日常のふしぎ 環境・生態 予備知識なしでOK 読了 約7分

大きな魚ほど水銀が多いのは、なぜ?
― 答えは、博物館の古い卵の殻に残っていました

同じ海で泳いでいるのに、イワシはいくら食べてもよく、マグロには「妊娠中は週1回まで」の目安があります。海の水銀は、食べる・食べられるをくり返すたびに濃くなっていくからです。このしくみを最初に世界へ示したのは、化学者ではありませんでした。鳥の巣を見て回り、博物館の卵の殻を1個ずつはかった、一人の自然保護の研究者です。

公開:2026.09.25 難易度:★☆☆(予備知識なしで読めます) 数式が出てくるのは最後の折りたたみだけ
まず、こんな場面を思い浮かべてください

妊婦健診でもらった冊子に、魚の食べ方の注意が書いてあります。キンメダイやメカジキ、クロマグロは「1回約80グラムとして週1回まで」が目安とされています。

ところが、イワシやサバ、アジには、特に回数の目安がありません。ツナ缶も、ふつうに食べてよいとされています。

同じ海の魚なのに、何がちがうのでしょう。海に水銀が多い場所と少ない場所がある、という話ではありません。ちがうのは、その魚が「何を食べて大きくなったか」です。

水銀が濃くなる理由は、2つだけ

1
食べる量は、体の重さよりずっと多い

魚が体重を1キロ増やすには、エサを約10キロ食べる必要があるとされます。残りの9キロは、泳いだり体温を保ったりするエネルギーとして燃えて消えます。

2
水銀だけは、燃えずに体に残る

海の水銀の一部は、微生物のはたらきで「メチル水銀」という形になります。これは筋肉のたんぱく質にくっつき、なかなか体の外へ出ていきません。

エサは燃えて消えるのに、水銀は残る。するとエサ10キロ分の水銀が、体1キロの中に集まります。これが食物連鎖の1段ごとにくり返されます。

1段上がるごとに、何倍になるの?

海の食物連鎖は、目に見えない植物プランクトンから始まります。それを動物プランクトンが食べ、イワシのような小魚が食べ、サバのような中型の魚が食べ、最後にマグロが食べます。

図1の左を見てください。下の段ほど生き物の量は多く、上の段ほど少なくなります。一方で水銀の濃さは、上へ行くほど大きくなります。量のピラミッドと濃さのピラミッドは、上下が逆向きなのです。

1段ごとの倍率を約8倍と仮定すると、4段上のマグロでは約4000倍になります。実際には途中で少しずつ体から出ていくため、ここまで極端にはなりません。それでもマグロの水銀の濃さは、イワシの数十倍ほどとされています。

食べるたびに濃くなる(1段ごと約8倍の例) 植物プランクトン 動物プランクトン イワシなど サバなど マグロ ×1 ×8 ×64 ×512 ×4096 下ほど量が多く、上ほど水銀が濃い ハヤブサの卵の殻の重さ(模式図) 重い 軽い 1900年 1947年 1967年 農薬DDTが 広まり始める 約2割軽く 博物館の古い卵をはかって見つかった変化
図1:左は海の食物連鎖。上の段ほど幅が狭く(生き物の量が少なく)、右に添えた倍率の数字は上へ行くほど大きくなります。右は、ハヤブサの卵の殻の重さの変化を模式的に描いたもの。点線(1947年ごろ)を境に、線が約2割下がって戻らなくなりました(矢印)。

それを突き止めたのは、卵の殻をはかった人だった

1950年代のイギリスで、ハヤブサが急に減り始めました。巣を見て回っていた研究者デレク・ラトクリフは、奇妙なことに気づきます。親鳥が抱いているはずの卵が、巣の中で割れているのです。

殻がうすくなったのではないか。そう考えた彼は、博物館や個人の収集家が保管していた古い卵を借りて、殻の重さを1個ずつはかりました。集めた記録は、1900年ごろから1960年代までにおよびます。

結果は図1の右のとおりです。殻の重さは半世紀近く変わらず、1947年ごろを境に急に約2割軽くなっていました。その時期は、農薬のDDTが農地で広く使われ始めた時期と重なっていたのです。1967年、この結果は科学雑誌に発表されました。

畑にまかれた薬の量は、鳥にとっては害が出るほどではなかったはずでした。しかし、虫を食べた小鳥を、ハヤブサが何羽も食べます。食物連鎖のてっぺんで、薬は殻を作るしくみを狂わせるほど濃くなっていました。

日本でも同じころ、熊本県の水俣湾で、工場の排水に含まれたメチル水銀が魚に濃縮されました。その魚を毎日のように食べた人々に、深刻な健康被害が出ました。これが水俣病で、1956年に公式に確認されています。人が倒れる前に、まず猫や海鳥に異変が出たと記録されています。これも、魚を多く食べる生き物から先に濃くなったからです。

💡 だから「魚を避ける」のではなく「種類を散らす」

魚には、良質なたんぱく質や体によいとされる脂(DHAなど)が多く含まれます。厚生労働省の注意事項も、魚を食べないよう求めるものではありません。おなかの赤ちゃんは水銀の影響を受けやすいため、妊娠中の人に向けて、種類と量を選ぶよう呼びかけているものです。食物連鎖の下のほうにいる小さな魚を中心に、いろいろな魚を食べるのがよいとされています。体に入ったメチル水銀は、およそ2か月で半分に減るとされます。

まとめ

食べ物の大部分はエネルギーとして燃えて消えますが、体から出にくい物質はそのまま残ります。そのため食物連鎖を上がるたびに、同じ物質が数倍ずつ濃くなります。大きな魚に水銀が多いのは、その魚が悪いのではなく、海の中で「たくさん食べる側」にいるからです。このしくみは、ハヤブサの割れた卵と、博物館に眠っていた古い殻から明らかになりました。

食べたものは燃えて消えても、消えないものだけが残る。
食物連鎖のてっぺんは、海じゅうの「残りもの」が集まる場所です。

海の食物連鎖が目に見える形で現れる例は「漁師は、なぜ海鳥の群れを見ただけで魚の居場所が分かるの?」で、生き物の量のピラミッドは「地球上の生き物を全部はかりにのせたら、いちばん重いのは何?」で紹介しています。

🧪 家で確かめてみよう:食物連鎖の「段」を数える
  1. スーパーの鮮魚売り場で、並んでいる魚を3〜4種類選び、それぞれ何を食べているかを調べてみましょう(イワシはプランクトン、カツオは小魚、など)。
  2. 植物プランクトンから数えて、その魚が何段目にいるかを紙に書き出します。
  3. 厚生労働省の「魚介類に含まれる水銀について」の一覧と見くらべ、段が上の魚ほど目安がきびしくなっているかを確かめます。

同じ種類でも、大きく育った個体ほど長くエサを食べ続けているため、水銀が多い傾向があるとされます。サイズにも注目してみると面白いでしょう。

もっと知りたい人へ ― 用語・数式・教科書とのつながり中学理科から大学の専門科目まで、どのレベルの話かを明示しています
この先に出てくるラベルの見方
  • 中学中学校の理科で習う範囲
  • 高校高校の「生物基礎」「生物」で習う範囲
  • 高校+高校の発展、または教科書のコラム扱いの内容
  • 大学高校では習わない、大学の専門科目(生態学・環境化学・毒性学)の内容
  • 研究大学でも「定説」として教わらない、いま研究者が調べている最中の話

中学用語:この現象には名前があります

中学高校式で確かめる:1段ごとに何倍、4段で何倍になるか

エサに含まれる水銀の「入る量」と、体が増える重さの「増える量」のつり合いから、1段あたりの倍率を見積もります。数値は、しくみを見るための仮定です。

⓪ もとになる式
記号で書くとC上 = C下 × ( α ÷ ε )
言葉で書くと食べる側の濃さ = エサの濃さ ×(水銀が体に残る割合 ÷ 食べた量のうち体になる割合)
どこから来る式か水銀の出入りの帳じり(物質の保存)。エサ1キロ中の水銀のうち割合 α が体に残り、エサ1キロからは体が ε キロしか増えないので、体1キロあたりの水銀は α ÷ ε 倍になる
① もとになる数値
記号 C下・C上エサと、それを食べる生き物の水銀の濃さ(単位は 体1キロあたりのミリグラム など)
記号 α(水銀が体に残る割合)0.8 と仮定(メチル水銀は食べた分の大半が吸収されるとされる)
記号 ε(食べた量のうち体になる割合)0.1(生態ピラミッドの「1割の法則」の目安)
植物プランクトンからマグロまでの段数4段
② 計算してみる
1段あたりの倍率0.8 ÷ 0.1 = 8
2段目(イワシなど)8 × 8 = 64
3段目(サバなど)64 × 8 = 512
4段目(マグロ)512 × 8 = 4096
マグロとイワシの比4096 ÷ 64 = 64

この単純な見積もりでは、マグロの水銀はイワシの64倍、出発点のプランクトンの約4000倍になります。実際には少しずつ体から出ていくので倍率はもっと小さく、マグロとイワシの差は数十倍ほどとされます。それでも「段が増えるたびにかけ算で効く」ことが、この差の正体です。

高校高校+なぜ「出ていきにくい物質」だけが濃くなるのか

高校生物基礎では、生態系の中を物質が循環し、エネルギーは流れ去ることを学びます。食べた有機物は呼吸で二酸化炭素と水になって体を離れますが、分解されずに排出もされにくい物質は体に残り続けます。これが生物濃縮の核心です。

高校+水にとけやすい物質は尿などで出ていきますが、油にとけやすい物質(DDTなど)は脂肪に、メチル水銀はたんぱく質のイオウを含む部分にくっついてとどまります。また、大きな魚ほど長く生きてエサを食べ続けるため、同じ種類の中でも年齢とともに濃さが増す傾向があります。

大学生物濃縮係数と栄養段階

生態学・環境化学では、水から直接とりこまれて濃くなる度合いを「生物濃縮係数」、食物連鎖の1段ごとの倍率を「生物拡大係数」と呼んで区別します。本文の α ÷ ε は、後者の最も単純な見積もりにあたります。生き物が何段目にいるか(栄養段階)は、体の窒素の安定同位体比から推定する方法がよく使われます。メチル水銀そのものは、海底の泥や中層の海水で、微生物が無機の水銀にメチル基をつけることで作られると考えられています。

📖 式の導出や、さらに先の内容:生物濃縮(ウィキペディア) / 水俣病(ウィキペディア)

研究まだはっきりとはわかっていないこと

つまりこの記事の内容も、「いまわかっている範囲での説明」です。ラトクリフが卵の殻をはかったように、長い期間の地道な記録が、次の発見の手がかりになると考えられています。

教科書とのつながり(レベル別)

レベル科目・単元この記事のどこ
中学理科「自然界のつり合い」「食物連鎖」食べる・食べられるの段と、量のピラミッド
高校生物基礎「生態系と物質循環」物質は残り、エネルギーは流れ去る
高校+生物基礎のコラム「生物濃縮」油にとける物質・たんぱく質にくっつく物質
大学生態学・環境化学・毒性学生物拡大係数、栄養段階と同位体
研究海洋の水銀循環・新しい汚染物質メチル水銀の生成場所、温暖化の影響
―生活とのつながり妊娠中の魚の選び方、小さな魚を中心に種類を散らす
参考・出典
  1. Ratcliffe, D. A. (1967) Decrease in Eggshell Weight in Certain Birds of Prey. Nature 215, 208–210
  2. 厚生労働省「魚介類に含まれる水銀について」
  3. レイチェル・カーソン『沈黙の春』青樹簗一 訳、新潮文庫
  4. 環境省『水俣病の教訓と日本の水銀対策』

※本記事は一般向けの科学解説です。掲載した数値は、しくみを理解するための目安・概算です。妊娠中の食事については、厚生労働省の最新の注意事項や、かかりつけの医師・自治体の保健指導に従ってください。