クモの巣は、なぜ雨や風で壊れないの?
― 強いからではなく、大きく伸びるからです
髪の毛よりずっと細い糸を、すきまだらけに張っただけ。それなのにクモの巣は、強い風にあおられても、雨つぶを浴びても、朝になるとちゃんと残っています。その理由は「がんじょうに固めたから」ではありません。むしろ逆で、よく伸びて、力を受け流しているからです。
雨あがりの朝、庭の植え込みに、水玉のついたクモの巣がかかっています。ゆうべはあんなに風が吹いて、雨も降ったはずです。
指でそっと押すと、網はぐにゃりとへこみます。少しも固くありません。それなのに、破れずに元へ戻ります。
固くないのに壊れない。この「へこむこと」こそが、答えの入り口です。
理由は、大きく2つだけです
クモの糸は、切れるまでに元の長さの3割から4割ほど伸びるとされています。長い距離をかけて受け止めるので、かかる力そのものが小さくなります。
風はほとんどすきまを通り抜けます。おまけに糸が1本切れても、力はまわりの糸へ散っていき、被害はそこで止まります。
どちらも「固くしない」という同じ考え方から来ています。順番に見ていきましょう。
受け止める距離が長いほど、力は小さくなる
飛んでいる虫が網に飛び込むとき、虫は動きのいきおいを持っています。網はそれを止めなければなりません。このとき大事なのは、どれだけの力で止めるかではなく、どれだけの距離をかけて止めるかです。
同じいきおいを止めるのでも、短い距離で急に止めれば、大きな力がかかります。長い距離をかけてじわりと止めれば、力は小さくてすみます。人が高いところから飛び降りるとき、ひざを曲げて着地するのと同じ理屈です。ひざを伸ばしたまま着地すると、足に大きな力がかかってしまいます。
はり金や鋼の細い線は、数パーセント伸びただけで切れてしまうとされています。つまり、ほとんど伸びる余裕がありません。飛び込んできた虫を、ほんのわずかな距離で止めることになり、糸には大きな力がかかります。クモの糸は、その何十倍も伸びます。図1の左側を見てください。上が伸びない糸、下がクモの糸です。深くへこんだぶんだけ、糸が受ける力はやわらいでいます。
しかも、伸びたクモの糸は、力を熱にかえて逃がします。押しつぶしたスポンジのように、ゆっくりと戻ります。だから虫は、はね返されずに網の中へ残るのです。獲物をとらえるしくみと、壊れないしくみが、ここでは同じものになっています。
すきまだらけであることが、強さになる
もし網が板のように面でふさがっていたら、風はまともにぶつかります。受ける力は、風を受け止める面積に比例して大きくなります。ところがクモの網は、ほとんどがすきまです。風の大部分は素通りし、糸に当たったぶんだけが力になります。
それでも強い風の日には、網はゆらゆらと大きくふくらみます。これも受け流しです。動いてよい形にしておくことで、力が一点に集中しません。ぴんと張った洗濯物がバタバタとあおられて破れやすいのに、ゆるく干した布が平気なのと似ています。
もうひとつ大事なのが、糸が1本切れたあとの話です。1枚の板は、一度ひびが入るとそこから一気に裂けていきます。網はちがいます。1本が切れると、その糸が受け持っていたぶんは、まわりの何本もの糸へ分かれて移ります。破れは広がらず、そこで止まります。クモが毎日、傷んだところだけを張りなおせるのも、このおかげです。
雨についても同じです。雨つぶは糸にぶつかると、糸をぐいと下へ引きます。しかし糸は伸びてその引きを受け止め、水は玉になって落ちるか、糸の上に残ります。朝の巣が水玉のかざりのように見えるのは、糸が水を支えたまま、なお切れずにいる証拠です。
外わくと放射状の糸は、伸びにくく丈夫な糸でできています。獲物をとらえる輪の部分は、よく伸びてねばつく糸です。骨組みはしっかり、受け止める部分はやわらかく。役割ごとに糸を作り分けていることが知られています。
クモの糸は鋼より強いとよく言われますが、これは同じ太さでくらべた話ではありません。同じ重さでくらべたときの丈夫さと、切れるまでに吸い取れるエネルギーの大きさで見た比較です。細さのわりに、たくさんのいきおいを飲みこめる。そこが並外れています。
まとめ
クモの巣が壊れないのは、固いからではありません。よく伸びる糸が長い距離をかけて力を受け止め、すきまだらけの網が風を通し、切れた1本のぶんをまわりが肩代わりする。かたくなに耐えるのではなく、形を変えて受け流す。これが、あの細い糸で一晩を越える方法です。
強さとは、変わらないことではありません。
大きく変わって、それでも切れないことです。
力を長い距離で受け止めるという考え方は、シートベルトのしくみやネコが高いところから落ちても平気な理由と同じです。細い糸や繊維がからみ合って支えるという話は紙が濡れると破れやすくなる理由に、生き物が作るおどろくべき仕掛けはヤモリが壁に張りつくしくみにつながっています。
- クモの巣を見つけたら、細い草の茎の先で、輪の部分をそっと下へ押してみましょう。糸がどこまで伸びてから戻るか、目で追えます。網の端のほうで、そっと試してください。
- 同じ網の、外わくの糸と輪の糸を、それぞれ軽く押しくらべます。外わくのほうが張りが強く、輪のほうがよく伸びることがわかります。
- 風の強い日に、少し離れたところから網をながめてみましょう。網全体が大きくふくらんだり戻ったりして、破れずに耐えているのが見えます。
※ 網には主のクモがいます。手で直接さわらず、道具ごしに、こわしてしまわない範囲で観察してください。観察が終わったら、そっとその場を離れましょう。
もっと知りたい人へ ― 用語・数式・教科書とのつながり中学理科から大学の専門科目まで、どのレベルの話かを明示しています
- 中学中学校の理科で習う範囲
- 高校高校の「物理基礎」で習う範囲
- 高校+高校の発展、または教科書のコラム扱いの内容
- 大学高校では習わない、大学の専門科目(材料力学・高分子科学)の内容
- 研究大学でも「定説」として教わらない、いま研究者が調べている最中の話
中学用語:この現象には名前があります
- 運動のエネルギー:動いているものが持っているいきおいの量。速さが大きいほど、また重いほど大きくなります。
- ねばり強さ:切れるまでにどれだけのエネルギーを吸い取れるかを表す性質。固さや切れにくさとは別のものです。
- 引張強さ:糸や棒を引っぱったとき、切れるまでに耐えられる力の大きさ。太さでわって比べます。
- 造網性のクモ:網を張って獲物を待つ種類のクモ。円い網を張る仲間のほか、不規則な網を張る仲間もいます。
中学高校式で確かめる:伸びる距離が10分の1になると、力は何倍になるか
小さな虫が網に飛び込む場面を考えます。使うのは「動いているものが持つエネルギーは、止めるときの力と距離のかけ算に等しい」という関係だけです。記号の意味と単位を、先に決めておきます。
| 記号 E | 虫が持っている運動のエネルギー。単位は ジュール |
| 記号 F | 糸が虫を止めるときの平均の力。単位は ニュートン |
| 記号 D | 止まるまでに網が伸びる距離。単位は メートル |
| 虫の重さ | 0.0001 キログラム(0.1グラム)とします |
| 虫の速さ | 毎秒 2 メートルとします |
| 網が伸びる距離 | 0.02 メートル(2センチ)とします |
| 速さを2回かける | 2 × 2 = 4 |
| 重さをかける | 0.0001 × 4 = 0.0004 |
| 半分にすると運動のエネルギー | 0.0004 ÷ 2 = 0.0002 |
| クモの糸が受ける平均の力 | 0.0002 ÷ 0.02 = 0.01 |
| 10分の1しか伸びない糸なら | 0.0002 ÷ 0.002 = 0.1 |
| 力は何倍になったか | 0.1 ÷ 0.01 = 10 |
③ 実感に直すと、こうなります。同じ虫、同じ速さでも、伸びる距離が10分の1になると、糸にかかる力は10倍になります。糸の材料をがんばって10倍じょうぶにするか、10倍伸びるようにするか。クモが選んだのは、後者でした。
高校高校+「強い」には、いくつもの意味がある
高校物理基礎では、力のした仕事とエネルギーの関係を学びます。止めるのに必要な仕事の量が決まっているとき、距離を長くとれば力は小さくなります。この記事の骨組みは、その一行の言いかえです。
高校+材料の性質は、引っぱる力と伸びの関係をグラフにして比べます。この線の下側の面積が、切れるまでに吸い取れるエネルギーにあたります。鋼の線は急に立ち上がってすぐ終わり、クモの糸はなだらかに長く続きます。同じ重さで比べたとき、面積はクモの糸のほうが大きくなるとされています。
大学網という形が持つ、破れにくさ
ひとつながりの膜は、切れ目の先に力が集中するため、小さなきずから一気に裂けます。網はこの集中を許しません。1本が失われても、荷重を受け持つ経路がほかに何本も残っているからです。材料力学では、経路が多重にある構造の利点として扱われます。さらに円い網では、外わくと放射状の糸がかたく、輪の糸がやわらかいという役割分担があります。大きな力がかかると、やわらかい部分から先に伸びて力を分け合うことが報告されています。壊れる場所をあらかじめ決めておく設計だ、という見方もできます。
研究まだはっきりとはわかっていないこと
- 湿ったときに縮む理由。 クモの糸は水にぬれると縮み、張りが変わることが知られています。これが巣の張り具合を自動で整えているのか、それとも副作用にすぎないのかは、まだ議論が続いています。
- 作りたての糸が持つ性質。 糸はクモの体内では液体で、出される瞬間に固まります。その固まり方をどこまで再現できるかは、人工の糸づくりの大きな課題として残っています。
- 網の形の決まり方。 どの種がどんな網を張るかは、生まれつきの性質と、その場の枝ぶりや風の条件の両方で決まります。どちらがどれだけ効いているかは、種ごとに調べている最中です。
つまりこの記事の内容も、「いまわかっている範囲での説明」です。骨組みは確かめられていますが、細かい数値は種類や条件によって大きく変わります。
教科書とのつながり(レベル別)
| レベル | 科目・単元 | この記事のどこ |
|---|---|---|
| 中学 | 理科・力のはたらき/仕事とエネルギー | 受け止める距離と力の関係 |
| 高校 | 物理基礎・仕事と運動エネルギー | 式で確かめるの節 |
| 高校+ | 物理・材料の変形とグラフの面積 | ねばり強さの比べ方 |
| 大学 | 材料力学・高分子科学・生物物理 | 網という形の破れにくさ |
| 研究 | 生物に学ぶものづくり・クモ学 | ぬれたときの縮みと人工の糸 |
| ― | 生活とのつながり | ひざを曲げた着地、ゆるく干した洗濯物、傷んだ網の張りなおし |
- 大崎茂芳『クモの糸のミステリー』中央公論新社(クモの糸の強さと伸び、巣のつくり)
- 新海栄一『日本のクモ』文一総合出版(網を張るクモの種類と網の形)
- 国立天文台編『理科年表』丸善出版(金属や繊維の引張強さなどの物性値)
- 文部科学省『高等学校学習指導要領解説 理科編』(仕事と運動エネルギーの扱い)
※本記事は一般向けの科学解説です。掲載した数値は、しくみを理解するための目安・概算です。糸の強さや伸びは、クモの種類や条件によって大きく変わります。生き物や巣を観察するときは、必要以上に手を触れず、その場の環境を傷めないようにしてください。