血には鉄が入っているのに、なぜ磁石にくっつかないの?
― 鉄の原子は1個ずつ閉じこめられ、血はむしろ磁石をわずかに押し返します
「血が赤いのは鉄が入っているから」。これは本当です。でも「だから強い磁石なら血を引き寄せられる」と考えると、それは誤解です。鉄が磁石にくっつくのは、鉄という「元素」の性質ではありません。原子がびっしり並んで向きをそろえる、という「並び方」の性質なのです。
紙で指先を切って、小さな血の玉がぷくっと出てきました。血の味は、どこか鉄っぽい気がします。
そういえば、学校で「血の中には鉄がある」と習いました。冷蔵庫の強い磁石を近づけたら、血の玉は引き寄せられて動くのでしょうか。
試しても、何も起きません。体じゅうに鉄が流れているなら、病院の大きな磁石の装置に入ったら、血が引っぱられたりしないのでしょうか。
くっつかない理由は2つだけ
釘の鉄は、原子どうしがびっしり触れ合い、小さな磁石の向きを一斉にそろえます。血の鉄は、大きなたんぱく質の中に1個ずつ閉じこめられています。仲間と手をつなげないので、向きをそろえられません。
水は、磁石をほんのわずかに押し返す性質を持っています。血の鉄がわずかに引き寄せられる分は、この押し返しに負けます。血は全体として、磁石からほんの少し逃げる側なのです。
どちらも「鉄なら必ず磁石につく」という思いこみを外すと見えてくる話です。順番に見ていきましょう。
鉄が磁石につくのは、原子が「チーム」を組むから
原子の1個1個は、目に見えないほど小さな磁石になっていることがあります。鉄の原子もそうです。ただし、原子1個の磁石はとても弱く、向きもすぐに乱れてしまいます。
釘や鉄板の中では、鉄の原子がすき間なく並んでいます。隣り合った原子どうしは、たがいの向きをそろえ合う強い力をおよぼします。そのため、何兆個もの原子が同じ向きにそろった「区画」ができます。磁石を近づけると、この区画がまとめて向きを合わせます。だから釘は、強く引き寄せられるのです。
血の鉄は、ヘモグロビンという大きなたんぱく質の中にあります。ヘモグロビン1個に、鉄の原子はたった4個です。しかもその4個は、たがいに遠く離れています。隣の鉄と向きをそろえ合うことができないので、「チーム」が作れません。図1の左と右を見比べてください。
体にある鉄は、大人でぜんぶ合わせて3〜4グラムほどとされます。そのうち3分の2ほどが血の中のヘモグロビンにあります。量でいえば、小さな釘1本ぶんくらいです。たとえこの量の鉄でも、釘の形に固まっていれば磁石にくっつきます。体の中で5リットルの血に溶けこみ、原子1個ずつに分かれていることが、決定的な違いなのです。
水は、磁石をわずかに押し返している
もう一つの理由は、血の大部分が水だということです。水は、磁石にくっつかないだけではありません。強い磁石を近づけると、ほんのわずかに押し返されます。これは水だけでなく、ほとんどの物に共通する性質です。原子の中の電子が、磁石の力に逆らう向きに動きを変えるために起こります。
では、血の鉄は少しも引き寄せられないのでしょうか。実は、酸素を手放したあとのヘモグロビン(静脈を流れる血に多い)は、磁石にわずかに引き寄せられます。酸素をつかんでいるあいだは、引き寄せられません。それでも、水の押し返しのほうがずっと大きいのです。そのため、動脈の血も静脈の血も、全体としては磁石からほんの少し逃げる側になります。
どれくらい弱いのかを、図2で動かして確かめてください。つまみで磁石の強さを変えると、血1リットルにかかる「重さ」と、磁石が「押し返す力」の大きさが比べられます。
冷蔵庫に使うような強い磁石でも、押し返す力は血の重さの約1%です。指先の血の玉がぴくりとも動かないのは、このためです。血を浮かせるには、その90倍ほど強い磁石の装置が必要になります。実際にそうした装置で、水を多く含む生きたカエルが宙に浮いた実験があります(水は磁石に反発するって本当?)。
酸素を持った血と、手放した血とで、磁石への反応がわずかに違う。これを最初に測ったのは、化学者のライナス・ポーリングたちで、1936年のことです。それから約50年後、日本の小川誠二さんたちがこの差に目をつけました。MRI(病院の大きな磁石の装置)で、脳のどこで酸素が使われているかを写し出せることを示したのです。いまでは「脳のどこが働いているか」を調べる標準的な方法になっています。
MRIの強い磁石は、体の血を引っぱることはありません。危ないのは、ポケットの鍵やヘアピンなど、原子がびっしり並んだ鉄の小物です。これらは装置に向かって勢いよく飛ぶことがあります。検査の前に金属を外すよう言われるのは、このためです。
まとめ
血には確かに鉄があります。でもその鉄は、ヘモグロビンの中に1個ずつ離れて閉じこめられています。原子どうしが手をつないで向きをそろえられないので、釘のように磁石につくことはありません。さらに血の大部分は水で、水は磁石をわずかに押し返します。そのため血は全体として、磁石からほんの少し逃げる側です。
磁石につくかどうかを決めるのは、
鉄があるかどうかより、鉄がどう並んでいるかです。
水が磁石に押し返される話をもっと知りたい人は、水は磁石に反発するって本当?も読んでみてください。磁石の中で原子の向きがどうそろっているかは、磁石を半分に割ったら、N極だけの磁石ができるの?で詳しく紹介しています。
- ストローの両端にブドウを1粒ずつ刺し、真ん中を糸でつるすか、ひっくり返したコップの底の上に乗せて、水平につり合わせます。
- 風の当たらない場所で、ブドウがぴたりと止まるまで待ちます。
- 強いネオジム磁石を、片方のブドウに触れない距離までそっと近づけます。ブドウはゆっくりと、磁石から逃げるように回り始めます。
ブドウの中身はほとんど水なので、血と同じように磁石をわずかに押し返します。動きはとてもゆっくりなので、根気よく見てください。ネオジム磁石は指をはさむほど強く引き合うので、2個を近づけないこと。小さな子どもが飲みこまないよう、手の届かない所に保管してください。
もっと知りたい人へ ― 用語・数式・教科書とのつながり中学理科から大学の専門科目まで、どのレベルの話かを明示しています
- 中学中学校の理科で習う範囲
- 高校高校の「物理」「化学」「生物」で習う範囲
- 高校+高校の発展、または教科書のコラム扱いの内容
- 大学高校では習わない、大学の専門科目(電磁気学・物性物理学・生物物理化学)の内容
- 研究大学でも「定説」として教わらない、いま研究者が調べている最中の話
中学用語:この現象には名前があります
- 強磁性(きょうじせい):鉄・ニッケル・コバルトの金属のように、原子の小さな磁石が隣どうしで向きをそろえ、磁石に強く引き寄せられる性質。
- 常磁性(じょうじせい):原子1個1個は小さな磁石だが、向きをそろえ合う仲間がいないため、磁石にごくわずかだけ引き寄せられる性質。酸素を手放したヘモグロビン(脱酸素ヘモグロビン)がこれにあたります。
- 反磁性(はんじせい):磁石にごくわずかに押し返される性質。水、ブドウ、人の体の大部分がこれにあたります。
- ヘモグロビン:赤血球の中にあり、酸素を運ぶたんぱく質。1個に鉄の原子を4個持ち、この鉄が酸素をつかみます。
中学高校式で確かめる:磁石は血をどれくらいの力で押し返すのか
まず、血1リットルに鉄がどれくらいあるかを見積もります。次に、強い磁石が血を押し返す力を、血の重さと比べます。
| 記号で書くと | f = ( |χ| ÷ μ0 ) × B × ( dB/dz ) 、 浮く条件は f = ρ × g |
| 言葉で書くと | 体積あたりの押し返す力 = 磁化率の大きさ ÷ 真空の透磁率 × 磁場の強さ × 磁場の傾き。これが「密度 × 重力加速度」(体積あたりの重さ)に届けば浮く |
| どこから来る式か | 磁石の中にある物は、磁場が強いほうへ(反磁性なら弱いほうへ)動くとエネルギーが下がる。そのエネルギーを位置で微分したものが力になる。磁場が一様だと傾きが0なので、どんなに強くても力ははたらかない |
| 記号の意味と単位 | χ:磁化率(単位なし)、μ0:真空の透磁率(テスラ×メートル÷アンペア)、B:磁場の強さ(テスラ)、dB/dz:磁場の傾き(テスラ毎メートル)、ρ:密度(キログラム毎立方メートル)、g:重力加速度(メートル毎秒毎秒) |
| 血液の磁化率の大きさ(水とほぼ同じとされる) | 0.000009 |
| 真空の透磁率 | 0.00000126 |
| 強いネオジム磁石の表面近くの磁場(目安) | 0.4 テスラ |
| 同じく磁場の傾き(1cmで0.4テスラ下がるとした目安) | 40 テスラ毎メートル |
| 血の密度 | 1060 キログラム毎立方メートル |
| ヘモグロビン1個の重さ(1モルあたり) | およそ 64500 グラム |
| 鉄1モルの重さ | 55.8 グラム |
| 血1リットルのヘモグロビン(目安) | 150 グラム |
| ヘモグロビン1モルの中の鉄 | 4 × 55.8 = 223.2 グラム |
| ヘモグロビンの重さのうち鉄の割合 | 223.2 ÷ 64500 ≒ 0.00346 |
| 血1リットルの鉄 | 150 × 0.00346 ≒ 0.52 グラム |
| 体じゅうの血(5リットル)の鉄 | 0.52 × 5 = 2.6 グラム |
| 磁場 × 磁場の傾き | 0.4 × 40 = 16 |
| 磁化率の大きさをかける | 16 × 0.000009 = 0.000144 |
| 真空の透磁率でわる(押し返す力、ニュートン毎立方メートル) | 0.000144 ÷ 0.00000126 ≒ 114 |
| 血1立方メートルの重さ(ニュートン) | 1060 × 9.8 = 10388 |
| 押し返す力 ÷ 重さ | 114 ÷ 10388 ≒ 0.011 |
| 浮かせるのに要る「磁場×傾き」(その1) | 10388 × 0.00000126 ≒ 0.01309 |
| 浮かせるのに要る「磁場×傾き」(その2) | 0.01309 ÷ 0.000009 ≒ 1454 |
| 冷蔵庫の磁石の何倍か | 1454 ÷ 16 ≒ 91 |
血1リットルの鉄は約0.5グラムで、体じゅうでも小さな釘1本ほどです。強いネオジム磁石でも、押し返す力は血の重さの約1.1%にとどまります。血を浮かせるには、その約90倍の「磁場×傾き」が必要です。これは研究所の特別な電磁石でようやく届く強さです。
高校高校+電子の「自転」と、ペアになるかどうか
高校原子の小さな磁石のもとは、電子です。電子は1個ずつ小さな磁石の性質を持っています。ふつう電子は向きが逆の2個でペアを組み、磁石の性質を打ち消し合います。ペアを組めずに余った電子があると、その原子は小さな磁石になります。
高校+ヘモグロビンの鉄は2価の鉄イオンです。酸素を手放した状態では、ペアを組まない電子を4個持ちます。このため常磁性を示します。酸素をつかむと電子の配置が変わり、余った電子の磁石は外から見えなくなります。ポーリングとコリエルは1936年、この違いを磁気の測定で示しました。
大学交換相互作用と磁化率
強磁性が生まれるのは、隣り合う原子の電子のあいだに交換相互作用がはたらき、向きをそろえたほうがエネルギーが低くなるためです。その結果、磁区と呼ばれる向きのそろった区画ができます。ヘモグロビンの鉄どうしは離れすぎていて、交換相互作用がほぼはたらきません。そのため、ばらばらの磁石の集まりとしてキュリーの法則に従う常磁性になります。体積磁化率で見ると、静脈血は動脈血よりわずかに反磁性が弱い程度です。この差がMRIの信号に現れる現象はBOLD効果(血中酸素濃度に依存する信号)と呼ばれ、機能的MRIのもとになっています。
📖 式の導出や、さらに先の内容:常磁性(ウィキペディア) / 強磁性(ウィキペディア)
研究まだはっきりとはわかっていないこと
- 脳の信号と、神経の活動の結びつき。 機能的MRIで写るのは、血の酸素の変化です。それが神経の活動とどれくらい正確に対応するのかは、いまも研究が続いています。
- 生き物の「磁気センサー」。 渡り鳥などが地球の磁場を感じるしくみは、目の中の分子の反応とする説や、体内の磁性の粒とする説があり、決着していません。
- 強い磁場の中での血の流れ。 非常に強い磁場の中では、流れる血に電気が生じて流れ方がわずかに変わることが知られています。より強いMRI装置で、体にどこまで影響が出るかは調べられている最中です。
つまりこの記事の内容も、「いまわかっている範囲での説明」です。ただし「血は磁石にくっつかない」という結論そのものは、何十年もの測定で確かめられています。
教科書とのつながり(レベル別)
| レベル | 科目・単元 | この記事のどこ |
|---|---|---|
| 中学 | 理科「磁界」「血液のはたらき」 | 磁石につく物・つかない物、赤血球が酸素を運ぶこと |
| 高校 | 物理「磁場」、化学「電子配置」、生物「酸素の運搬」 | 電子のペアと磁石の性質、ヘモグロビンの鉄 |
| 高校+ | 化学の発展「錯体」 | 酸素の有無で鉄の電子配置が変わること |
| 大学 | 電磁気学・物性物理学・生物物理化学 | 交換相互作用、磁区、キュリーの法則、BOLD効果 |
| 研究 | 脳科学・生物の磁気感覚 | 機能的MRIの解釈、渡り鳥の磁気センサー |
| ― | 生活とのつながり | MRI検査の前に金属を外す理由、脳の働きを調べる検査 |
- Pauling, L. & Coryell, C. D. (1936) The Magnetic Properties and Structure of Hemoglobin, Oxyhemoglobin and Carbonmonoxyhemoglobin. PNAS 22, 210–216.
- Ogawa, S., Lee, T. M., Kay, A. R. & Tank, D. W. (1990) Brain magnetic resonance imaging with contrast dependent on blood oxygenation. PNAS 87, 9868–9872.
- Berry, M. V. & Geim, A. K. (1997) Of flying frogs and levitrons. European Journal of Physics 18, 307–313.
- 近角聰信『強磁性体の物理(上)』裳華房
- 常磁性 - ウィキペディア
※本記事は一般向けの科学解説です。掲載した数値は、しくみを理解するための目安・概算です。体内の鉄の量や血液の成分には個人差があります。MRI検査では、医療機関の指示に従ってください。