鍋にふたをすると、なぜ早く沸くの?
― 熱を持ち逃げしていたのは、湯気でした
鍋のふたは、ほこりよけではありません。ふたが止めているのは、湯の表面から立ちのぼる湯気です。湯気は目立たないのに、熱をごっそり運び去ります。水1グラムを湯気に変える熱は、同じ1グラムを水道の水から沸かす熱の、およそ7倍もあるのです。
パスタをゆでようと、大きな鍋に水を張って火にかけます。なかなか沸かないので、ふたをかぶせました。すると、さっきまでの待ち時間がうそのように、すぐにぐつぐつと音がし始めます。
沸いたあとも同じです。ふたを外したままだと、強火にしないと沸騰が続きません。ふたをすれば、弱火にしてもぐつぐつが続きます。
ふたは薄い金属やガラスの板です。湯を温める力があるわけではありません。では、ふたは何をしているのでしょうか。
理由は2つだけ
水が湯気になるとき、ものすごい量の熱を抱えて出ていきます。1グラムが蒸発するだけで、7グラム近い水を沸かせるほどの熱が鍋から消えます。
湯気の出る勢いは、湯の温度に比例して増えるのではありません。80℃をこえたあたりから急に増え、沸騰の手前で最大になります。
この2つが重なると、沸く直前の鍋は、入れた熱の大きな割合を湯気として捨てていることになります。ふたは、その出口を閉じているのです。順に見ていきます。
湯気は、なぜそんなに熱を運ぶの?
水の粒どうしは、互いに引っぱり合ってくっついています。湯の表面から粒が1つ飛び出して湯気になるには、この引っぱり合いを振りきるだけの勢いが要ります。その勢いの分の熱を、飛び出す粒が鍋から持ち去ります。
その量が並外れています。水1グラムを20℃から100℃まで温める熱を「1」とすると、100℃の水1グラムを湯気に変える熱は「約6.7」です。湯の温度は上がらないのに、熱だけがどんどん出ていくわけです。汗をかくと体が冷えるのも、同じしくみです。
図1を見てください。左のふたなしの鍋では、上向きの矢印のように、湯気が熱を抱えたまま部屋へ逃げていきます。右のふたありの鍋では、湯気はふたの裏に当たって冷やされ、しずくに戻ります。湯気が抱えていた熱は、しずくに戻るときにふたと鍋へ返されます。しずくは、点線の矢印のように湯の中へ落ちていきます。
なぜ、沸く直前ほど ふたが効くの?
湯気が出る勢いは、「湯の表面に、どれだけ強く湯気が押し寄せているか」で決まります。この押す強さを飽和水蒸気圧と呼びます。部屋の空気にもともと含まれる湯気より、この押す力がずっと強いと、湯気はどんどん空気へ出ていきます。
この押す強さは、温度が上がるほど急激に大きくなります。図2のつまみを動かしてみてください。20℃の水にくらべて、60℃ではおよそ8.5倍、80℃では約20倍です。100℃になると約40倍をこえ、まわりの空気の重さ(1気圧)と並びます。これが沸騰です。
つまり、ふたの効き目は、ぬるいうちは小さく、沸く直前と、沸いたあとに最大になります。沸騰を続けているふたなしの鍋は、コンロから入る熱のほとんどを湯気にして捨てています。家庭のコンロの強火で10分ゆで続けると、数百グラムの水が消えるとされます。ふたをすれば、その熱の多くが鍋に戻るので、弱火でも沸騰が続くのです。
ふつうのふたは軽く、すき間から湯気が抜けます。鍋の中の圧力はほとんど上がらず、沸く温度は100℃のままです。ふたが変えているのは「沸くまでの時間」と「沸騰を続けるのに要る火の強さ」です。沸く温度そのものを上げるのは、ふたを固く締める圧力鍋の仕事です。
麺や豆をゆでると、湯にとけたでんぷんが泡を長持ちさせます。ふたをぴったり閉めたままだと、泡が逃げ場を失って吹きこぼれやすくなります。沸くまではふたをして、沸いたらふたを少しずらすと、熱の節約と吹きこぼれ防止を両立できます。ふたを開けるときは、湯気が顔に来ないよう、向こう側へ傾けて開けましょう。
まとめ
鍋から逃げる熱のうち、目に見えにくいのに大きいのが湯気です。水は湯気になるとき、自分を沸かした熱の約7倍を持ち去ります。しかもその勢いは、湯が熱くなるほど急に強まります。ふたは、その出口を閉じて、熱を鍋の中へ返す道具です。
ふたは湯を温めているのではない。
湯気に熱を持ち逃げさせないのだ。
同じ湯気が、肌に触れるとなぜ熱いのかは「やけどは、なぜお湯より湯気のほうがひどくなるの?」で、沸く温度を上げる圧力鍋のしくみは「富士山ではご飯がうまく炊けないのに、圧力鍋だと早く煮えるのはなぜ?」で解説しています。
- 同じ鍋に同じ量の水(たとえば1リットル)を入れ、鍋ごとはかりで重さを量ります。
- 同じ火加減で、1回目はふたなし、2回目はふたありで沸かし、沸くまでの時間を計ります。
- 沸いたら弱めの中火で5分続け、火を止めて重さを量り直します。ふたなしとふたありで、減った重さを比べましょう。
減った重さが、湯気になって逃げた水の量です。熱い鍋をはかりに載せるときは、鍋つかみを使い、はかりの上に鍋敷きを置いてください。小さな子どもと行うときは、大人が鍋を扱いましょう。
もっと知りたい人へ ― 用語・数式・教科書とのつながり中学理科から大学の専門科目まで、どのレベルの話かを明示しています
- 中学中学校の理科で習う範囲
- 高校高校の「物理」「化学」で習う範囲
- 高校+高校の発展、または教科書のコラム扱いの内容
- 大学高校では習わない、大学の専門科目(熱力学・伝熱工学)の内容
- 研究大学でも「定説」として教わらない、いま研究者が調べている最中の話
中学用語:この現象には名前があります
- 蒸発熱(気化熱):液体が気体になるときに、まわりから奪う熱。水では1グラムあたり約2260ジュール(100℃のとき)。
- 比熱:1グラムの物質の温度を1℃上げるのに要る熱。水では約4.2ジュール。
- 飽和水蒸気圧:水面から湯気が出ようとする強さの上限。温度で決まり、1気圧と等しくなる温度が沸点。
中学高校式で確かめる:湯気はどれだけ熱を持ち逃げするか
1リットル(1キログラム)の水を20℃から沸かすときに要る熱と、湯気で逃げる熱を比べます。蒸発する量は鍋の大きさや部屋の風で大きく変わるため、ここでは目安の値を置いて計算します。
| 記号で書くと | Q = m × c × ΔT + mv × L |
| 言葉で書くと | 要る熱 = 水の重さ × 比熱 × 上げる温度 + 蒸発した水の重さ × 蒸発熱 |
| どこから来る式か | エネルギー保存。コンロから水に入った熱は、水の温度を上げる分と、湯気が持ち去る分に分かれる |
| 記号 | 意味と単位 |
| Q | 水に入れる必要がある熱(ジュール) |
| m, c, ΔT | 水の重さ(グラム)、比熱(ジュール/グラム・℃)、上げる温度(℃) |
| mv, L | 湯気になった水の重さ(グラム)、蒸発熱(ジュール/グラム) |
| 水の比熱 | 1グラムあたり 4.2 ジュール/℃ |
| 水の蒸発熱(100℃) | 1グラムあたり 約2260 ジュール |
| 上げる温度 | 20℃から100℃まで、80℃ |
| コンロから水に入る熱(強火の目安) | 毎秒 約1000 ジュール(1キロワット)とする |
| 水1グラムを80℃上げる熱 | 4.2 × 80 = 336 ジュール |
| 1リットル(1000グラム)を沸かす熱 | 336 × 1000 = 336000 ジュール |
| 蒸発熱は、沸かす熱の何倍か | 2260 ÷ 336 ≒ 6.7 倍 |
| 沸くまでに20グラム蒸発したとすると | 20 × 2260 = 45200 ジュール |
| 沸かす熱に対する割合 | 45200 ÷ 336000 ≒ 0.13 |
| 沸騰中、1秒で湯気になる水 | 1000 ÷ 2260 ≒ 0.44 グラム |
| ふたなしで10分(600秒)沸騰を続けると | 0.44 × 600 ≒ 264 グラム |
沸くまでの間にわずか20グラム(大さじ1杯と少し)が湯気になるだけで、沸かす熱の1割強が余分に要ります。沸いたあとは、ふたなしだと入れた熱のほとんどが湯気になり、10分で250グラムをこえる水が消える計算です。これは目安の計算ですが、ふたが「沸くまで」より「沸いたあと」に効くことがよく分かります。
高校高校+熱は3つの道で鍋から逃げる
高校鍋の湯面から熱が逃げる道は、空気に直接触れて伝わる「対流」、目に見えない赤外線として出ていく「放射」、そして湯気が持ち去る「蒸発」の3つです。湯の温度が低いうちは対流と放射が主ですが、温度が上がると蒸発の分が急に大きくなり、沸騰に近づくと最大の出口になります。
高校+ふたの裏で湯気がしずくに戻ることを凝縮といいます。凝縮では、蒸発のときに持ち去った熱がそっくり放出されます。ふた自体も熱くなり外へ熱を逃がしますが、湯気をそのまま部屋へ出すよりはずっと少なくて済みます。
大学飽和水蒸気圧の急な立ち上がりと、物質移動
飽和水蒸気圧が温度とともに指数関数のように増えることは、熱力学のクラウジウス・クラペイロンの式で説明されます。図2の曲線は、気象学でよく使われるテテンスの近似式で描いたものです。湯面からの蒸発の速さは、伝熱工学では「物質移動」として扱われ、水面の水蒸気濃度とまわりの空気の濃度の差に、物質移動係数をかけて見積もります。熱の伝わり方と湯気の運ばれ方が似た形の式になることは、熱と物質移動の相似性(アナロジー)と呼ばれます。
📖 式の導出や、さらに先の内容:クラウジウス・クラペイロンの式(ウィキペディア) / 蒸発熱(ウィキペディア)
研究まだはっきりとはわかっていないこと
- 湯面からの蒸発量を正確に予測すること 熱い湯面の上では空気が乱れながら立ちのぼるため、蒸発の速さは経験式で見積もるのがふつうです。鍋の形や部屋の風まで含めて正確に予測するのは、今も簡単ではありません。
- 調理の省エネ効果の幅 ふたや火加減による省エネの効果は、鍋の材質・大きさ・火力で大きく変わります。実際の台所で、どの条件でどれだけ違うかを測る試みが続いています。
- しずくのでき方を変えて熱の受け渡しを速める 湯気が面の上で膜になるか、粒になるかで熱の伝わり方が変わることが知られています。表面の加工で粒になりやすくし、熱の受け渡しを速める研究が進められています。
つまりこの記事の内容も、「いまわかっている範囲での説明」です。計算の数値は、しくみを実感するための目安として読んでください。
教科書とのつながり(レベル別)
| レベル | 科目・単元 | この記事のどこ |
|---|---|---|
| 中学 | 理科「状態変化」「熱の伝わり方」 | 湯気が熱を持ち去る、ふたの裏でしずくに戻る |
| 高校 | 物理「熱とエネルギー」、化学「状態変化と蒸気圧」 | 比熱と蒸発熱の計算、飽和水蒸気圧 |
| 高校+ | 物理の発展「凝縮と潜熱」 | ふたの裏で熱が返されるしくみ |
| 大学 | 熱力学・伝熱工学 | クラウジウス・クラペイロンの式、物質移動 |
| 研究 | 伝熱・相変化の研究 | 蒸発量の予測、滴状凝縮の利用 |
| ― | 生活とのつながり | 鍋やケトルのふた、落としぶた、ガス代・電気代の節約 |
- 国立天文台 編『理科年表』丸善出版(水の比熱・蒸発熱・飽和水蒸気圧の値)
- 日本機械学会 編『伝熱工学資料』丸善出版(蒸発と物質移動の扱い)
- ウィキペディア「蒸発熱」
- Tetens, O. (1930) Über einige meteorologische Begriffe. Zeitschrift für Geophysik, 6, 297–309.(飽和水蒸気圧の近似式)
※本記事は一般向けの科学解説です。掲載した数値は、しくみを理解するための目安・概算です。鍋や湯気を扱う実験は、大人が付き添い、十分に注意して行ってください。