自然のふしぎ 流体 予備知識なしでOK 読了 約6分

マルハナバチは、計算上は飛べないって本当?
― 飛べないのは、羽を飛行機の翼とみなした計算のほうでした

「丸い体に小さな羽。マルハナバチは、科学の計算では飛べないはずなのに飛んでいる」。そんな話を聞いたことはありませんか。結論から言うと、これは俗説です。ハチがまちがっているのではなく、昔の計算が、はばたく羽を「動かない飛行機の翼」として扱っていたのが原因でした。

公開:2026.10.24 難易度:★☆☆(予備知識なしで読めます) 数式が出てくるのは最後の折りたたみだけ
まず、こんな場面を思い浮かべてください

秋の晴れた日、花だんのコスモスに、黒と黄色の毛におおわれた丸いハチがやって来ます。ブーンという低い羽音を立てて、花から花へ重そうに移っていきます。

よく見ると、体の大きさにくらべて羽はとても小さく、透けるほど薄いものです。これで本当に体が持ち上がるのか、不思議に思えてきます。

「科学者が計算したら、飛べないという答えが出た」という話は、雑誌や講演でくり返し紹介されてきました。では、その計算のどこがおかしかったのでしょうか。

計算が見落としていたことは、2つだけ

1
羽は、体よりずっと速く動いている

羽が空気を押す力は、羽が空気に対して動く速さで決まります。ハチの体はゆっくり進んでいても、羽は1秒に百数十回も往復し、体よりはるかに速く空気を切っています。

2
はばたく羽は、渦を味方につけている

羽を急な角度で振ると、羽の前のふちに小さな渦ができます。この渦が羽の上にとどまり、動かない翼の理論で考えるより大きな力を生みます。

どちらも、飛行機の翼の考え方をそのまま当てはめると抜け落ちる部分です。順番に見ていきましょう。

羽を押し上げる力は、速さの2乗で大きくなる

空気の中で板を動かすと、板には押し返す力がかかります。うちわをゆっくり振るときと、勢いよく振るときを思い出してください。速く振るほど、手ごたえはぐっと重くなります。

この力は、速さが2倍になると4倍になります。速さの2乗に比例するからです。ですから「羽がどれくらいの速さで空気に当たっているか」を少しでも小さく見積もると、計算上の力は大きく減ってしまいます。

マルハナバチの羽は、1秒に150〜200回ほど往復するとされています。羽の中ほどの点は、往復のたびに数センチ動きます。合わせると、羽はおよそ秒速5メートルで空気を切っている計算です。ハチがゆっくり飛んでいる最中でも、空中で止まっている最中でも、これは変わりません。

図1を見てください。つまみで羽の速さを変えると、羽が生む力の長さが変わります。秒速1メートル程度で考えると、どちらの棒も体重の点線に遠く届きません。秒速5メートルまで上げると、はばたく羽の棒だけが点線を越えます。

羽の速さ 秒速 5.0 m のとき、羽が生む持ち上げる力 体重(約2 mN) 動かない翼として 計算した力 1.2 mN はばたく羽 (前縁の渦あり) 2.7 mN 0 2 4 6 mN 点線より右まで伸びた棒だけが、体を持ち上げられます(体重 約0.2グラムのハチの目安)
つまみを動かすと、2本の棒の長さが速さの2乗で変わります
図1:羽の速さと、持ち上げる力。上の灰色の棒は「動かない翼」として計算した力、下の緑の棒は前縁に渦を抱えたはばたく羽の力です。縦の点線がハチの体重にあたります。つまみを左へ寄せると両方とも点線に届かず、秒速5メートル付近では下の棒だけが点線を越えます。

羽の上に、渦が「とどまっている」

飛行機の翼は、浅い角度で空気を受けるときにいちばん力を出します。角度を急にしすぎると、空気が翼の表面からはがれて、力が急に落ちます。これを失速といいます。

ところが昆虫の羽は、40度前後という、飛行機なら失速してしまう急な角度で振られています。それでも力が落ちないのは、羽の前のふちで生まれた渦が、羽の上面にしばらく張りついているからです。

渦の中心は気圧が低くなります。低い気圧の部分が羽の上に乗っているので、羽は上へ吸い上げられます。図2の右側が、そのようすです。動かない翼では左側のように渦がはがれて後ろへ流れ去り、力はつづきません。

はばたきは往復運動なので、羽は一往復のたびに止まり、向きを変えます。渦がはがれきる前に次の振りが始まるため、このしくみが休みなくくり返されます。

動かない翼(急な角度) はばたく羽 空気 空気 渦がはがれて 流れ去る 力は小さい 前のふちの渦が 羽の上にとどまる 大きな力 左から空気が流れてくる向きで描いています(羽の断面)
図2:羽の断面と、まわりの空気の流れ。左は急な角度で止まった翼で、小さな渦(丸)が次々にはがれ、上向きの矢印は短いままです。右のはばたく羽では、前のふちにできた大きな渦(二重の楕円)が羽の上にとどまり、上向きの矢印が長くなります。
💡 この話は、どこから来たの?

1934年にフランスで出た昆虫の飛び方についての本に、技師と計算すると「飛べないはずだ」という結論になった、という一節があったとされています。羽を飛行機の翼のように扱った大まかな見積もりでした。それが「科学でも説明できない」という話にふくらんで広まったと考えられています。

💡 本当に分かったのは、1990年代

前のふちの渦がはっきり確かめられたのは、意外に新しく1990年代のことです。大型のガの飛行を煙で見たり、油の中で大きなロボットの羽を動かして力を測ったりして、ようやく「なぜ足りるのか」が数字で説明されました。

まとめ

「マルハナバチは計算上は飛べない」は、ハチの謎ではなく、計算の前提の誤りでした。羽が実際に空気を切る速さを小さく見積もり、急な角度でも渦が力を生むことを考えに入れていなかったのです。正しい前提で計算すると、ハチの羽はちゃんと体重を支えられます。

飛べなかったのは、ハチではなく計算のほう。
小さな羽は、速さと渦で体を持ち上げています。

飛行機の翼が浮く理由は「飛行機はなぜ飛ぶの?」で、同じ前縁の渦を使って回りながら落ちる種は「カエデの種は、なぜくるくる回りながら落ちるの?」で解説しています。小さな生き物にとって空気や水がどう感じられるかは「ミジンコにとって、水はなぜ「はちみつ」のようにねばいの?」も読んでみてください。

🧪 うちわと下じきで確かめてみよう
  1. うちわを、1秒に1回のゆっくりした速さで振り、手ごたえを覚えます。次に1秒に2回の速さで、同じ幅で振ります。手ごたえは2倍ではなく、もっと重く感じるはずです。
  2. 下じきを手に持ち、水平に近い角度と、40度くらいの急な角度で、それぞれさっと押し出します。急な角度のほうが、短い時間なら大きな抵抗を感じます。
  3. 晴れた日に花だんでマルハナバチを探し、空中で止まって花を選ぶ瞬間を観察します。体は止まっていても羽はかすんで見え、速く動き続けていることが分かります。

マルハナバチはおとなしい性質ですが、ハチの仲間です。手で触ったり、巣に近づいたりはしないでください。観察は少し離れた場所からにしましょう。

もっと知りたい人へ ― 用語・数式・教科書とのつながり中学理科から大学の専門科目まで、どのレベルの話かを明示しています
この先に出てくるラベルの見方
  • 中学中学校の理科で習う範囲
  • 高校高校の「物理」で習う範囲
  • 高校+高校の発展、または教科書のコラム扱いの内容
  • 大学高校では習わない、大学の専門科目(流体力学・生物物理学)の内容
  • 研究大学でも「定説」として教わらない、いま研究者が調べている最中の話

中学用語:この現象には名前があります

中学高校式で確かめる:羽にはどれだけの「力の出しやすさ」が必要か

揚力の式を使って、ハチの体重を支えるには羽がどれだけ効率よく力を出す必要があるかを求めます。この効率を表す数を揚力係数と呼び、記号は CL です。数値はマルハナバチの働きバチを想定した目安です。

⓪ もとになる式
記号で書くとL = ½ × ρ × v² × S × CL (浮くには L = m × g)
言葉で書くと揚力 = ½ × 空気の密度 × 羽の速さの2乗 × 羽の面積 × 揚力係数
どこから来る式か動く羽が1秒あたりに押しのける空気の運動量の変化から来る式です。½ × ρ × v² は動圧と呼ばれ、速さの2乗に比例します。
記号意味と単位
L揚力(N、ニュートン)
ρ空気の密度(kg/m³)
v羽が空気を切る速さ(m/s)
S羽の面積(m²)
CL揚力係数(単位なし。羽の形や角度、流れ方で決まる)
① もとになる数値
体の重さ(働きバチの目安)約0.2グラム = 0.0002 kg
重力加速度9.8 m/s²
空気の密度1.2 kg/m³
羽4枚の面積の合計(目安)約1 cm² = 0.0001 m²
羽の中ほどが空気を切る速さ(目安)秒速 約5 m
② 計算してみる
体重(支えるべき力)0.0002 × 9.8 = 0.00196 N
速さの2乗5 × 5 = 25
½ × 空気の密度0.5 × 1.2 = 0.6
動圧0.6 × 25 = 15 Pa
動圧 × 羽の面積15 × 0.0001 = 0.0015 N
必要な揚力係数0.00196 ÷ 0.0015 ≒ 1.3

必要な揚力係数は約1.3です。小さな羽を動かない翼として扱うと、使える揚力係数はおよそ0.8前後が目安とされ、足りません。これが「飛べない」という計算の正体の一つです。一方、前縁の渦があるはばたく羽では、模型の実験で2近くまで出ることが示されており、十分に足ります。

③ もし羽の速さを、体が進む速さで計算していたら
速さを秒速1 mとしたときの動圧0.6 × 1 = 0.6 Pa
動圧 × 羽の面積0.6 × 0.0001 = 0.00006 N
必要な揚力係数0.00196 ÷ 0.00006 ≒ 33

揚力係数33は、どんな翼でもありえない値です。速さを5分の1に見積もるだけで、必要な値は25倍にふくらみます。羽の速さを正しく入れるかどうかで、答えが「余裕で飛べる」と「絶対に飛べない」に分かれるのです。

高校高校+速さの2乗と、渦の気圧

高校流体が物体に及ぼす力が速さの2乗に比例するのは、1秒あたりにぶつかる空気の量も、その空気が持つ速さも、どちらも速さに比例するからです。量と速さのかけ算なので、2乗になります。

高校+渦の中心で気圧が下がるのは、ベルヌーイの定理で説明できます。空気が速く回る場所ほど、圧力は低くなります。前縁渦は羽の上面に低圧の部分をつくり、羽を上へ吸い上げます。

大学非定常空気力学と、前縁渦の安定

羽が往復し、時間とともに流れが変わる状況を扱う分野を非定常空気力学といいます。昆虫の飛行では、前縁渦による遅れ失速、打ち返しの瞬間の羽の回転、前の振りで残った渦を再び捕まえる効果などが重なるとされています。昆虫の大きさでは、流れの性質を表すレイノルズ数が数百から数千になります。これは飛行機の数百万よりずっと小さく、粘り気の効果が無視できません。

📖 式の導出や、さらに先の内容:揚力(ウィキペディア) / レイノルズ数(ウィキペディア)

研究まだはっきりとはわかっていないこと

つまりこの記事の内容も、「いまわかっている範囲での説明」です。昆虫の羽をまねた小さな飛行機械の研究も進み、そこから逆に、虫の飛び方の理解が深まることもあります。

教科書とのつながり(レベル別)

レベル科目・単元この記事のどこ
中学理科「力のはたらき」羽が空気を押し、押し返される力
高校物理「運動量と力積」力が速さの2乗に比例する理由
高校+物理(発展)ベルヌーイの定理渦の中心で気圧が下がること
大学流体力学・生物物理学非定常空気力学、レイノルズ数
研究生物の飛行の研究前縁渦の安定、しなる羽の効果
―生活とのつながり「計算上できない」と言われたら、計算の前提を疑う

※本記事は一般向けの科学解説です。掲載した数値は、しくみを理解するための目安・概算です。ハチの体重や羽の大きさ、はばたきの回数は、種類や個体によって大きく異なります。