同じ重さの荷物でも、体から離して持つと急にきついのは、なぜ?
― 腰の骨には、荷物の何倍もの力がかかっています
段ボール箱を胸にぴたりとつけて運ぶのは平気なのに、腕を伸ばして持つと数歩でつらくなります。重さは1グラムも変わっていません。変わっているのは、腰の骨にかかっている力のほうです。その力は、荷物そのものの何倍にもなります。
引っ越しの日。本の詰まった箱を、体にぐっと引き寄せて抱えます。重いけれど、部屋の向こうまでは運べます。
ところが、同じ箱を棚の奥から取り出すときはどうでしょう。腕を前に伸ばした姿勢では、持ち上げた瞬間に「うっ」と声が出ます。
腕がつらいのだと思いがちです。でも翌朝に痛むのは、たいてい腕ではなく腰のほうです。
理由は、大きく2つです
背中の筋肉が背骨を引く位置は、腰の関節からわずか数センチしか離れていません。一方、荷物は数十センチ先にあります。短いうでで長いうでに対抗するので、筋肉は荷物の何倍もの力を出すことになります。
筋肉は背骨に沿って縦に走っています。筋肉が強く引けば引くほど、背骨は上下から万力のように締めつけられます。荷物の重さに、筋肉が出した力がまるごと足し算されるのです。
つまり、体から離して持つとつらいのは「腕が弱いから」ではありません。腰の関節を支点にしたてこが、急に不利な形へ変わるからです。順番に見ていきます。
腰は、ものすごく分の悪いてこです
前かがみで荷物を持つ姿勢を、横から見てみます。腰の骨を支点と考えると、体はてこそのものです。図1を見てください。荷物は支点から40センチほど先にぶら下がり、上半身そのものの重さも25センチほど先にかかっています。両方が、体を前へ倒そうとします。
それを引き止めているのが、背中側を縦に走る筋肉です。ところがこの筋肉が骨を引く位置は、支点から5センチほどしかありません。シーソーで言えば、相手は端に座り、こちらは支点のすぐ横に座っているようなものです。つり合わせるには、うでの長さの比のぶんだけ大きな力が必要になります。
背骨は、上下から締めつけられています
ここからが、体という機械のつらいところです。背中の筋肉は背骨に沿って縦向きについているので、筋肉が強く引くと、その力はそのまま背骨を縦に押し縮める力になります。荷物を支えるために出した大きな力が、逃げ場なく骨と骨のあいだにたまるのです。
骨と骨のあいだには、椎間板というやわらかい円盤がはさまっています。後の計算で見るように、20キロの荷物を腕を伸ばして持つと、この円盤には体重の6倍ほどの力がかかる見当になります。体に引き寄せて持てば、同じ荷物でも3割ほど軽くできます。
膝を曲げること自体に魔法があるわけではありません。膝を使えば背中を立てたまま荷物へ近づけるので、結果として荷物と腰の距離が短くなります。効いているのは、姿勢の形ではなく距離のほうです。逆に、膝を曲げても荷物を体から離したままなら、腰にかかる力はあまり減りません。
人は重いものを抱えると、無意識に上体を後ろへ反らせます。こうすると重心が支点の真上へ近づき、うでの長さが短くなります。体は計算しなくても、てこが有利になる姿勢を選んでいるわけです。
まとめ
荷物を体から離すと、腰を支点にしたてこのうでが一気に長くなります。それを支える筋肉のうでは数センチのままなので、筋肉は何倍もの力を出すしかありません。そしてその力は、そっくり背骨を押し縮める力に変わります。距離が数十センチ変わるだけで、体の中にかかる力は百キロ単位で変わるのです。
重さを決めているのは、荷物ではありません。
荷物と腰のあいだの、数十センチのほうです。
背骨のあいだの円盤が1日のうちにどう変わるのかは 朝と夜で身長が1センチもちがうのは、なぜ? に、骨そのものが作り替えられ続けている話は 骨は、なぜ何年かごとに作り替えられているの? に書いています。
- 2リットルの水のボトルを1本用意します。両手で持ち、胸にぴたりとつけて30秒立ってみます。
- 次に、同じボトルを腕をまっすぐ前に伸ばして持ち、30秒立ってみます。つらくなる速さがまるで違うはずです。
- 最後に、伸ばしたまま上体をほんの少し後ろへ反らせてみます。楽になったら、うでが短くなった証拠です。
腰に不安のある方は、1と3だけにしてください。重さではなく距離が効いていることは、軽いボトルでも十分に分かります。
もっと知りたい人へ ― 用語・数式・教科書とのつながり中学理科から大学の専門科目まで、どのレベルの話かを明示しています
- 中学中学校の理科で習う範囲
- 高校高校の「物理基礎・物理」で習う範囲
- 高校+高校の発展、または教科書のコラム扱いの内容
- 大学高校では習わない、大学の専門科目(生体力学)の内容
- 研究大学でも「定説」として教わらない、いま研究者が調べている最中の話
中学用語:この現象には名前があります
- 力のモーメント:ものを回そうとする働きの大きさ。力の大きさと、支点から力までの距離のかけ算で表します。てこの効き目そのものです。
- てこのうで:支点から、力がはたらく点までの距離。腰の場合、荷物のうでは数十センチ、背中の筋肉のうでは数センチです。
- 椎間板:背骨の骨と骨のあいだにある円盤状のやわらかい組織。上下からの力を受け止め、内側の圧力として支えています。
中学高校式で確かめる:背骨には、何キロぶんの力がかかっているのか
前かがみで20キロの荷物を持ったとき、腰の骨にかかる力そのものを出してみます。体重60キロの人を想定します。
| 記号で書くと | F × a = W1 × b + W2 × c |
| 言葉で書くと | 筋肉の力 × 筋肉のうで = 荷物の重さ × 荷物までのうで + 上半身の重さ × 上半身の重心までのうで |
| どこから来る式か | 腰の関節を支点とした、力のモーメントのつり合いです。体が前へ倒れずに止まっているとき、倒そうとする働きと、起こそうとする働きは等しくなります。背骨にかかる力は、さらに P = F + W1 + W2 で求めます。 |
| 荷物の重さ W1 | 20kg ぶん、力にすると 約200N(記号のNは力の単位) |
| 上半身の重さ W2 | 体重の約半分の 30kg ぶん、力にすると 約300N |
| 荷物までのうで b | 0.40m(腕を伸ばした前かがみのとき) |
| 上半身の重心までのうで c | 0.25m |
| 背中の筋肉のうで a | 0.05m(数センチしかありません) |
| 荷物が体を倒そうとする働き | 200 × 0.40 = 80 |
| 上半身が体を倒そうとする働き | 300 × 0.25 = 75 |
| 倒そうとする働きの合計 | 80 + 75 = 155 |
| つり合いに必要な筋肉の力 F | 155 ÷ 0.05 = 3100 |
| 上から乗っている重さの合計 | 200 + 300 = 500 |
| 背骨を押し縮める力 P | 3100 + 500 = 3600 |
| 重さに直すと | 3600 ÷ 9.8 ≒ 367 |
| 体重の何倍か | 367 ÷ 60 ≒ 6.1 |
背骨のあいだには、367キロぶんの力がかかっている見当になります。体重の6倍ほどです。同じ計算で、荷物を体に引き寄せて 0.15m にすると、次のようになります。
| 荷物が体を倒そうとする働き | 200 × 0.15 = 30 |
| 倒そうとする働きの合計 | 30 + 75 = 105 |
| 必要な筋肉の力 | 105 ÷ 0.05 = 2100 |
| 背骨を押し縮める力 | 2100 + 500 = 2600 |
| 重さに直すと | 2600 ÷ 9.8 ≒ 265 |
荷物を25センチ引き寄せただけで、背骨にかかる力は100キロぶん減りました。腕の力でも根性でもなく、距離が効いているのが分かります。なお、これは体を1本の棒と見なしたごく粗い見積もりです。実際の体では、腹筋や腹の中の圧力なども支えに加わります。
高校高校+なぜ人の体は、こんなに損なてこを使うのか
高校物理では、支点のまわりの力のモーメントのつり合いとして扱います。この腰のてこは、支点をはさんで力点と作用点が同じ側にある第3種てこと呼ばれる形で、力の面では必ず損をします。損をするかわりに、筋肉がわずかに縮むだけで手先を大きく速く動かせます。
高校+人の腕や脚のほとんどは、この第3種てこでできています。速さと動く範囲を買うために、力の大きさを売っているわけです。腰だけが例外ではなく、体じゅうが同じ取引をしています。
大学椎間板内圧の測定と、筋骨格モデル
生体力学では、この力を椎間板内圧として実測してきました。1960年代以降、椎間板に細い針を刺して圧力を測る研究が行われ、立った姿勢より前かがみのほうがはるかに高い圧力になることが示されています。現在は、多数の筋肉を含む筋骨格モデルに逆動力学を適用し、腰椎にかかる圧縮力とせん断力を推定する方法が一般的です。上の計算のように筋肉を1本と見なすと力を実際より大きくも小さくも見積もりうるため、複数の筋肉の分担を解く筋力配分問題として扱われます。
📖 式の導出や、さらに先の内容:力のモーメント(ウィキペディア日本語版) / 椎間板(ウィキペディア日本語版)
研究まだはっきりとはわかっていないこと
- 力の大きさと痛みは、一致しません。 腰椎にかかる力が大きいほど痛みが出るとは限らず、画像で異常が見つかっても痛みのない人が多数います。力学だけでは説明がつかない部分が残っています。
- 腹の中の圧力の効きめが定まっていません。 おなかを固めると腹の中の圧力が上がり、背骨の負担を減らすと考えられていますが、その効果がどれほどかは研究によって値が割れています。
- 「正しい持ち上げ方」の効果も議論の途中です。 膝を曲げる方法を指導しても、腰の不調が減ったとは言い切れないとする報告があり、姿勢の指導だけでよいのかが検討されています。
つまりこの記事の内容も、「いまわかっている範囲での説明」です。てこのつり合いは確かですが、それがそのまま体の不調に結びつくかどうかは、まだ分かっていません。
教科書とのつながり(レベル別)
| レベル | 科目・単元 | この記事のどこ |
|---|---|---|
| 中学 | 理科・てこのはたらき | 支点・力点・作用点と、うでの長さの比 |
| 高校 | 物理基礎・力のモーメントとつり合い | 「式で確かめる」の⓪と② |
| 高校+ | 物理・剛体のつり合い | 第3種てこが力で損をする理由 |
| 大学 | 生体力学・整形外科学 | 椎間板内圧の測定と筋骨格モデル |
| 研究 | 腰痛の疫学・人間工学 | 力の大きさと痛みが一致しない問題 |
| ― | 生活とのつながり | 荷物は体に引き寄せて持つと、腰にかかる力が3割ほど減る |
- 厚生労働省「職場における腰痛予防対策指針」(重量物を体に近づけて取り扱うことなどを示した指針)
- Nachemson, A. "The load on lumbar disks in different positions of the body", Clinical Orthopaedics and Related Research, 1966(姿勢ごとの椎間板内圧の実測)
- 日本整形外科学会・日本腰痛学会 編「腰痛診療ガイドライン」(腰痛の原因と画像所見の関係についての整理)
- 力のモーメント(ウィキペディア日本語版)
※本記事は一般向けの科学解説です。掲載した数値は、しくみを理解するための目安・概算です。腰の痛みやしびれが続く場合は、自己判断せず医療機関に相談してください。