息は、なぜ1分も止めていられないの?
― 苦しさをつくっているのは、酸素ではありません
息を止めていると、だんだん胸が苦しくなって、最後は我慢できなくなります。多くの人は「酸素が足りなくなったからだ」と思っています。ところが、そのとき体の中の酸素は、まだ8割以上残っています。苦しさの正体は、出ていけずにたまった二酸化炭素のほうです。そしてこの勘違いは、水の中では命に関わります。
子どものころ、友だちと「どれだけ長く息を止められるか」を競ったことはありませんか。
30秒をすぎたあたりから胸がざわざわしはじめ、のどの奥が勝手に動きます。1分に届く前に、たいていの人は息をしてしまいます。
でも、そのとき本当に酸素は残っていなかったのでしょうか。じつは、ぜんぜん残っています。
体が見張っているのは、たった2つです
肺と血液の中には、安静にしていれば数分もつだけの酸素がたくわえられています。1分止めたくらいでは、ほとんど減りません。だから酸素不足は、まだ起きていないのです。
体は休んでいるあいだも、二酸化炭素を作り続けています。息を止めると出口がふさがり、血液の中にたまります。この「たまり具合」を脳が見張っていて、苦しさとして知らせてきます。
つまり苦しさは、燃料切れの警告ではなく、ごみがあふれた警告です。この2つを順番に見ていきます。
酸素は、1分ではほとんど減りません
大人の体には、肺の中の空気や血液にとけた分をあわせて、1リットル以上の酸素がたくわえられているとされています。いっぽう、静かに座っているときに体が使う酸素は、1分あたり0.25リットルほどです。
単純に割り算すれば、数分ぶんの余裕があることになります。実際、1分息を止めても、たくわえの8割以上はまだ残っています。それなのに私たちは、1分ももちません。
この時間の変化を図1にまとめました。減っていく線と、上がっていく線を見くらべてください。
二酸化炭素は、血液を少しだけ酸っぱくします
体は、食べたものを燃やしてエネルギーを取り出しています。そのときに必ず出てくるのが二酸化炭素です。息を止めているあいだも、この生産は止まりません。
たまった二酸化炭素は、血液の水にとけて炭酸になります。炭酸は弱い酸なので、血液はほんの少しだけ酸性に傾きます。脳の底にある見張り役の細胞は、この傾きをとても敏感に感じ取ります。
そして「早く吐き出せ」という命令を出します。胸がざわつく感じや、のどが勝手に動く感じは、その命令そのものです。呼吸のリズムをふだん決めているのも、酸素の量ではなく、この二酸化炭素の濃さのほうだとされています。
首の太い血管が分かれるところには、酸素の少なさを感じる見張り役もあります。ただしこちらは、酸素がかなり減ってから強く働きます。高い山に登ったときに呼吸が速くなるのは、この見張り役のしわざです。ふだんの生活では、二酸化炭素の見張り役のほうがずっと先に反応します。
この勘違いが、水の中では危険になります
ここからが、いちばん大事な話です。息を止める前に、わざと何度も深く速く呼吸をする人がいます。長く潜れるようになる、という言い伝えがあるからです。
たしかに、長く止めていられるようにはなります。ただしそれは、酸素が増えたからではありません。深く速い呼吸で追い出されるのは二酸化炭素のほうで、酸素のたくわえはほとんど増えないのです。
結果として、苦しさを知らせる警報だけが鳴らなくなります。図2のように、二酸化炭素が限界に届く前に、酸素のほうが先に足りなくなります。そして人は、苦しさを感じないまま、水の中で意識を失うことがあります。
じゃあ、どうすればいいの?
- 息を長く止める遊びを、水の中でしない陸の上なら、たとえ気を失っても倒れるだけです。水の中だと、まったく別のことになります
- 潜る前に、何度も深く速く呼吸しない苦しさの合図を消してしまうだけで、酸素は増えません
- どれだけ長く潜れるかを、友だちと競わない静かに沈んでいく人は、もがきません。まわりも気づきにくいのです
まず大きな声で助けを呼び、119番に通報してください。自分から水へ飛び込まないでください。助けようとした人が、いっしょに危険になる事故が毎年起きています。岸から手の届く距離でなければ、まず浮くもの(ペットボトル、クーラーボックス、浮き輪など)を投げます。流れの速い場所や深い場所には近づかず、監視員や消防の指示に従ってください。
まとめ
息を止めたときの苦しさは、酸素が尽きた合図ではありません。出ていけなくなった二酸化炭素が血液を少しだけ酸性に傾け、脳がそれを感じ取って鳴らしている警報です。だから、警報のほうを先に消してしまうことができてしまいます。消えた警報は、危険がなくなったことを意味しません。
苦しさは、酸素切れの合図ではありません。
二酸化炭素という「ごみ」が、あふれた合図です。
体の中の気体をめぐる話としては、クジラは1時間も潜れるのに、人はなぜゆっくりしか浮上できないの?や、高山病は、なぜ標高を上げただけで起きるの?もあわせて読むと、呼吸というしくみの全体像が見えてきます。
- いすに座り、ふつうに息を吐いたところで止め、苦しくなるまでの秒数を数えます。だいたい30〜60秒でしょう。
- 1分ほど休みます。次は、同じことを軽く手足を動かしながらやってみます。秒数はさほど変わりません。苦しさは、筋肉ではなく血液の状態で決まっているからです。
- また休みます。最後に、大きく息を吸ってから止めます。肺の空気は増えたのに、のびる時間はせいぜい数十秒です。酸素を足しても、あまり延びないことが体感できます。
深く速い呼吸を何度もくり返してから止める、という試し方だけは、絶対にしないでください。陸の上でも、気を失って転ぶことがあります。体調の悪いときや、心臓・肺に持病のある方は、この観察自体を行わないでください。
もっと知りたい人へ ― 用語・数式・教科書とのつながり中学理科から大学の専門科目まで、どのレベルの話かを明示しています
- 中学中学校の理科で習う範囲
- 高校高校の「化学基礎・生物基礎」で習う範囲
- 高校+高校の発展、または教科書のコラム扱いの内容
- 大学高校では習わない、大学の専門科目(生理学・生化学)の内容
- 研究大学でも「定説」として教わらない、いま研究者が調べている最中の話
中学用語:この現象には名前があります
- 炭酸:二酸化炭素が水にとけてできる、弱い酸のこと。血液の中でも同じことが起きています。
- 化学受容器:血液の成分の変化を感じ取る、見張り役の細胞のこと。脳の底と、首の血管の分かれ目にあります。
- 過換気:必要よりも多く息をして、二酸化炭素を出しすぎている状態のこと。手足のしびれが出ることもあります。
- 失神:脳へ届く酸素が足りなくなり、短いあいだ意識がなくなること。水の中で起きると助かりにくくなります。
中学高校式で確かめる:1分止めても、酸素はどれだけ残っているか
「苦しい=酸素切れ」という思い込みが本当かどうかは、簡単な引き算で確かめられます。使う記号の意味は次のとおりです。単位はリットル(体積)と分(時間)だけです。
| V | 体にたくわえられている酸素の体積。単位はリットル |
| R | 1分あたりに体が使う酸素の体積。単位はリットル毎分 |
| T | 息を止めていた時間。単位は分 |
| 肺と血液にたくわえられた酸素 V | およそ 1.5 リットルとされる |
| 安静時に1分で使う酸素 R | およそ 0.25 リットル毎分とされる |
| 息を止めていられる時間 T | ふつう 1 分ほど |
| 1分で使われた酸素 | 0.25 × 1 = 0.25 |
| 1分後に残っている酸素 | 1.5 - 0.25 = 1.25 |
| 残っている割合 | 1.25 ÷ 1.5 ≒ 0.83 |
| たくわえを使い切るまでの時間 | 1.5 ÷ 0.25 = 6 |
1分たった時点で、酸素はまだ8割以上残っています。単純に割れば6分ぶんの余裕がある計算です。それなのに1分でギブアップするのですから、苦しさの原因が酸素でないことは明らかです。なお、これは静かに座っている場合の目安です。体を動かしていれば、使う量は何倍にもなります。
高校高校+なぜ二酸化炭素のほうが「速い」のか
高校酸素は、赤血球の中のヘモグロビンにしっかり結びついて運ばれます。だから血液は、たくさんの酸素を積んでおけます。いっぽう二酸化炭素は、その多くが水にとけて炭酸となり、さらに水素イオンと炭酸水素イオンに分かれて運ばれます。
高校+このとき出てくる水素イオンが、血液の酸性の強さを直接左右します。血液の酸性の強さは、ふだんごくせまい範囲に保たれています。ほんのわずかな変化でも、体にとっては大きな異常信号になるのです。酸素のほうは、たくわえが半分近くまで減っても、ヘモグロビンの性質のおかげで組織へ渡す量があまり落ちません。感じにくいのは、そのためでもあります。
大学呼吸を決めているのは、脳の底にある見張り役
脳の底の部分には、まわりの液の酸性の強さを感じる中枢の化学受容器があります。二酸化炭素は脂にとけやすく、脳を守る関門をすばやく通り抜けます。通り抜けたあとで炭酸に変わり、まわりを酸性に傾けます。受容器はこれを検知し、呼吸を強める指令を出します。首の血管の分かれ目にある末梢の化学受容器は酸素の不足に反応しますが、こちらが強く働くのは酸素がかなり減ってからです。この2段構えが、ふだんは安全側に働きます。深く速い呼吸は、その先に立っている見張りだけを眠らせてしまう行為だといえます。
研究まだはっきりとはわかっていないこと
- 「息が苦しい」という感覚そのもの 息苦しさは、受容器の信号だけで決まるのではなく、脳のいくつもの領域がかかわる複雑な感覚だと考えられています。同じ血液の状態でも、人によって感じ方が違う理由は、まだ十分にわかっていません。
- 海に潜る人たちの体の変化 素潜りを仕事や競技にしている人は、ふつうの人よりずっと長く息を止められます。訓練で見張り役の感度そのものが変わるのか、我慢する力のほうが変わるのかは、いまも調べられています。
- くり返す低酸素の影響 短い低酸素をくり返し経験することが、脳や心臓に長い目で見てどう影響するのかは、はっきりした結論が出ていません。安全側に立つなら、あえてくり返さないほうがよいと考えられています。
つまりこの記事の内容も、「いまわかっている範囲での説明」です。ただし、水の中で息を止める遊びが危険だという点については、すでに多くの事故が知られています。
教科書とのつながり(レベル別)
| レベル | 科目・単元 | この記事のどこ |
|---|---|---|
| 中学 | 理科・呼吸と血液の循環 | 酸素と二酸化炭素が入れかわる話 |
| 高校 | 生物基礎・体内環境の維持/化学基礎・酸と塩基 | 二酸化炭素が炭酸になり、血液が酸性に傾く話 |
| 高校+ | 生物・ヘモグロビンと酸素の結びつき | 酸素が減っても感じにくい理由 |
| 大学 | 生理学・呼吸調節/酸と塩基のつりあい | 中枢と末梢の化学受容器の役割分担 |
| 研究 | 呼吸生理学・感覚の神経科学 | 息苦しさという感覚の成り立ち |
| ― | 生活とのつながり | 水辺での息止め遊びを避ける、救助では飛び込まない |
- 日本赤十字社「安全法・水の事故の防止」
- 総務省消防庁(救急・水難事故に関する広報資料)
- ガイトン・ホール『医学生理学テキスト』呼吸の調節の章(化学受容器と二酸化炭素による呼吸調節)
- 本間研一 監修『標準生理学』呼吸調節・酸と塩基のつりあいの章
- 日本蘇生協議会『救急蘇生法の指針』(水の事故にあった人への対応と通報の手順)
※本記事は一般向けの科学解説です。掲載した数値は、しくみを理解するための目安・概算です。水辺での事故防止や救助の方法については、消防・自治体・監視員等の指示に従ってください。体調に不安のある方は、本記事の観察を行わないでください。