ステンレスの鍋やシンクは、なぜ磁石につかないの?
― 中身はほとんど鉄。変わったのは、原子の「並び方」です
ステンレスは、重さの7割ほどが鉄でできています。それなのに、台所のシンクに磁石を当てても、ほとんどくっつきません。磁石につくかどうかを決めているのは、「鉄が入っているか」ではありません。鉄の原子がどんな形に並んでいるか、なのです。
買ってきたキッチンタイマーの裏には、磁石がついています。冷蔵庫の扉にはぴたりとつきました。
ところが、流し台のステンレスの壁に当てると、するりと落ちてしまいます。同じ「金属」で、しかも鉄の仲間のはずなのに、です。
さらにふしぎなことに、シンクの角や、曲げて作られた縁のあたりでは、磁石が少しだけ引っかかることがあります。同じ板なのに、場所によって違うのです。
理由は2つだけ
鉄の原子は1つ1つが小さな磁石です。ふつうの鉄では、その向きが一斉にそろいます。ステンレスにニッケルを混ぜると原子の並び方が変わり、向きがそろわなくなります。
強く曲げた部分では、原子の並びがむりやりずらされます。その一部が、磁石につく並び方に変わります。シンクの角だけ磁石が引っかかるのは、このためです。
つまり磁石の力は、原子の「材料」より「チームワーク」で決まっています。1つずつ順に見ていきましょう。
原子の小さな磁石は、そろったときだけ力になる
鉄の原子の中では、電子がこまのように回っています。この回転のせいで、原子1つ1つが方位磁針の針のような小さな磁石になっています。ふつうの鉄では、となりどうしの原子が「同じ向きになろう」と強く引き合います。そのため何兆個もの原子の向きがそろい、外から近づけた磁石を強く引きつけます。
ここで大事なのが、原子の並び方です。ふつうの鉄の原子は、立方体の角と真ん中に1つずつ入る形で並んでいます。ところが、ステンレスの代表である「18-8」(クロム18%・ニッケル8%)では、ニッケルの働きで原子が立方体の角と各面の真ん中に入る、もっと詰まった並び方になります。この並び方では、となりどうしの原子が向きをそろえる力がうまく働きません。向きがばらばらのままなので、全体としての磁石の力がほとんど打ち消されます(図1)。
おもしろいのは、ニッケルそのものは磁石につく金属だということです。磁石につく鉄に、磁石につくニッケルを混ぜたのに、混ぜたものは磁石につかなくなります。磁石の力が「材料の足し算」ではなく、「並び方」で決まっている何よりの証拠です。
同じステンレスでも、磁石がつく種類と場所がある
ステンレスには、ニッケルを入れない「18-0」(クロム18%だけ)という種類もあります。こちらは原子の並び方がふつうの鉄と同じなので、磁石にしっかりつきます。安いスプーンや、電磁調理器(IH)に使える鍋の底によく使われています。IHは、磁石につく金属の中に電流をうずのように起こして温めるしくみなので、磁石につかない鍋は温まりにくいのです。
18-8の場合でも、強く曲げたり、押しつぶして形を作ったりした部分は事情が違います。原子の並びが力でずらされると、一部が磁石につく並び方へと入れかわります。シンクの角、スプーンの首の曲がった所、鍋の縁などで磁石が弱く引っかかるのはこのためです。磁石をすべらせていくと、曲げの強い所でだけ「ひっかかり」を感じられます。
「磁石につくのはステンレスではない」という言い方を聞くことがありますが、正しくありません。18-0のように、磁石によくつくステンレスもあります。さびにくさを生んでいるのは主にクロムで、表面にできるごく薄い膜が中を守っています。磁石につくかどうかは、さびにくさとは別の性質です。
鉄でさえ、熱すると磁石につかなくなる
原子の向きがそろうかどうかは、温度でも変わります。温度が上がると原子は激しく揺れ、となりと向きをそろえる力に逆らうようになります。鉄の場合、およそ770℃をこえると向きのそろいが完全にくずれ、磁石につかなくなります。この温度を「キュリー温度」といいます。図2のつまみで温度を変えてみてください。そろい具合は700℃をこえたあたりから急に落ち、770℃で0になります。
さらに熱して約910℃をこえると、鉄の原子はステンレスの18-8と同じ、詰まった並び方に組みかわります。18-8は、ニッケルの力で「高温の鉄の並び方」を室温までとどめておいた金属だ、と見ることもできます。
まとめ
ステンレスの多くが磁石につかないのは、鉄が抜けたからではありません。ニッケルを加えたことで原子の並び方が変わり、原子の小さな磁石が向きをそろえられなくなったからです。並び方が鉄と同じ18-0は磁石につき、18-8でも曲げた所だけは少しつきます。そして鉄そのものも、770℃をこえると向きがくずれて磁石につかなくなります。
磁石につく力は、原子の「数」ではなく「そろい方」。
並び方を変えれば、鉄でさえ磁石を忘れます。
磁石そのものの性質は、磁石を半分に割ったら、N極だけの磁石ができるの?で詳しく解説しています。鉄を熱したときの色の変化は鍛冶職人は、なぜ温度計なしで鉄の温度がわかるの?、ステンレスがさびにくい理由とも関わる話は鉄はなぜサビるの?もどうぞ。
- 冷蔵庫のマグネットを1つはずし、流し台の平らな面に当てます。ほとんどつかないはずです。次に、シンクの角や曲げられた縁にゆっくりすべらせ、引っかかる場所を探します。
- スプーンやフォークの柄に当ててみます。磁石につくもの、つかないもの、首の曲がった所だけ少しつくものがあるはずです。柄の裏に「18-8」「18-0」の刻印があれば、結果と見比べます。
- 鍋やフライパンの底にも当ててみます。底だけ磁石につく鍋は、IHで使えるように磁石につく金属を張り合わせてあることが多いです。
強い磁石(ネオジム磁石)だと18-8にもわずかに引かれることがあります。小さな冷蔵庫用の磁石のほうが、違いがはっきり出ます。火にかけた直後の鍋では試さないでください。
もっと知りたい人へ ― 用語・数式・教科書とのつながり中学理科から大学の専門科目まで、どのレベルの話かを明示しています
- 中学中学校の理科で習う範囲
- 高校高校の「物理」「化学」で習う範囲
- 高校+高校の発展、または教科書のコラム扱いの内容
- 大学高校では習わない、大学の専門科目(固体物理学・金属材料学)の内容
- 研究大学でも「定説」として教わらない、いま研究者が調べている最中の話
中学用語:この現象には名前があります
- 強磁性:鉄・ニッケル・コバルトのように、原子の磁石の向きが自然にそろい、磁石に強く引かれる性質。
- 体心立方格子と面心立方格子:原子の並び方の名前。前者は立方体の角と中心、後者は角と各面の中心に原子が入ります。ふつうの鉄は前者、18-8ステンレスは後者です。
- オーステナイト系ステンレス:面心立方格子の並び方をもつステンレス。18-8(JIS規格の SUS304 など)が代表で、ほとんど磁石につきません。
- キュリー温度:強磁性が消える温度。鉄ではおよそ770℃とされています。
中学高校式で確かめる:磁石が引く力は、鉄と18-8でどれくらい違う?
1立方センチの金属のかたまりを、強い磁石の表面に近づけたときの引力を見積もります。磁石につきやすさを表す数は「磁化率」(記号 χ)とよばれます。この数が、引く力にそのまま比例します。
| 記号で書くと | F = (χ × V ÷ μ0) × B × (ΔB ÷ Δx) |
| 言葉で書くと | 引く力 = 磁化率 × 体積 ÷ 真空の透磁率 × 磁場の強さ × 磁場が距離とともに弱まる割合 |
| どこから来る式か | 磁場の中で磁化した物体がもつ磁気のエネルギーは、磁場が強い所ほど低くなります。物体はエネルギーが低い側、つまり磁石の近くへ押されます。その「エネルギーの坂」の傾きが力です。 |
| 記号の意味と単位 | F は力(N)、V は体積(m³)、B は磁場の強さ(テスラ)、Δx は距離(m) |
| 強い磁石の表面の磁場 B | およそ 0.4 テスラ |
| 磁場が弱まる割合(1cmで0になるとする) | 1mあたり 40 テスラ |
| 1 ÷ μ0(真空の透磁率の逆数) | およそ 800000 とされる |
| 体積 V(1立方センチ) | 0.000001 m³ |
| 鉄の板の実効的な磁化率 | およそ 1(鉄自身の磁気が打ち消し合い、形で決まる上限に達するとされる) |
| 18-8の磁化率 | 0.003〜0.01 程度とされる(ここでは 0.005) |
| 磁場 × 弱まる割合 | 0.4 × 40 = 16 |
| μ0 でわる(800000 をかける) | 16 × 800000 = 12800000 |
| 1立方センチの体積をかける | 12800000 × 0.000001 = 12.8 |
| 鉄(磁化率 1)の引く力(N) | 12.8 × 1 = 12.8 |
| 重さに直す(kg) | 12.8 ÷ 9.8 ≒ 1.3 |
| 18-8(磁化率 0.005)の引く力(N) | 12.8 × 0.005 = 0.064 |
| 重さに直す(kg) | 0.064 ÷ 9.8 ≒ 0.0065 |
| 鉄は18-8の何倍か | 12.8 ÷ 0.064 = 200 |
同じ大きさのかたまりでも、鉄は約1.3kg分の力で引かれるのに、18-8は約6.5g分しか引かれません。差は200倍ほどです。冷蔵庫用の磁石はもっと弱いので、18-8の上では自分の重さを支えきれずに落ちてしまいます。数値は、しくみをつかむための目安です。
高校高校+結晶構造と、加工で生まれる磁性
高校化学では、金属の結晶格子として体心立方格子・面心立方格子・六方最密構造を習います。面心立方格子は充填率が約74%で、体心立方格子の約68%より詰まっています。鉄は約910℃で体心立方から面心立方へ組みかわる「同素変態」を起こします。
高校+18-8を室温で強く曲げると、面心立方の一部が「加工誘起マルテンサイト」とよばれる体心立方に近い組織へ変わります。この部分は強磁性なので、磁石に弱く引かれます。熱処理(固溶化処理)をすると、ふたたび面心立方にもどって磁石につかなくなるとされています。
大学交換相互作用とキュリー温度
原子の磁石の向きをそろえる力の正体は、電子どうしの「交換相互作用」です。これは量子力学のパウリの排他原理から生まれる効果で、古典的な磁石どうしの力よりはるかに強いとされます。金属の鉄では、電子が原子のあいだを動き回るため、「ストーナー条件」を満たすかどうかで強磁性が決まる、という見方(バンド理論による遍歴電子磁性)が使われます。原子の間隔や並び方が変わると、この条件が満たされなくなることがあります。キュリー温度より上では、磁化率が温度に反比例して下がる「キュリー・ワイスの法則」が成り立ちます。図2の曲線は、測定値によく合うクズミンの近似式で描いています。
📖 式の導出や、さらに先の内容:キュリー温度(ウィキペディア) / 強磁性(ウィキペディア)
研究まだはっきりとはわかっていないこと
- 面心立方の鉄の磁気は、本当はどうなっているのか。 純粋な面心立方の鉄は、低温では向きが交互にそろう「反強磁性」に近い状態だと考えられていますが、原子の間隔によって性質が大きく変わり、全体像はいまも議論されています。
- どれだけ曲げると、どれだけ磁石につくようになるのか。 加工誘起マルテンサイトのでき方は、温度や加工の速さ、わずかな成分の違いで大きく変わります。正確に予測するモデルづくりが続いています。
- 温度とともに磁化が減る曲線の形を、理論だけで出せるか。 図2で使った近似式は測定に合わせたもので、鉄のような金属の曲線を第一原理から正確に計算することは、いまも難しい課題とされています。
つまりこの記事の内容も、「いまわかっている範囲での説明」です。毎日さわるシンクの中にも、物理学の未解決の問いが眠っています。
教科書とのつながり(レベル別)
| レベル | 科目・単元 | この記事のどこ |
|---|---|---|
| 中学 | 理科:磁石と磁界、金属の性質 | 磁石につく金属・つかない金属 |
| 高校 | 化学:金属の結晶格子/物理:磁場 | 図1の並び方の違い、引く力の式 |
| 高校+ | 化学の発展:合金と同素変態 | 18-8・18-0の違い、曲げた所の磁性 |
| 大学 | 固体物理学・金属材料学 | 交換相互作用、ストーナー条件、キュリー温度 |
| 研究 | 磁性物理・材料科学 | 面心立方の鉄の磁気、加工誘起変態の予測 |
| ― | 生活とのつながり | IH対応の鍋選び、食器の刻印の見方 |
- ステンレス鋼(ウィキペディア)
- オーステナイト(ウィキペディア)
- ステンレス協会 編『ステンレス鋼便覧』日刊工業新聞社
- 近角聰信『強磁性体の物理(上)』裳華房
- M. D. Kuz'min, "Shape of Temperature Dependence of Spontaneous Magnetization of Ferromagnets: Quantitative Analysis", Physical Review Letters 94, 107204 (2005)
※本記事は一般向けの科学解説です。掲載した数値は、しくみを理解するための目安・概算です。製品の材質や調理器具の対応可否は、各製品の表示を確認してください。