マダニに咬まれても、なぜ気づかないの?
― 口には「返し」、だ液には痛み止め。だから無理に引き抜かない
蚊に刺されれば、すぐにかゆくなります。ところがマダニは、皮膚に口を差しこんだまま何日も血を吸い続けるのに、たいていの人は気づきません。気づかれないことこそが、マダニの生き残り戦略です。そのしくみを知ると、見つけたときにやってはいけないことも分かります。
秋の休日、草の多い河原でキャンプをしました。帰ってから数日後、お風呂でひざの裏をさわると、小さなイボのようなものがあります。
よく見ると、ゴマ粒より少し大きい黒っぽい粒に、細い脚が生えています。皮膚にしっかり食いこんでいて、つまんでも取れません。
いつ付いたのか、まったく覚えがありません。痛みもかゆみも、一度もなかったのです。
気づかない理由は2つだけ
マダニのだ液には、痛みや腫れを起こす体の反応を抑える成分が含まれているとされます。刺された合図が、脳まで届きにくいのです。
蚊は数分で飲み終えます。マダニは数日から10日ほどかけて、1時間あたりごくわずかずつ吸います。体の変化がゆっくりすぎて、感じ取れません。
さらにマダニは、口を皮膚に固定する「返し」と「接着剤」を持っています。これが、見つけても簡単には取れない理由です。順番に見ていきましょう。
草の先で、何週間でも待っている
マダニは、跳んだり飛んだりできません。草や葉の先にのぼり、前脚を広げてじっと待ちます。前脚の先には、吐く息の二酸化炭素や体温、においを感じ取る器官があります。動物や人が通りかかって草が触れた瞬間、服や毛にしがみつきます。
乗り移ったマダニは、すぐには咬みません。皮膚のやわらかい場所を探して、数時間歩き回ることもあるとされます。ひざの裏、わきの下、足の付け根、耳のうしろ、髪の生えぎわなどが多い場所です。
咬みつくと、マダニはまず小さなはさみで皮膚を切り開きます。そこへ、細かい「返し」がびっしり並んだ口を差しこみます。図2のように、返しは釣り針と同じく、奥へは入りやすく、抜けにくい向きです。さらに、だ液からセメントのような物質を出し、口のまわりを皮膚に固めてしまいます。
吸い始めは目立たず、最後に一気にふくらむ
固定が終わると、マダニは何日もかけて血を吸います。成虫のメスは、吸う前のおよそ100倍の重さになるとされます。図1のつまみで、咬みついてからの日数を変えてみてください。
図1のとおり、はじめの数日は体重がほとんど増えません。この間に口の固定と、だ液による下ごしらえを進めているとされます。最後の1〜2日で、一気に大きくふくらみます。ゴマ粒ほどだった体が、小豆ほどになります。
この「ゆっくり」が、気づかれない2つ目の理由です。1時間あたりに吸う量は、蚊1匹が1回に吸う量よりも少ないくらいです(計算は最後の折りたたみにあります)。体はその変化を、ほとんど感じ取れません。
なぜ、引き抜いてはいけないの?
図2は、皮膚に固定されたマダニの口の断面です。返しとセメントで固まっているので、つまんで引っぱると、体だけがちぎれて口が皮膚に残りやすくなります。残った口から、化膿することがあります。
もう1つの心配は、体を強くつまむことです。マダニの体の中のものが、皮膚の中へ押し戻されるおそれがあるとされます。マダニは、重症熱性血小板減少症候群(SFTS)や日本紅斑熱などの病原体を運ぶことがあります。厚生労働省も、吸血中のマダニは無理に取らず、皮膚科などの医療機関で処置してもらうよう呼びかけています。
マダニは春から秋にかけて活動が盛んで、秋の行楽や農作業、草刈りの時期も注意が必要とされます。森や山だけでなく、河原や公園の草むら、畑のあぜ道にもいます。シカやイノシシが出る地域では、とくに多いとされます。
じゃあ、どうすればいいの?
- 肌を出さない長そで・長ズボン。シャツはズボンに、ズボンのすそは靴下に入れる。明るい色の服だと、付いたマダニを見つけやすい
- 帰ったら、すぐ体を見るお風呂で、ひざの裏・わきの下・耳のうしろ・髪の生えぎわを確かめる。上着は家の中に持ちこまない
- 咬まれていたら、引き抜かずに病院へ皮膚科などで取ってもらう。その後数週間は体調に注意し、熱が出たら咬まれたことを医師に伝える
マダニに咬まれて数日から2週間ほどのあいだに、発熱・だるさ・吐き気・下痢などが出たら、すぐに医療機関を受診してください。重症熱性血小板減少症候群は、亡くなる人の割合が1〜3割とされる病気です。受診のときは「マダニに咬まれた」「草むらに入った」と必ず伝えます。急に意識がもうろうとするなど重い症状なら、ためらわず119番に電話してください。ペットのイヌやネコからうつった例も報告されています。
まとめ
マダニに気づかないのは、運が悪いからではありません。だ液で痛みを止め、何日もかけてゆっくり吸うという、気づかれないための道具がそろっているからです。そして同じ道具が、引き抜きにくさも生んでいます。
マダニは、気づかれないように進化した生き物。
だから「見つけても引き抜かない」「帰ったら体を見る」が、いちばんの備えです。
秋の野山の危険では、秋になるとクマが人里に下りてくる理由や、毒キノコの見分け方の言い伝え、ハチに2回刺されると危ないと言われる理由もあわせて読んでみてください。
- 白っぽい布と黒っぽい布を用意し、それぞれにゴマ粒を5つずつ、ばらばらに置きます。
- 1メートルほど離れたところから、10秒でいくつ見つけられるかを数えます。
- 次に、布をくしゃっとしわにして、同じように数えてみます。
明るい色の、平らな服のほうが見つけやすいはずです。これが「明るい色の服を着て、こまめに払う」がすすめられる理由です。本物のマダニは素手でさわらず、観察は布とゴマで行ってください。
もっと知りたい人へ ― 用語・数式・教科書とのつながり中学理科から大学の専門科目まで、どのレベルの話かを明示しています
- 中学中学校の理科で習う範囲
- 高校高校の「生物」で習う範囲
- 高校+高校の発展、または教科書のコラム扱いの内容
- 大学高校では習わない、大学の専門科目(衛生動物学・感染症学)の内容
- 研究大学でも「定説」として教わらない、いま研究者が調べている最中の話
中学用語:この現象には名前があります
- マダニ:クモの仲間(脚は8本)で、動物の血を吸う大型のダニ。家の中にいる小さなダニとは別のグループです。
- 口下片(こうかへん):皮膚に差しこむ口の部分。後ろ向きの細かい歯(返し)が並んでいます。
- セメント物質:咬みついたあとにだ液から出す、口を皮膚に固定する物質。
- ハラー器官:前脚の先にある感覚器。二酸化炭素や熱、においを感じ取るとされます。
中学高校式で確かめる:マダニは1時間にどれだけ吸うの?
「100倍にふくらむ」と聞くと大量に思えます。けれども、それを何日かに分けると、1時間あたりはとても少ない量になります。体の大きさがどれだけ変わるかも、あわせて見積もります。
| 記号で書くと | q = ( W1 − W0 ) ÷ T 、 L1 = L0 × ∛( W1 ÷ W0 ) |
| 言葉で書くと | 1時間に吸う量 = 増えた体重 ÷ 吸っている時間。体長は、体重の倍率の立方根の倍になる |
| どこから来る式か | 体に残った血の重さだけ体重が増える(質量の保存)。形が相似のままふくらむなら、体積(重さ)は長さの3乗に比例する |
| 吸う前の成虫のメスの体重 W0(目安) | 3 mg |
| 吸ったあとの体重の倍率(目安) | およそ100倍 |
| 吸っている期間 T(目安) | 7日 |
| 吸う前の体長 L0(目安) | 3 mm |
| 蚊1匹が1回に吸う血の量(目安) | 2〜3 mg とされる |
記号の意味:W0 は吸う前の体重、W1 は吸ったあとの体重(単位は mg)、T は吸っている時間、L0・L1 は前後の体長(単位は mm)。
| 吸ったあとの体重 W1 | 3 × 100 = 300 mg |
| 増えた体重 | 300 − 3 = 297 mg |
| 吸っている時間(時間に直す) | 7 × 24 = 168 時間 |
| 1時間あたりに吸う量 q | 297 ÷ 168 ≒ 1.8 mg |
| 体重の倍率の立方根 | 100 の立方根は およそ 4.6 |
| 吸ったあとの体長 L1 | 3 × 4.6 ≒ 14 mm |
1時間あたりおよそ1.8mgで、蚊1匹が1回に吸う量より少ないくらいです。実際には最後の1〜2日に集中するので、はじめの数日はさらに少なくなります。体長は計算では14mmほどですが、平たい体が丸くふくらむので、実物は1cm前後とされます。なお、マダニは吸った血の水分の一部をだ液として宿主へ戻すため、吸った血の総量は体重の増え方より多いとされます。
高校高校+痛みとかゆみを止める、だ液のはたらき
高校皮膚が傷つくと、血液を固める「血液凝固」と、異物を追い出す「炎症」が起こります。炎症ではヒスタミンなどが放出され、かゆみや腫れ、痛みのもとになります。高校生物の「免疫」「血液凝固」の単元で習うしくみです。
高校+マダニのだ液には、血が固まるのを妨げる物質、ヒスタミンなどの働きを弱める物質、免疫の反応を抑える物質など、多くのたんぱく質が含まれているとされます。何日も同じ場所で吸い続けるには、体の防御反応を長く抑え続ける必要があるからです。
大学ダニ媒介感染症と、吸血の時間
マダニが運ぶ病気は「ダニ媒介感染症」とまとめて呼ばれ、日本では重症熱性血小板減少症候群(SFTS)、日本紅斑熱、ライム病などが知られています。病原体の種類によっては、咬みついてから体へうつるまでに時間がかかるとされ、早く見つけて取り除くことに意味があると考えられています。衛生動物学では、宿主を待ち伏せる行動を「クエスティング」と呼びます。
📖 さらに先の内容:マダニ ― ウィキペディア / 重症熱性血小板減少症候群 ― ウィキペディア
研究まだはっきりとはわかっていないこと
- だ液の成分は、ぜんぶ分かっているのか。 マダニのだ液には数百種類ともいわれるたんぱく質があり、吸血の段階で中身が入れかわるとされます。それぞれの役割は、まだ調べられている途中です。
- マダニを使ったワクチンはつくれるか。 だ液の成分に対する免疫をつけて、マダニがうまく吸えないようにする研究が進められています。
- 分布はどう変わっていくのか。 シカやイノシシの増加、気温の変化とともに、マダニや感染症の地域が広がっているという指摘があり、追跡が続いています。
つまりこの記事の内容も、「いまわかっている範囲での説明」です。数値は種類や個体によって大きく異なります。
教科書とのつながり(レベル別)
| レベル | 科目・単元 | この記事のどこ |
|---|---|---|
| 中学 | 理科「動物の分類」「刺激と反応」 | クモの仲間としてのマダニ、痛みを感じるしくみ |
| 高校 | 生物「免疫」「血液凝固」 | 炎症、ヒスタミン、血が固まるしくみ |
| 高校+ | 生物の発展 | だ液が体の防御反応を抑える話 |
| 大学 | 衛生動物学、感染症学 | クエスティング、ダニ媒介感染症 |
| 研究 | 寄生虫学、生態学 | だ液の成分、ワクチン、分布の変化 |
| ― | 生活とのつながり | 草むらでの服装、帰宅後の確認、引き抜かないこと |
- 厚生労働省「重症熱性血小板減少症候群(SFTS)」
- ウィキペディア「マダニ」
- ウィキペディア「重症熱性血小板減少症候群」
- Sonenshine, D. E., & Roe, R. M. (Eds.). (2014). Biology of Ticks (2nd ed.). Oxford University Press.
- Francischetti, I. M. B., et al. (2009). The role of saliva in tick feeding. Frontiers in Bioscience, 14, 2051–2088.
※本記事は一般向けの科学解説です。掲載した数値は、しくみを理解するための目安・概算で、マダニの種類や個体によって異なります。咬まれた場合や体調に異変がある場合は医療機関を受診し、医師・保健所・自治体等の指示に従ってください。