ノイズキャンセリングは、なぜ音を消せるの?
― 「音を足して、音を消す」という発想
電車や飛行機の中で、ノイズキャンセリング機能つきのイヤホンをつけると、ゴーッという低いエンジン音が、すっと静かになります。耳をふさいでいるだけの普通の耳栓と違い、音がまったく聞こえなくなるわけではないのに、あの低い唸り音だけがきれいに消えます。これは、音をさえぎっているのではなく、別の音を「足して」消しているからです。
ノイズキャンセリング機能をオンにした瞬間、周囲のゴーッという低い音が、まるで音量つまみを絞ったかのように小さくなるのを感じたことがあるかもしれません。
不思議なのは、耳のまわりの状況は何も変わっていないということです。イヤホンが物理的に耳をふさぐ量は同じなのに、ある種の音(低いエンジン音や換気扇の音)だけが、狙ったようにすっと消えます。
音をブロックしているわけではないなら、いったい何が起きているのでしょうか。
音は、空気の圧力が高くなったり低くなったりを、くり返す波です。
もとの音とちょうど山と谷が逆になる波を足すと、2つの波は打ち消し合って、ほぼ無くなります。
ノイズキャンセリングは、この「波の打ち消し合い」を、電子回路で人工的に作り出している技術です。
音は、空気の圧力が振動する「波」です
音の正体は、空気の圧力が、高くなったり低くなったりをくり返す振動です。太鼓を叩くと空気が振動し、その振動が波として耳に届き、鼓膜を揺らすことで、私たちは音として感じ取っています。
波には、山(圧力が高い部分)と谷(圧力が低い部分)があります。音の高さが変わって聞こえるドップラー効果と同じく、音は目に見えない波として空気中を伝わっています。
正反対の波を足すと、波は消える
ここが、ノイズキャンセリングの核心です。ある波と、山と谷がちょうど入れ替わった波(逆位相の波)を、同じ場所で同時に足し合わせると、山は谷で打ち消され、谷は山で打ち消されて、ほぼ平らになります。これを「相殺干渉」「逆位相による打ち消し合い」と呼びます。
ノイズキャンセリング機能つきのイヤホンには、外側を向いた小さなマイクが付いています。このマイクが周囲の騒音を拾い、内部の電子回路がその騒音とちょうど山と谷が逆になる「逆位相の音」を、ごく短い時間で計算して作り出します。そして、スピーカーからその逆位相の音を鳴らすことで、鼓膜のすぐ手前で、もとの騒音と打ち消し合わせているとされています。
つまり、音を物理的にさえぎっているのではなく、「反対の音をぶつけて相殺している」ということです。これが、耳をふさぐ量が変わらないのに、特定の音だけが静かになる理由です。
もとの音に、正反対の音を足して、聞こえなくしています。
なぜ、低い音は消えやすく、高い音は消えにくいのか
ノイズキャンセリング機能は、エンジン音や換気扇の音のような、低くて連続的な音にはよく効きますが、人の話し声や、食器がぶつかる高い音には、あまり効かないことが知られています。
理由は、マイクが音を拾ってから、逆位相の音を作って鳴らすまでに、ごくわずかな時間(処理の遅れ)がかかることにあります。音の波が1回振動するのにかかる時間(周期)に対して、この処理の遅れが無視できないほど大きくなると、逆位相のタイミングがずれてしまい、うまく打ち消せなくなります。
低い音は、1回の振動にかかる時間が長いので、わずかな処理の遅れがあっても、タイミングのずれが目立ちにくく、打ち消しやすくなります。逆に高い音は、1回の振動が短時間で終わるため、同じ処理の遅れでも、相対的に大きなタイミングのずれになってしまい、打ち消しにくくなるとされています。実際にどれくらいの高さの音まで効果があるのか、次の折りたたみで数字を使って確かめます。
ノイズキャンセリングは、特定の連続音を弱める技術であり、周囲の音をすべて消してしまう技術ではありません。突発的な音(クラクションや、人の呼びかけなど)は打ち消しにくく、そのまま聞こえるとされています。歩行中や自転車の運転中に周囲の音への注意が必要な場面では、機能の特性をふまえて使うことが大切です。
自分で確かめられること
- スマートフォンで、同じ音楽や音を2つの端末で同時に再生できる状態を用意する(無ければ、1つの端末とスピーカーでも観察のヒントになります)
- ノイズキャンセリング機能つきのイヤホンやヘッドホンがあれば、静かな部屋でオンとオフを切り替えて、換気扇やエアコンの音がどう変わるかを聞き比べる
- 低くて連続的な音(換気扇・エアコンの音)と、高くて短い音(指を鳴らす音、食器の音)とで、効き方に違いがあるかを聞き比べる
低くて連続的な音のほうが、はっきり静かになると感じられれば、本文で説明した「低い音のほうが打ち消しやすい」という性質を、実際に体感できたことになります。
まとめ
ノイズキャンセリングは、音を物理的にさえぎるのではなく、マイクで拾った騒音とちょうど正反対の波(逆位相の音)を作り出し、鼓膜の手前で足し合わせて打ち消す技術です。処理には、ごくわずかとはいえ時間がかかるため、1回の振動が長い低い音ほど打ち消しやすく、振動が短い高い音ほど打ち消しにくいという性質があります。
ノイズキャンセリングは、静寂を作る魔法ではありません。
波を読んで、その真裏をぶつける、精密なタイミング勝負です。
もっと知りたい人へ ― 用語・数値・教科書とのつながり中学理科から研究中の話題まで、どのレベルの話かを明示しています
- 中学中学校の理科で習う範囲
- 高校高校の「物理基礎」で習う範囲
- 高校+高校の「物理」、または教科書の発展・コラム扱いの内容
- 大学高校では習わない、大学の専門科目(信号処理・音響工学)の内容
- 研究大学でも「定説」として教わらない、いま研究者が調べている最中の話
中学用語:波と音をめぐる言葉
- 波:ある場所の状態(この場合は空気の圧力)が、周期的にくり返し変化しながら伝わっていく現象。
- 振幅:波の山の高さ(振動の大きさ)。音では、音の大きさに対応します。
- 周期:波が1回振動するのにかかる時間。
- 周波数:1秒間に振動する回数。周期の逆数で、単位はHz(ヘルツ)。
高校式で確かめる:どれくらいの高さの音まで、打ち消せるのか
マイクが音を拾ってから、逆位相の音を鳴らすまでの処理の遅れと、音の周期を比べることで、うまく打ち消せる音の高さの目安を見積もります。
周期 = 1 ÷ 周波数
| 周期 | 波が1回振動する時間。単位は秒 |
| 周波数 | 1秒間に振動する回数。単位は Hz |
| 処理の遅れ | マイクが音を拾ってから、逆位相の音を鳴らすまでの時間。単位は秒 |
タイミングのずれを小さく保つには、「処理の遅れ」が「周期」に対して、じゅうぶん短い必要があります。ここでは、目安として「処理の遅れが、周期の10分の1以下」という条件を置いて計算します。
ノイズキャンセリング機能の処理の遅れは、機種や方式によって幅がありますが、代表的な目安として、およそ100マイクロ秒(0.0001秒)程度とされています。この値を使って計算します。
| 処理の遅れ(目安) | 0.0001 秒 |
| 必要な周期(遅れの10倍以上) | 0.0001 × 10 = 0.001 |
| 必要な周期 | 0.001 秒以上 |
| この周期に対応する周波数 | 1 ÷ 0.001 = 1000 |
| 打ち消しやすい音の上限(目安) | 約 1000 Hz(1kHz) |
この計算では、およそ1000Hzより低い音は打ち消しやすく、それより高い音は打ち消しにくくなるという目安が出てきます。飛行機やエンジンの低い唸り音は、多くがこの範囲より低いため、ノイズキャンセリングでよく効くとされる一方、人の声(子音を中心に、より高い周波数成分を多く含む)は、この範囲を超える部分が多く、打ち消しにくいと説明されることがあります。
※ 処理の遅れの具体的な値は、機種・方式によって幅があり、ここでの数値は代表的な目安です。「周期の10分の1」という基準も、しくみを理解するための簡略化した目安であり、実際の設計基準とは異なります。
高校+位相のずれとして考える
本文と①②では「時間のずれ」として説明しましたが、波の分野ではこれを「位相のずれ」として扱うのが一般的です。逆位相の音は、もとの音より半周期(位相にして180度)だけずれている状態にあたります。処理の遅れがあると、この180度のずれがぴったり180度からずれてしまい、打ち消しが不完全になります。ずれが大きくなりすぎると、打ち消すどころか、逆に音を強め合ってしまう場合もあるとされています。
大学フィードフォワード方式とフィードバック方式
実際のノイズキャンセリング機能には、耳の外側のマイクで周囲の音を先取りして処理する「フィードフォワード方式」と、耳の内側(鼓膜に近い側)のマイクで、実際に鼓膜に届いている音を測定しながら補正し続ける「フィードバック方式」があり、多くの製品ではこの2つが組み合わされているとされています。
また、周囲の音の特徴に応じて打ち消し方を細かく調整する適応フィルタと呼ばれる信号処理の技術も使われています。これは、周囲の音の性質があらかじめ決まった単純な音ではなく、時間とともに変化する現実の環境音に対応するための工夫です。
研究まだ、はっきりしていないこと・開発が続いていること
- 人の話し声や、食器の音のような、不規則で変化の速い音(非定常な音)をどこまで打ち消せるかは、いまも研究開発が続いている領域です。低くて規則的な音に比べ、こうした音を効果的に打ち消すのは技術的に難しいとされています。
- 屋外を歩くときなどに問題になる「風の音」をどう抑えるかも、開発が続いている課題です。風がマイクに直接当たることで生まれる雑音は、通常の騒音とは性質が異なり、扱いが難しいとされています。
- イヤホンをつけずに、特定の場所だけを静かにする「サウンドゾーン」と呼ばれる技術の研究も進められています。複数のスピーカーを使って、ある場所では音を打ち消し、別の場所では通常どおり聞こえるようにする試みですが、実用化にはまだ多くの技術的な課題が残っているとされています。
「音を足して、音を消す」という基本的な発想は古くからありますが、どんな音にも、どんな場所でも効かせられるようにする、という点では、いまも研究が続いている技術です。
教科書とのつながり(レベル別)
| レベル | 科目・単元 | この記事のどこ |
|---|---|---|
| 中学 | 理科・音の性質 | 波・振幅・周期の基本用語 |
| 高校 | 物理基礎・波の性質 | 周期と周波数の関係から、打ち消せる音の上限を見積もる計算 |
| 高校+ | 物理・波の干渉 | 位相のずれとしての説明 |
| 大学 | 音響工学・信号処理 | フィードフォワード/フィードバック方式、適応フィルタ |
| 研究 | 音響工学(開発中) | 非定常音への対応、風雑音対策、サウンドゾーン技術 |
- 音響工学関連の教科書における、能動騒音制御(アクティブノイズコントロール)の基本原理の解説。
- Kuo, S. M. & Morgan, D. R., Active Noise Control Systems: Algorithms and DSP Implementations(適応フィルタを用いたノイズキャンセリングの代表的な技術解説)。
- 主要ヘッドホン・イヤホンメーカーによる、ノイズキャンセリング機能の原理に関する一般向け解説資料。
- 物理教科書における波の重ね合わせの原理・干渉に関する解説。
- 音響工学分野における「パーソナルサウンドゾーン」技術に関する研究解説。
※ 処理の遅れ・打ち消せる周波数の目安は、しくみを理解するための代表的な数値であり、実際の性能は機種・方式によって幅があります。
※本記事は一般向けの科学解説です。ノイズキャンセリング機能は周囲の音をすべて遮断するものではありません。歩行中や自転車の運転中、周囲の音への注意が必要な場面での使用については、各製品の取扱説明書や案内に従ってください。