災害の備えの水が「1人1日3リットル」
なのは、なぜ?
防災の案内で必ず目にする「飲料水は1人1日3リットル」。コップにすると約15杯。「そんなに飲まないよ」と思った人は多いはずです。でもこの数字、決して大げさではありません。体は、何もしなくても毎日約2.5リットルの水を失っている――その内訳を知ると、3リットルの意味がすっきり分かります。
9月1日、防災の日。スーパーの入り口に防災コーナーができていて、ポスターにこう書いてあります。「飲料水の備蓄は、1人1日3リットル×3日分」。
横にいた家族が言います。「3リットルって、2リットルのペットボトル1本半だよ? 1日でそんなに飲む?」
たしかに、ふだん意識して飲む水は1リットルほどかもしれません。では、残りの2リットルは、いったいどこから来て、どこへ消えているのでしょうか。
数字の根拠は、2つ
尿でおよそ1.5リットル。さらに、吐く息と皮膚からは、汗をかいていなくても1日約0.9リットルの水が出ていきます。この「見えない排出」は、止めることができません。
ごはん・味噌汁・おかず・果物には水がたっぷり含まれ、1日約1リットル分を食事から得ています。災害時は乾パンや缶詰など水分の少ない食事になりがちで、この分まで飲み水で補う必要が出てきます。
つまり3リットルは、「飲みたい量」ではなく「失う量から逆算した、必要量」です。順に見ていきましょう。
収支①:出ていく水 ― 見えない排出が半端ではない
体の水の「出口」は、思っているより多彩です。いちばん大きいのは尿の約1.5リットル。これは老廃物を溶かして運び出すための必要経費で、飲む量を減らしても、ゼロにはできません(濃縮には限界があります)。
意外に大きいのが、吐く息と皮膚からの蒸発です。冬に息が白くなることからわかるとおり、吐く息は水蒸気をたっぷり含んでいます。皮膚からも、汗とは別に水分が常に蒸発しています。この2つを合わせた「見えない排出」が1日約0.9リットル。寝ていても、じっとしていても、失われ続けます。便からの約0.1リットルも合わせると、合計約2.5リットル。これが、体が毎日必ず失う水です。
収支②:入る水 ― 災害時は「食事の分」が消える
失う2.5リットルを、ふだんはどう補っているのでしょう。内訳の目安は、飲み物から約1.2リットル、食事から約1.0リットル、そして体の中で栄養を燃やすときに生まれる水が約0.3リットルです。「そんなに飲んでいない」と感じるのは正しくて、3分の1以上は食事がこっそり運んでくれているのです。
ところが災害時はこの前提が崩れます。断水で調理ができず、乾パン・アルファ米・缶詰・栄養補助食品といった水分の少ない食事が中心になると、食事からの1リットルが期待できません。その分まで飲み水が背負うので、飲用だけで2リットル以上。さらにアルファ米を戻す水、粉ミルクや薬を飲む水、最低限の衛生に使う分を上乗せして、「1人1日3リットル」という目安になっています。
「災害時は我慢して1リットルで」は、体のしくみの上では成り立ちません。尿は老廃物を運ぶ必要経費で、減らしすぎると老廃物が濃縮され、腎臓に負担がかかります。息と皮膚からの蒸発は意志では止められません。摂取が失う量を下回る状態が続けば、体は確実に脱水に傾きます。血液が濃くなって血栓のリスクが上がることが、過去の災害の避難生活で問題になってきました(車中泊のエコノミークラス症候群は、その代表例とされています)。水の備えは「快適のため」ではなく「体の収支を合わせるため」なのです。
じゃあ、どうすればいいの?
- 家族の人数×3日分を、計算して買う1人1日3L×3日=9L。4人家族なら36L=2Lペットボトル18本(6本入り3箱)。まずは3日分、余裕があれば1週間分が推奨されています。
- ローリングストックにする特別な保存水でなくてOK。ふだん飲む水を多めに買い、古い順に飲んで、飲んだ分を買い足す。賞味期限切れを防ぎながら、常に備蓄がある状態を保てます。
- 置き場所を分けて、家族全員で共有する全部を1か所に置くと、その場所が使えなくなったとき全滅します。台所・寝室・車など2〜3か所への分散備蓄が安心です。断水時の給水拠点(自治体の給水所)の場所も、家族で確認しておきましょう。
まとめ
「1人1日3リットル」の正体は、こう整理できます。①体は尿1.5L+息と皮膚0.9L+その他0.1Lで、毎日約2.5Lを必ず失う。②ふだんは食事が約1Lを運んでくれているが、災害時の乾いた食事ではその分まで飲み水が背負い、調理の水も加わって約3Lになる。飲みたい量ではなく、体の収支から逆算された数字――だから、削れないのです。
3リットルは「たっぷりの目安」ではありません。
体の水収支の、ぎりぎりの帳尻です。
ちなみに「体の中で栄養を燃やすと水が生まれる」というしくみを極限まで使いこなしているのが、砂漠のラクダです。こぶの脂肪から水を作り出す驚きの仕組みは、こちらの記事で説明しています。
- 冷たい飲み物が入ったコップか、鏡・窓ガラスを用意する
- 口を近づけて、ゆっくり息を吐きかけ、表面が曇るのを観察する
- 曇り=息に含まれていた水分。これが1日中、休みなく出ていっていると想像してみる
息の曇りは、呼気1回ぶんの「見えない排出」が目に見えた姿です。1日の呼吸は約2万回。塵も積もれば、息と皮膚から約0.9Lになります。寒い日に息が白くなる理由はこちらの記事でどうぞ。
もっと知りたい人へ ― 用語・数式・教科書とのつながり中学理科から大学の専門科目まで、どのレベルの話かを明示しています
- 中学中学校の理科で習う範囲
- 高校高校の「生物基礎」で習う範囲
- 高校+高校の「生物」の発展、または教科書のコラム扱いの内容
- 大学高校では習わない、大学の専門科目(生理学・災害医学)の内容
- 研究大学でも「定説」として教わらない、いま研究者が調べている最中の話
中学用語:この数字には名前があります
- 水収支(みずしゅうし):体に入る水と出ていく水のバランス。健康な体では毎日ほぼ釣り合っています。
- 不感蒸泄(ふかんじょうせつ):本文の「見えない排出」。汗とは別に、呼気と皮膚から気づかないうちに失われる水分です。
- ローリングストック:ふだんの食品・飲料を多めに備え、古い順に消費しながら買い足していく備蓄法。
- 分散備蓄:備えを複数の場所に分けて置くこと。1か所が使えなくなるリスクに備えます。
中学高校式で確かめる:2.5Lの内訳と、家族の備蓄量
本文の数字を、足し算とかけ算で確かめます。数値は健康な大人の目安です(体格・気温・活動量で変わります)。
| 尿 | 約1.5 L |
| 呼気と皮膚からの蒸発(不感蒸泄) | 約0.9 L |
| まず2つを合計 | 1.5 + 0.9 = 2.4(L) |
| 便など(約0.1 L)を加える | 2.4 + 0.1 = 2.5(L) |
| 1人1日の目安 | 3 L |
| 3日分では | 3 × 3 = 9(L) |
| 4人家族なら | 9 × 4 = 36(L) |
| 2Lペットボトルに直す | 36 ÷ 2 = 18(本) |
4人×3日で2Lペットボトル18本=6本入りの箱で3箱。数字にすると「意外と現実的な量」だとわかります。1週間分に延ばすなら7箱です。
高校高校+なぜ尿は減らせないのか:腎臓の濃縮の限界
高校生物基礎で習うとおり、腎臓は血液をろ過し、必要なものを再吸収して、老廃物を尿として捨てています。水分が足りないときは、ホルモン(バソプレシン)の働きで水の再吸収を増やし、尿を濃くして量を減らします。
高校+ただし、この濃縮には上限があります。ヒトの腎臓が作れる尿の濃さには生理的な限界があり、老廃物を捨てきるためには最低限の尿量(1日およそ0.5L)がどうしても必要とされています。しかもこの「最低限」の状態は腎臓への負担が大きく、続ければ体調を崩します。「飲まなければ出る量も減るから大丈夫」が成り立たないのは、この限界のためです。
大学災害医学の視点:脱水がもたらす二次被害
過去の大規模災害の避難生活では、水分摂取を控えたことによる健康被害が繰り返し報告されています。トイレの回数を減らしたくて飲水を控える行動は、脱水から血液の粘度を高め、深部静脈血栓症(いわゆるエコノミークラス症候群)や心血管系の発症リスクを高めるとされています。災害医学の分野では、「水と同じくらいトイレの備え(携帯トイレ)が重要」という知見が定着しつつあります。飲み水を確保する備えと、安心して排泄できる備えは、生理学的にワンセットなのです。
研究まだはっきりとはわかっていないこと
- 「1人1日3L」の個人差の定量化。 必要量は体格・年齢・気温・活動量で大きく変わり、夏の被災や高齢者・乳幼児・持病のある人では3Lで足りない場合があります。属性ごとの推奨量を精密化する研究と議論が続いています。
- 実際の被災生活での水の使われ方。 飲用・調理・衛生への配分が実際どうなるかの実態データは限られており、断水の長期化事例の調査から備蓄ガイドラインを見直す作業が続けられています。
- 在宅避難時代の備蓄設計。 避難所ではなく自宅で過ごす在宅避難が主流になりつつあり、集合住宅の断水・停電(ポンプ停止)を前提とした水の備えと配送の最適化は、防災研究の現在進行形のテーマです。
つまりこの記事の内容も、「いまわかっている範囲での説明」です。3Lは万能の答えではなく「最低限の出発点」――家族の顔ぶれに合わせた上乗せこそが、本当の備えになります。
教科書とのつながり(レベル別)
| レベル | 科目・単元 | この記事のどこ |
|---|---|---|
| 中学 | 理科・ヒトの体のつくり(排出) | 水収支の考え方、①②の計算 |
| 高校 | 生物基礎・体内環境の維持(腎臓・ホルモン) | 尿の濃縮のしくみ、バソプレシン |
| 高校+ | 生物・浸透圧調節の発展的内容 | 濃縮の生理的限界、最低限の尿量 |
| 大学 | 生理学・災害医学 | 不感蒸泄の定量、脱水と血栓リスク |
| 研究 | 公衆衛生・防災科学(進行中) | 必要量の個人差、被災生活の実態調査、在宅避難の備蓄設計 |
| ― | 防災・生活とのつながり | ローリングストック、分散備蓄、給水拠点の確認 |
- 内閣府・消防庁・自治体の防災啓発資料(飲料水1人1日3リットル×最低3日分、できれば1週間分の備蓄推奨)。
- 厚生労働省「健康のため水を飲もう」推進運動の資料(1日の水の出入り約2.5Lの内訳:尿・不感蒸泄・食事・体内で作られる水)。
- 生理学の標準的な教科書(水収支、不感蒸泄、腎臓の濃縮能とバソプレシン)。
- 日本循環器学会等による、災害時の深部静脈血栓症(エコノミークラス症候群)予防に関する提言(飲水を控えないこと、トイレ環境の重要性)。
※本記事は一般向けの科学解説であり、医療上の判断の代わりにはなりません。持病のある方の水分摂取は医師の指示に従ってください。備蓄の量・内容は、自治体の防災情報と家族構成に合わせて調整し、災害時は自治体・消防の指示に従ってください。掲載した数値は目安です。