いま吸った空気に、昔の人が吐いた空気は入っているの?
― ひと息の分子の数と、地球の空気が「ひと息何回ぶん」かが、ほぼ同じ数です
答えは「入っています」。しかも、ほぼ毎回です。1000年前の誰かが吐いた、たった1回の息。その中の分子が、いまのあなたのひと息に、平均で1〜2個まざっていると見積もれます。ふたつの「けた外れに大きな数」が、たまたま同じくらいだからです。
朝、窓を開けて、深く息を吸い込みます。ひんやりした空気が胸に入ってきます。
その空気は、ついさっきまで窓の外にありました。その前は、どこにあったのでしょう。海の上か、よその国の森か。何百年も前に、誰かの胸の中を通ったことはあったのでしょうか。
「さすがに薄まって、もう残っていないだろう」と思うかもしれません。ところが、実際に数えてみると、話はまったく逆になります。
昔の息がいまも届く理由は、2つだけ
静かに吸うひと息は、およそ0.5リットルです。その中には、1.2のあとに0を22個つけた数の分子が入っています。どれだけ薄めても、元の数が大きすぎて「ゼロ」になりきりません。
吐いた息は風に運ばれ、1年ほどで北半球から南半球まで行き渡るとされます。空気の8割近くを占める窒素の分子は、何百万年もほとんど形を変えずに漂い続けます。
「たくさんある」と「まんべんなくまざる」。この2つがそろうと、昔の誰かのひと息は、地球の空気にうすく均一に溶け込んだまま残ります。順に数で見ていきます。
ひと息の分子の数と、地球が「ひと息何回ぶん」かが、同じくらい
まず、ひと息の中の分子を数えます。気体は、種類によらず「同じ温度・同じ圧力・同じ体積なら、分子の数も同じ」という性質があります。この性質を使うと、0.5リットルの空気には約1.2に0を22個つけた数の分子があると計算できます。
次に、地球の空気全体を「ひと息0.5リットル」に小分けすると、何回ぶんになるかを数えます。空気全体の重さは、およそ510京トンとされます。これを分子の数に直し、ひと息ぶんの分子の数で割ると、約8.8に0を21個つけた回数になります。
図1を見てください。上の「ひと息の中の分子の数」と、下の「地球の空気はひと息何回ぶんか」が、目盛りの上でほぼ同じ位置に並んでいます。
この2つが同じくらいだと、何が起きるのでしょう。昔のある1回のひと息が、地球の空気に均一にまざったとします。すると、いまのひと息に入っている「その息の分子」は、次のように見積もれます。
ひと息の分子の数を、地球の空気のひと息の回数で割ります。1.2に0が22個の数を、8.8に0が21個の数で割ると、約1.4個です。どの時代の、誰のどのひと息でも、1〜2個ずつまざっている計算です。
一生ぶんの呼吸で考えると、数はさらに増えます。人は一生で約5.5億回呼吸するとされます。すると、1000年前に生きたある1人が一生で吐いた分子は、いまのあなたのひと息に約7億個もまざっていることになります。
空気は、どれくらいの速さで地球全体にまざるの?
この計算は「よくまざっている」ことが前提です。では、吐いた息はどのくらいで地球全体に広がるのでしょうか。
図2を見てください。空気は、東西方向には速く、南北方向にはゆっくりまざります。同じ緯度の帯を一周するのは2週間ほどとされます。北半球全体に広がるのには1〜2か月です。赤道をはさんだ南北のあいだでは空気の行き来が少なく、南半球まで行き渡るには1年ほどかかるとされます。
つまり、数年より前の人の息なら、もう地球全体にほぼ均一にまざっています。ここで大事なのが、分子そのものが壊れないことです。空気の約78%を占める窒素と、約1%のアルゴンは、ほとんど化学変化を起こしません。何百年たっても、同じ分子のまま漂っています。
一方、酸素と二酸化炭素は、植物や海とたえず出入りしています。だから、昔の息の酸素がそのまま残っているとは言えません。それでも窒素とアルゴンだけで8割近くあるので、「1〜2個」という見積もりの大すじは変わりません。
ひと息の中の分子を、1秒に1個のペースで数えていくとします。数え終わるまでには、宇宙が始まってから今までの時間の、約3万倍かかります。図1で、宇宙の秒数(0が17個)とひと息の分子(0が22個)のあいだに、0が5個ぶんの差があるのはそのためです。
コップ1杯の水に入っている水の分子の数は、地球の海の水がコップ何杯ぶんになるかより、ずっと多いとされます。海に流した1杯の水の分子も、よくまざったあとなら、あなたが汲んだコップ1杯に1000個以上入っている計算です。
まとめ
ひと息の中の分子の数は、1.2に0を22個つけたほど。地球の空気をひと息ぶんずつに分けた回数も、ほぼ同じくらいです。空気は数年で地球全体にまざり、窒素やアルゴンの分子は壊れずに残ります。そのため、昔の誰かが吐いたどのひと息の分子も、いまのあなたのひと息に1〜2個ずつ入っていると見積もれます。
空気は、世界中の人が何千年も
かわるがわる吸っては吐いてきた、ひとつの共有物です。
空気の中の、ほんのわずかな成分が大きな働きをする話は空気の0.04%しかない二酸化炭素で、なぜ気温が変わるの?で、空気の1%を占める成分が見落とされてきた話はアルゴンは、なぜ100年以上も見つからなかったの?で読めます。
- 時計を見ながら、ふだんどおりに1分間の呼吸の回数を数えます。大人ならおよそ12〜20回です。
- その回数に、1日の分数(1440)と、1年の日数(365)をかけます。自分が1年で何回呼吸しているかが分かります。
- 部屋の隅で、香りのあるハンドクリームのふたを開けます。反対側の隅にいる人が、何秒後に気づくかを計ります。次に扇風機を回して、もう一度計ります。
風がないと、においはなかなか届きません。分子が自分で動くだけでは、まざるのはとても遅いのです。風がかき混ぜると、一気に早くなります。地球の空気が数年でまざるのも、大きな風の流れがかき混ぜているからです。
もっと知りたい人へ ― 用語・数式・教科書とのつながり中学理科から大学の専門科目まで、どのレベルの話かを明示しています
- 中学中学校の理科で習う範囲
- 高校高校の「化学基礎」「化学」で習う範囲
- 高校+高校の発展、または教科書のコラム扱いの内容
- 大学高校では習わない、大学の専門科目(確率統計・大気化学)の内容
- 研究大学でも「定説」として教わらない、いま研究者が調べている最中の話
中学用語:この現象には名前があります
- 分子:物質の性質をもつ、いちばん小さなつぶ。空気は、窒素の分子・酸素の分子などがばらばらに飛び回っている状態です。
- アボガドロの法則:同じ温度・同じ圧力・同じ体積の気体には、種類によらず同じ数の分子が入っている、という法則です。
- 大気の循環:地球をめぐる大きな風の流れ。東西方向には速く、南北方向にはゆっくり空気を運びます。
中学高校式で確かめる:昔のひと息の分子は、いまのひと息にいくつ入っている?
大きな数は、そのままでは計算しにくいので、「10の何乗」を単位にして計算します。たとえば「10の23乗個」を1単位とすると、0.12単位は1.2に0を22個つけた数です。
| 記号で書くと | N = ( V ÷ Vm ) × NA k = N × ( N ÷ Na ) |
| 言葉で書くと | ひと息の分子の数 = (ひと息の体積 ÷ 1モルの気体の体積)× アボガドロ定数。昔のひと息の分子が入っている数 = ひと息の分子の数 ×(ひと息の分子の数 ÷ 地球の空気全体の分子の数) |
| どこから来る式か | 前半はアボガドロの法則(気体の体積は分子の数に比例)。後半は「よくまざれば、どこをすくっても割合は同じ」という均一混合の考え方。昔のひと息が空気全体に占める割合を、いまのひと息の分子の数にかけています |
記号の意味:N はひと息の分子の数、V はひと息の体積(リットル)、Vm は1モルの気体の体積(リットル)、NA はアボガドロ定数、Na は地球の空気全体の分子の数、k は昔のある1回のひと息の分子が、いまのひと息に入っている数です。
| 静かに吸うひと息の体積 | およそ 0.5 リットル |
| 1モルの気体の体積(25℃・1気圧) | およそ 24.5 リットル |
| アボガドロ定数 | 1モルあたり 約6.0(10の23乗個を1単位として) |
| 地球の空気全体の重さ | 約51(10の20乗グラムを1単位として。約510京トン) |
| 空気1モルの重さ(平均) | 約29 グラム |
| 一生の呼吸の回数(1分15回で70年) | 約5.5億回 |
| ひと息は何モルか | 0.5 ÷ 24.5 ≒ 0.020 |
| ひと息の分子の数(10の23乗個を1単位) | 0.020 × 6.0 = 0.12 |
| 地球の空気は何モルか(10の20乗モルを1単位) | 51 ÷ 29 ≒ 1.76 |
| 地球の空気全体の分子の数(10の43乗個を1単位) | 1.76 × 6.0 ≒ 10.6 |
| 地球の空気はひと息何回ぶんか(10の21乗回を1単位) | 10.6 ÷ 1.2 ≒ 8.8 |
| 昔のある1回のひと息の分子が、いまのひと息に入っている数(ひと息の分子を10の21乗個単位で12として) | 12 ÷ 8.8 ≒ 1.4 |
| 昔のある1人が一生で吐いた分子が、いまのひと息に入っている数(億個) | 1.4 × 5.5 ≒ 7.7 |
ひと息の分子の数(1.2に0が22個)と、地球の空気のひと息の回数(8.8に0が21個)がほぼ同じなので、割ると1前後になります。このうち窒素とアルゴンだけに限っても約8割が残るので、一生ぶんなら約6億個です。
高校高校+物質量と、南北でずれる二酸化炭素
高校化学基礎では、粒の数を「物質量(モル)」で数えます。1モルは6.02214076に0を23個つけた数の粒で、2019年からこの値そのものが定義になりました。気体1モルの体積は、0℃・1気圧で約22.4リットル、25℃では約24.5リットルです。
高校+空気が南北にゆっくりまざることは、二酸化炭素の観測にも表れています。二酸化炭素は北半球で多く出されるため、北半球の濃度は南半球より少し高くなります。南北の差が消えないのは、赤道をはさんだ行き来に1年ほどかかるからだと考えられています。
大学「平均1.4個」は、毎回ちょうど1.4個ではない
昔のひと息の分子が、いまのひと息に何個入るかは、毎回ばらつきます。めったに起きないことを、たくさんの回数で数えたときのばらつきは、ポアソン分布で表されます。平均が1.4個のとき、1個も入っていない確率は約25%です。つまり、4回に3回ほどは、少なくとも1個入っています。また、大気化学では、ある分子が大気にとどまる平均の時間を「滞留時間」と呼びます。窒素では何百万年以上とされる一方、酸素では数千年ほどと見積もられています。
📖 式の導出や、さらに先の内容:アボガドロ定数(ウィキペディア) / ポアソン分布(ウィキペディア)
研究まだはっきりとはわかっていないこと
- 上空の空気の「年齢」は? 成層圏の空気が地上を離れてから何年たっているかは、観測と計算で数年と見積もられています。ただし、温暖化で大気の流れが変わり、この年齢が変化しているかどうかは、研究者のあいだで議論が続いています。
- 海や土との出入りはどれくらい? 窒素も、ごく一部は海に溶けたり、微生物に取り込まれたりしています。一つひとつの分子が、どれだけの時間を空気の外で過ごすのかは、まだ精密には分かっていません。
- 本当に「均一」なのか? 都市の上や谷の底など、空気が入れ替わりにくい場所もあります。細かい場所ごとのまざり方を正確に計算するのは、今も難しい課題です。
つまりこの記事の内容も、「いまわかっている範囲での説明」です。「1〜2個」は、よくまざった場合の平均としての見積もりです。
教科書とのつながり(レベル別)
| レベル | 科目・単元 | この記事のどこ |
|---|---|---|
| 中学 | 理科1分野「物質のすがた」・2分野「気象とその変化」 | 分子、空気の成分、大きな風の流れ |
| 高校 | 化学基礎「物質量」 | モル、アボガドロ定数、気体1モルの体積 |
| 高校+ | 地学「大気の循環」 | 南北の二酸化炭素の差 |
| 大学 | 確率統計・大気化学 | ポアソン分布、滞留時間 |
| 研究 | 大気輸送・物質循環 | 空気の年齢、分子の出入り |
| ― | 生活とのつながり | 換気と空気のまざり方、大きな数の感覚 |
- 国際度量衡局『国際単位系(SI)』第9版(2019年)― アボガドロ定数の定義値
- 国立天文台 編『理科年表』丸善出版 ― 大気の組成と質量
- Sam Kean, Caesar's Last Breath: Decoding the Secrets of the Air Around Us, Little, Brown and Company, 2017
- 気象庁「二酸化炭素濃度の経年変化」
- ウィキペディア「アボガドロ定数」
※本記事は一般向けの科学解説です。掲載した数値は、しくみを理解するための目安・概算です。空気がよくまざったと仮定した平均の見積もりで、場所や時期によって実際の数はばらつきます。