な回数(N = 回数の2乗) | 100 × 100 = 10000 回 |
同じ100回でも、まっすぐなら10倍遠くへ行けます。でたらめな向きで同じ10mを離れるには、100倍の手間がかかります。この差は回数が増えるほど開きます。迷わないことは、それだけで大きな武器になります。
高校高校+向きを保つための「空の目じるし」
高校移動をベクトルの和として考えると、同じ向きの矢印は長さがそのまま足されます。向きがばらばらな矢印は、互いに打ち消し合います。図1の矢印と円の差は、このベクトルの合成の違いそのものです。動物の行動としては、太陽などを基準に一定の角度を保って進む「太陽コンパス」が、ミツバチや渡り鳥でも知られています。
高校+太陽や月の光は、空気の分子に散らばるときに偏光します。空のどの方向でどんな向きに偏光しているかは、太陽や月の位置で決まります。昆虫の複眼の上のふちには、この偏光を感じとる部分(背側縁部)があるとされ、フンコロガシは月明かりの偏光も目じるしにします。
大学ランダムウォークと、昆虫の空のコンパス
向きがでたらめな移動は、確率論でランダムウォークと呼ばれます。出発点からの距離の2乗の平均(平均二乗変位)が歩数に比例するという性質は、液体中の分子の拡散と同じ形をしています。一方、フンコロガシの方角の保ち方は、目的地を目指す「ナビゲーション」ではなく、決めた向きを保つだけの直進定位(メナクシス)に分類されます。夜行性の種は、暗い光でも感度を保つように、多くの光を集める目のつくりを持つとされます。
📖 式の導出や、さらに先の内容:ランダムウォーク(ウィキペディア) / 偏光(ウィキペディア)
研究まだはっきりとはわかっていないこと
- 空の何を、どこまで細かく見ているのか。 天の川の帯の向きなのか、空の左右の明るさの差なのか。どの手がかりをどう組み合わせているかは、いまも実験が続いています。
- ほかの夜行性の動物も使っているのか。 天の川を方角の手がかりにすると示された動物は、まだごく限られています。夜に渡る鳥やガなどが星空をどう使うかも、調べられている最中です。
- 街明かりの影響。 明るい夜空では天の川が見えにくくなります。人工の光が、夜行性の昆虫の方角の取り方を乱すおそれも指摘されています。
つまりこの記事の内容も、「いまわかっている範囲での説明」です。小さな脳でどうやって空を読んでいるのかは、まだ解き明かされている途中です。
教科書とのつながり(レベル別)
| レベル | 科目・単元 | この記事のどこ |
|---|---|---|
| 中学 | 理科「地球と宇宙」「動物の体のつくり」 | 天の川の正体、昆虫の目 |
| 高校 | 物理「ベクトルの合成」、生物「動物の行動」 | 図1の矢印と円、太陽コンパス |
| 高校+ | 物理「光の偏り」 | 月明かりの偏光 |
| 大学 | 確率論、感覚生理学・行動学 | ランダムウォーク、直進定位 |
| 研究 | 動物のナビゲーション研究 | 空の手がかりの組み合わせ、光害 |
| ― | 生活とのつながり | 目じるしなしでは人もまっすぐ歩けないこと、夜空の明るさ |
※本記事は一般向けの科学解説です。掲載した数値は、しくみを理解するための目安・概算です。図1の距離は、1回に10cm進むと仮定した模式的な計算です。