夜の道で、横断中の人が急に見えなくなるのは、なぜ?
― 対向車のライトが、人を「消して」しまいます
夜、対向車のライトとすれちがう、その一瞬。道を渡っている人が、まるで消えたように見えなくなることがあります。「蒸発現象」と呼ばれる見え方です。人が本当に消えるわけではありません。消えているのは、目に届くはずだった「明るさの差」のほうです。
夜の片側1車線の道。前から対向車が来ます。ライトがまぶしいので、少し目をそらします。
すれちがった直後、目の前に人がいました。道を渡っていたのです。さっきまで、そこには誰もいないように見えていました。
歩行者のほうは、ずっと同じ場所を歩いていました。見えていなかったのは、こちらの目だけです。
理由は、大きく2つです
すれちがい用のライトは、まぶしくないように下向き・左寄りに照らします。だから2台の車の光は、道の真ん中で重なりません。そこに細長い暗い帯が残り、渡っている人がちょうどその中に入ってしまいます。
強い光が目に入ると、その光は目の中で少し散らばり、うすい霧のように視野全体にかぶさります。暗い人影と、その背景との明るさの差が、この霧に埋もれて消えてしまいます。
1つめは「そもそも光が当たっていない」という車の側の話、2つめは「当たっていても差が分からない」という目の側の話です。この2つが同時に起きるのが、すれちがいの瞬間です。順に見ていきます。
光と光のあいだに残る、暗い帯
夜の運転で使うライトには、2種類あります。遠くまで届く走行用と、対向車の運転者がまぶしくないように下向きにした、すれちがい用です。対向車がいるときに使うのは後者です。
すれちがい用のライトは、遠くの高い位置をわざと照らしません。手前の路面と、道の左側の端を中心に照らします。対向車も同じことをしているので、その車のライトは向こう側の路肩を照らしています。
結果として、2台の光が照らす範囲のあいだに、どちらの光も届かない細長い場所が残ります。図1を見てください。道を渡る人は、必ず一度、この帯の中を通ります。ここにいるあいだ、その人には光がほとんど当たっていません。
まぶしさが、明るさの差を消してしまう
ではライトが当たらなくても、うっすら人の形は分かりそうなものです。実際、対向車がいない夜なら、暗い服の人でもぼんやり見えることがあります。ところが対向車のライトが目に入ると、それも見えなくなります。
目の中はきれいなガラスではありません。角膜や水晶体、目の中を満たす液には、細かい濁りがあります。強い光が入ると、その一部がここで散らばり、本来届くはずのない場所にも広がります。
この散らばった光は、視野全体にうすい明るさをかぶせます。ものが見えるかどうかは「明るさそのもの」ではなく「まわりとの明るさの差」で決まります。暗い人影も、その背景の路面も、同じだけ底上げされてしまうと、差の割合は小さくなります。図2の右側のように、輪郭が溶けて消えるのはこのためです。
目の中の濁りは、年齢とともに少しずつ増えていくとされています。同じ明るさの光を見ても、散らばる量は若い人より多くなります。「昔より夜の運転がつらい」と感じるのは、気のせいではないと考えられています。
対向車がまぶしいとき、視線を左の路肩のほうへ落とす運転が推奨されています。光源を視野の中心から外すほど、目に入る光そのものが減ります。中央を見つめ続けるより、確認したい歩行者の側を見ていられます。
じゃあ、どうすればいいの?
- 車が来ていたら、通り過ぎるまで待つすれちがう瞬間が、いちばん見えていない時間です
- 反射する材料を、体の低い位置にもつけるくつやかばんの下のほうは、下向きのライトによく照らされます
- 「運転している人には見えていないかもしれない」と考えて動く目が合ったと思っても、相手はこちらを見ていないことがあります
対向車が近づいたら、速度を落としてください。見えない時間が数秒あることを前提にすれば、速度そのものが余裕になります。歩行者が現れてから止まれる速度で走ることが、いちばん確実です。もし事故が起きてしまったら、車を安全な場所に止め、けが人がいれば119番、警察へは110番で通報します。夜の道路上に立ち止まると後続車から見えないので、路肩の外へ離れてから連絡してください。
まとめ
蒸発現象は、不思議な錯覚ではありません。光が当たっていない場所ができるという道路の事情と、まぶしさが明るさの差を消すという目の事情が、たまたま同じ瞬間に重なるだけです。どちらも予測できるので、備えることもできます。
人が消えるのではありません。
消えているのは、明るさの「差」のほうです。
夜や悪条件での見え方については 霧の日に、なぜ前が見えにくくなるの? でも別の角度からふれています。空気そのものが光を曲げて像を作る話は 蜃気楼は、なぜ見えるの? にあります。
- 暗くした部屋のすみに、こい灰色の紙を1枚置きます。少し離れて、輪郭が見えることを確かめます。
- 次に、視野の端に明るい照明やスマートフォンの画面を置いたまま、同じ紙を見ます。輪郭がぼやけるはずです。
- 照明を手のひらでさえぎると、紙の輪郭が戻ります。光を視野から外すだけで見え方が変わることが分かります。
※ 明るい光を直接のぞきこまないでください。あくまで視野の端に置いて試します。実際の道路で試すことはしないでください。
もっと知りたい人へ ― 用語・数式・教科書とのつながり中学理科から大学の専門科目まで、どのレベルの話かを明示しています
- 中学中学校の理科で習う範囲
- 高校高校の「物理基礎・物理」で習う範囲
- 高校+高校の発展、または教科書のコラム扱いの内容
- 大学高校では習わない、大学の専門科目(視覚科学・照明工学)の内容
- 研究大学でも「定説」として教わらない、いま研究者が調べている最中の話
中学用語:この現象には名前があります
- 蒸発現象:夜、対向車とすれちがう場面で、歩行者が見えなくなる見え方を指す言い方です。交通安全の分野で使われます。
- まぶしさ(グレア):強い光が視野に入り、見えにくくなったり不快に感じたりする状態のことです。
- 明暗の差(コントラスト):見たいものと、その背景との明るさの違いの割合です。これが小さいほど見つけにくくなります。
- すれちがい用前照灯:対向車をまぶしくさせないよう、下向き・左寄りに配光されたライトです。日本では左側通行に合わせた配光になっています。
中学高校式で確かめる:見えてから、何秒残っているか
「見えない時間がある」と言われても実感がわきません。距離と速さから、残された時間を秒に直してみます。
| 車の速さ | 時速60キロメートル |
| 時速60キロは、1時間に進む距離 | 60000メートル |
| 1時間の長さ | 3600秒 |
| 暗い服の歩行者に気づける距離 | 約26メートルとされる |
| 反射材をつけた歩行者に気づける距離 | 約57メートルとされる |
| 危険を感じてからブレーキを踏むまで | 約1秒とされる |
| まず秒速に直す | 60000 ÷ 3600 ≒ 16.7 |
| 暗い服のとき、気づいてから届くまでの秒数 | 26 ÷ 16.7 ≒ 1.6 |
| 反射材をつけたとき、気づいてから届くまでの秒数 | 57 ÷ 16.7 ≒ 3.4 |
記号のかわりに言葉で書いていますが、単位はメートルと秒です。1.6秒のうち、約1秒はブレーキを踏むまでに使われます。実際に減速できるのは、残りのわずかな時間だけです。3.4秒あれば、その差は大きく変わります。反射材が効くのは、光を運転者の目のほうへまっすぐ返すからです。
高校高校+「差が消える」を、もう少していねいに
高校光は、まっすぐ進むだけでなく、細かい粒や濁りに当たると向きを変えて広がります。散乱です。空が青いのも、雲が白いのも、同じ言葉で説明されます。目の中でも、これと同じことが小さな規模で起きています。
高校+見えるかどうかは、明るさの差を背景の明るさで割った値で決まると考えられています。散らばった光は、人影にも背景にも同じ量だけ加わります。差そのものは変わらないのに、割る数だけが大きくなるので、値は小さくなります。これが「霧がかかったように見えなくなる」の中身です。
大学まぶしさを、数字であらわす
照明工学や視覚科学では、視野に入った光源が視界にどれだけの明るさをかぶせるかを、光源の強さと、視線からの角度をもとに見積もる考え方が使われています。角度が小さいほど、つまり光源を正面近くで見るほど、かぶさる明るさは急に大きくなるとされています。年齢による目の濁りの増加を項として加えた形もあり、高齢の運転者では同じ光でもかぶさる量が大きく見積もられます。夜間の道路照明や車のライトの基準づくりは、こうした見積もりを土台にしています。
研究まだはっきりとはわかっていないこと
- 白い発光ダイオードの影響 近年のライトは青い成分を多く含みます。この色の違いがまぶしさの感じ方をどれだけ変えるのか、評価はまだ分かれているとされています。
- 目が回復するまでの時間 強い光を見たあと、暗さへの感度がどれくらいで戻るかには個人差が大きく、年齢や目の状態との関係を追う研究が続いています。
- 自動で切りかわるライト 対向車の部分だけを暗くする配光技術が広がりつつあります。歩行者の見えやすさを実際にどれだけ改善するかは、道路での検証が進んでいる段階です。
つまりこの記事の内容も、「いまわかっている範囲での説明」です。数値は状況によって大きく変わるので、目安として読んでください。
教科書とのつながり(レベル別)
| レベル | 科目・単元 | この記事のどこ |
|---|---|---|
| 中学 | 理科・光の性質 | ライトが照らす範囲と、暗い帯ができる話 |
| 高校 | 物理・光の散乱 | 目の中で光が散らばるしくみ |
| 高校+ | 物理・明暗の差の考え方 | 差を背景の明るさで割ると小さくなる話 |
| 大学 | 視覚科学・照明工学 | まぶしさを角度と強さから見積もる考え方 |
| 研究 | 交通安全工学 | 配光技術と歩行者の見えやすさの検証 |
| ― | 生活とのつながり | 反射材の位置、すれちがい時の減速 |
- 警察庁 交通局(交通安全に関する統計・資料)
- 日本自動車連盟(JAF)安全運転に関するユーザーテスト
- 照明分野の学会誌における、不快グレアおよび減能グレアの評価に関する解説記事
- 国際照明委員会による、目の中での光の散乱と加齢の関係についての報告
- 交通工学の教科書における、夜間の歩行者視認距離と反射材の効果に関する章
※本記事は一般向けの科学解説です。掲載した数値は、しくみを理解するための目安・概算です。実際の交通場面での判断は状況によって異なります。事故や災害の際は、消防・警察・自治体等の指示に従ってください。