キンモクセイの香りは、なぜ「ある朝とつぜん」気づくの?
― 鼻は、においの量ではなく「変化」を知らせています
昨日まで何も感じなかったのに、今朝は町じゅうが甘い香りでいっぱい。実はこの「とつぜん」は、花と鼻の両方が作っています。花は町じゅうでほぼ同時に開き、鼻はにおいの量よりも「変わった瞬間」を強く知らせるからです。
9月の終わりから10月のはじめ。少しひんやりした朝に玄関のドアを開けると、ふわっと甘い香りがします。
見まわすと、生け垣の濃い緑の葉のすき間に、小さなオレンジ色の花がびっしり付いています。駅までの道でも、あちこちから同じ香りがします。
ところが数日たつと、花はまだ咲いているのに、あまり香りを感じなくなります。あの香りはどこへ行ったのでしょう。
「とつぜん」の理由は2つだけ
日本のキンモクセイは、ほとんどが挿し木で増やされた「同じ性質の木」です。夏のうちにつぼみを用意し、秋に気温が下がると一斉に開くと考えられています。
鼻は、同じにおいをかぎ続けると反応が弱まります。香りのない家の中から外へ出た瞬間は、鼻がいちばん敏感な状態で、香りを強く感じます。
つまり、花の香りがゆっくり増えたのではありません。香りが一気に立ちのぼり、それを「新しいにおい」として鼻が強く知らせたのです。順番に見ていきましょう。
なぜ町じゅうの木が、そろって咲くの?
キンモクセイは中国から伝わった木です。日本で見られるのは、ほとんどが雄の木だけだとされています。そのため実がならず、種からは増えません。
庭木として広まったのは、枝を切って土に挿す「挿し木」によってです。挿し木で増えた木は、もとの木と遺伝子が同じです。花を咲かせる条件も、ほぼ同じになります。
つぼみは夏のあいだに枝に作られ、しばらく待機します。そして秋に気温が下がってくると、それを合図に開くと考えられています。同じ町なら気温の下がり方もほぼ同じです。だから、数えきれない木が同じころに香りを放ちはじめます。
下の図1を見てください。点線は、木から出る香りの量のイメージです。咲きはじめると数日で一気に増えます。一方、実線は鼻が感じる強さです。こちらは最初の朝に高い山をつくり、花がまだ咲いている間に下がっていきます。
なぜ数日で、香りを感じにくくなるの?
鼻の奥には、においの分子を受け取るセンサーが並んでいます。人では約400種類あるとされ、分子の形によって反応するセンサーの組み合わせが変わります。
同じにおいが届き続けると、センサーの反応は弱まっていきます。脳も「もう知っている、危険ではないにおい」として注意を向けにくくなります。これを「においの慣れ」といいます。
自分の家のにおいが分からないのも、同じしくみです。鼻は、今そこにある量を正確に測る道具ではありません。「さっきと何が変わったか」を知らせる見張り番なのです。
だから、ずっと外にいる人より、家から出たばかりの人のほうが香りに気づきやすくなります。毎朝の通勤や通学で「今日から咲いた」と気づくのは、このためです。
もちろん、花そのものも1週間ほどで散りはじめます。感じにくくなるのは、慣れと花の衰えが重なった結果だと考えられます。
よく晴れて風の弱い朝は、地面近くの空気が冷えて動きにくくなります。すると香りの分子が低いところにたまり、鼻に届きやすくなります。湿度が高く曇った日も香りを感じやすいとされています。
キンモクセイの香りには、桃のような香りの分子や、スミレのような香りの分子が含まれていることが知られています。ひとつの分子ではなく、その混ざり具合が「あの香り」を作っています。
まとめ
キンモクセイは、同じ性質をもつ木が秋の冷え込みを合図にそろって咲きます。そして鼻は、においの量ではなく変わり目を強く伝えます。この2つが重なって、「ある朝とつぜん」の体験が生まれます。
鼻が知らせるのは「どれだけあるか」ではなく、
「いま何が変わったか」です。
雨のにおいがどこから来るのかは「雨が降りはじめると、なぜ独特のにおいがするの?」で解説しています。目にも同じような「慣れ」があることは「明るい所から暗い部屋に入ると、なぜしばらく何も見えないの?」で読めます。
- キンモクセイの木のそばに立ち、香りの強さを10点満点で心の中でつけます。
- そのまま3分ほど、木のそばで深呼吸を続けます。もう一度点数をつけると、下がっていることが多いはずです。
- 木から離れて、においのない場所で5分ほど過ごします。戻ってきて点数をつけ、最初と比べてみましょう。
キンモクセイがない季節は、コーヒーの粉や石けんでも試せます。花が少ない場所や時期なら、無理に探す必要はありません。
もっと知りたい人へ ― 用語・数式・教科書とのつながり中学理科から大学の専門科目まで、どのレベルの話かを明示しています
- 中学中学校の理科で習う範囲
- 高校高校の「生物」「化学」で習う範囲
- 高校+高校の発展、または教科書のコラム扱いの内容
- 大学高校では習わない、大学の専門科目(感覚生理学・香料化学)の内容
- 研究大学でも「定説」として教わらない、いま研究者が調べている最中の話
中学用語:この現象には名前があります
- 嗅覚順応(きゅうかくじゅんのう):同じにおいを受け続けると、感じる強さが弱まっていく性質。
- 挿し木(さしき):枝を切って土に挿し、根を出させて増やす方法。もとの木と遺伝子が同じ木になります。
- 嗅覚受容体(きゅうかくじゅようたい):鼻の奥の細胞にある、においの分子を受け取るたんぱく質。
- 放射冷却(ほうしゃれいきゃく):晴れた夜に地面が熱を空へ逃がして冷え、地面近くの空気が冷たく重くなる現象。
中学高校式で確かめる:気温の差は、咲く日を何日ずらす?
秋の気温がどのくらいの速さで下がるかを、東京の月平均気温の目安から見積もります。記号 T は気温(単位は℃)です。
| 9月の月平均気温(東京の平年値の目安) | 約24℃ |
| 10月の月平均気温(同) | 約19℃ |
| 1か月の日数 | 30日 |
| 町なかと郊外の気温差の例 | 1℃ |
| 1か月で下がる気温 | 24 − 19 = 5 ℃ |
| 1日あたりに下がる気温 | 5 ÷ 30 ≒ 0.17 ℃ |
| 1℃の差が生む日数のずれ | 1 ÷ 0.17 ≒ 6 日 |
秋の気温は1日に0.2℃ほどしか下がりません。そのため、同じ町の中の気温差はせいぜい数日の開花のずれにしかなりません。一方、南北に長い日本では気温差が数℃あるので、咲く時期が週単位でずれていきます。
高校高校+においのセンサーと「慣れ」のしくみ
高校においの分子は、鼻の奥の粘膜に溶けこみ、嗅細胞の受容体に結合します。受容体が働くと細胞内で信号が増幅され、電気信号として脳の嗅球へ送られます。
高校+慣れは1か所で起きるのではありません。嗅細胞そのものの反応が弱まる段階と、脳が変化のない入力を目立たなくする段階があると考えられています。数分でおさまる慣れと、同じ環境に長くいて生じる慣れは、しくみが違う可能性があります。
大学香りの成分と、少量でも届くわけ
キンモクセイの花の香り成分としては、γ-デカラクトン(桃に似た香り)、β-イオノン(スミレに似た香り)、リナロールやその酸化物などが報告されています。とくにβ-イオノンは、ごくわずかな濃度でも人がにおいを感じられる物質として知られています。こうした成分が、空気でうすめられても離れた場所まで届く理由の一つと考えられています。
研究まだはっきりとはわかっていないこと
- 開花の合図の正確な条件。 気温の低下が関わるとされますが、何度をどれだけの期間下回ると開くのか、夏の暑さや雨がどう影響するのかは、はっきりとは定まっていません。
- 年に2回咲く年があるのはなぜか。 同じ秋に、少し間をあけて2度目の花が咲くことが観察されています。つぼみの育ち方の差によると考えられていますが、詳しい条件は研究の途中です。
- においの感じ方の個人差。 受容体の遺伝子には個人差があり、特定の香り成分を感じにくい人がいることが知られています。同じ香りを「甘すぎる」と感じる人と「ほのか」と感じる人の差が、どこまで遺伝子で説明できるかは調べられている最中です。
つまりこの記事の内容も、「いまわかっている範囲での説明」です。とくに開花の引き金については、今後の観察で説明が変わる可能性があります。
教科書とのつながり(レベル別)
| レベル | 科目・単元 | この記事のどこ |
|---|---|---|
| 中学 | 理科「刺激と反応」「植物のふえ方」 | 鼻が刺激を受け取るしくみ、挿し木 |
| 高校 | 生物「受容器と興奮の伝導」 | 嗅細胞の受容体と、脳へ送られる信号 |
| 高校+ | 生物「環境応答(花芽形成)」 | 夏につぼみを作り、秋の冷え込みで開くこと |
| 大学 | 感覚生理学・香料化学 | 嗅覚順応の段階、香り成分の種類 |
| 研究 | 植物生理学・嗅覚の遺伝学 | 開花の引き金、においの感じ方の個人差 |
| ― | 生活とのつながり | 自分の家や服のにおいに気づきにくい理由、換気のタイミングの目安 |
- 日本植物生理学会「みんなのひろば 植物Q&A」
- 気象庁「過去の気象データ検索」(東京の平年値)
- 東原和成 編『化学受容の科学』化学同人
- Wilson, D. A. & Stevenson, R. J. "Learning to Smell: Olfactory Perception from Neurobiology to Behavior", Johns Hopkins University Press
- Kaiser, R. "Meaningful Scents Around the World", Wiley-VCH
※本記事は一般向けの科学解説です。掲載した数値は、しくみを理解するための目安・概算です。においの感じ方には個人差があります。急ににおいを感じなくなった場合などは、医療機関に相談してください。