アイロンをかけると、なぜしわが伸びるの?
― 湯気が繊維の「手つなぎ」をほどき、乾くときに平らな形でつなぎ直させています
アイロンは、熱い鉄でしわを押しつぶしているように見えます。けれど本当の主役は、熱よりも「水」です。水が繊維の中の小さな結びつきをいったんほどき、乾くあいだに平らな形で結び直させる。しわが伸びるのは、その「ほどいて、つなぎ直す」が起きたときだけです。
洗濯機から出したシャツを、丸まったまま干してしまった朝。乾いたシャツは、くしゃくしゃのしわだらけです。
あわててアイロンをかけますが、乾いたまま当てても、なかなか伸びません。ところが霧吹きで少し湿らせたり、スチームを出したりすると、するっと平らになります。
熱いだけでは足りず、水があると伸びる。この「水が要る」ところに、しわの正体が隠れています。
しわが伸びる理由は、2つの段階に分かれます
綿の繊維は、細長い分子が並んで、となりどうしで小さく手をつないでいます。しわは、曲がった形のまま手をつなぎ直した状態です。水が入りこむと、この手がほどけて、繊維がやわらかくなります。
やわらかいうちに、アイロンの重さで布を平らに押さえます。そのまま水を飛ばすと、分子は平らな形で手をつなぎ直します。乾ききったとき、平らな形が「固定」されるのです。
つまりアイロンは、しわを押しつぶす道具ではありません。「ほどく」「形を決める」「固める」を、1回の動きでまとめてこなす道具です。
しわは、曲がった形で「手をつなぎ直した」跡
綿や麻の繊維は、植物の細胞の壁と同じ成分でできています。ブドウ糖がくさりのように長くつながった分子です。この分子の表面には、となりの分子と弱く引き合う場所がたくさん並んでいます。ここではそれを「手」と呼ぶことにします。
布を曲げると、分子どうしの位置がずれます。曲がったまま時間がたつと、ずれた先でまた手をつなぎます。こうして曲がった形が保存されたものが、しわです。洗濯のあとに特にしわが残るのは、濡れて手がほどけた状態で丸められ、その形のまま乾いたからです。
図1を見てください。左のしわの状態では、分子が折れ曲がったまま、点線の手でつながっています。中央では、丸い水の粒が手のあいだに割りこみ、上のアイロンが布を押し下げています。右では、水が上の矢印のように抜け、分子はまっすぐな形でつなぎ直しています。
乾いたまま当てても伸びにくいのは、なぜ?
乾いた綿の分子は、手を強くにぎり合っています。この手をほどくには、とても高い温度が必要だとされています。布が焦げるほうが先です。
ところが水が入ると、水の分子が「手」の相手を横取りします。分子どうしの結びつきがゆるみ、ずっと低い温度でもやわらかく曲がるようになります。だからスチームや霧吹きが効くのです。スチームの湯気は、布にふれて水に戻るときに大量の熱も渡すので、布を手早く温める役もします。
そして最後に、水を追い出す時間が要ります。湿ったまま手を離すと、布はまた好きな形に動けてしまいます。アイロンをかける時間のほとんどは、布から水を飛ばしている時間だと考えられます。図2で、含ませる水の量と、それを飛ばすのにかかる時間の関係を確かめられます。
洗濯表示のアイロンの点は、3つが200℃、2つが150℃、1つが110℃までの目安です。綿や麻は水を吸いやすく、高温にも強いので点3つです。ポリエステルは水をほとんど吸わないため、水では手がほどけません。代わりに熱だけでやわらかくなるので、低めの温度でも形が変わり、熱すぎると溶けてテカります。
ウールの折り目は、湯気で湿らせて押さえ、乾かして付けたものです。湿気の多い日や雨に濡れたあとは、水がまた結びつきをゆるめるため、折り目が少しずつ戻っていきます。逆に、しわになったウールの服を湯気のこもる浴室に吊るすと、しわが取れやすくなります。
まとめ
しわは、繊維の分子が曲がった形のまま結びつき直した跡です。アイロンは、水と熱でその結びつきをほどき、重さで平らに押さえ、水を飛ばして平らな形で固めます。熱いだけでは伸びにくく、湿らせると伸びるのはこのためです。
しわを伸ばしているのは、熱ではなく水。
アイロンは、ほどいて・押さえて・乾かして、形を決め直す道具です。
水が繊維の結びつきをほどくしくみは、紙が濡れると破れやすくなる理由と同じです。スチームが熱を運ぶ力については、湯気のやけどがお湯よりひどい理由で詳しく説明しています。
- 綿のハンカチを2枚用意し、どちらも手でぎゅっと握ってしわを付けます。
- 1枚は乾いたまま、もう1枚は霧吹きで軽く湿らせてから、同じ温度・同じ回数だけアイロンをかけます。
- 湿らせたほうがよく伸びるはずです。湿らせたほうで、まだ湿り気が残るうちに手を止めると、冷めたあとにしわが少し戻ることも確かめてみましょう。
アイロンは高温になります。子どもが試すときは大人がそばについて、スチームの噴き出し口に手を近づけないでください。
もっと知りたい人へ ― 用語・数式・教科書とのつながり中学理科から大学の専門科目まで、どのレベルの話かを明示しています
- 中学中学校の理科で習う範囲
- 高校高校の「化学」「物理」で習う範囲
- 高校+高校の発展、または教科書のコラム扱いの内容
- 大学高校では習わない、大学の専門科目(高分子物理・繊維工学)の内容
- 研究大学でも「定説」として教わらない、いま研究者が調べている最中の話
中学用語:この現象には名前があります
- セルロース:綿・麻・紙の主成分。ブドウ糖が長いくさり状につながった分子です。
- 水素結合:本文で「手」と呼んだ、分子どうしの弱い結びつき。水があると、水の分子がこの相手を横取りします。
- 蒸発熱(気化熱):水を蒸気に変えるのに必要な熱。水1グラムあたり約2260ジュールとされています。
中学高校式で確かめる:シャツ1枚の水を飛ばすのに、何秒かかる?
しわを固めるには、布に含ませた水を追い出す必要があります。その時間を、熱の出入りから見積もります。
| 記号で書くと | t = m × L ÷ P |
| 言葉で書くと | 水を飛ばす時間 = 水の質量 × 1グラムあたりの蒸発熱 ÷ アイロンの出力 |
| どこから来る式か | エネルギーの保存。アイロンが1秒に渡す熱(出力)を時間ぶん足した量が、水を蒸気に変える熱と等しくなる、というつり合いです。 |
| 記号 | 意味と単位 |
|---|---|
| t | 水を飛ばすのにかかる時間(秒) |
| m | 布に含まれる水の質量(グラム) |
| L | 水1グラムを蒸気にする熱(ジュール毎グラム) |
| P | アイロンの出力(ワット=ジュール毎秒) |
| 綿のシャツ1枚の重さ(目安) | およそ 200 g |
| 霧吹きやスチームで含ませる水(目安) | シャツの重さの 10 % |
| 水の蒸発熱(100℃) | 約 2260 J/g |
| 家庭用アイロンの出力(目安) | 1200 W |
| 含ませた水の質量 | 200 × 0.1 = 20 g |
| 水を蒸気にする熱 | 20 × 2260 = 45200 J |
| アイロンで飛ばす時間 | 45200 ÷ 1200 ≒ 38 秒 |
| 比べる:水を20℃から100℃まで温める熱 | 20 × 4.2 × 80 = 6720 J |
| 蒸発の熱は、温める熱の何倍か | 45200 ÷ 6720 ≒ 6.7 倍 |
熱がすべて水に使われても、約38秒かかります。実際には熱の一部が空気やアイロン台へ逃げるので、シャツ1枚に数分かかるのは自然なことです。また、使う熱のほとんどは水を温めるためではなく、蒸気に変えるために使われています。
高校高校+水が「手」を横取りするしくみ
高校セルロースの分子には、ヒドロキシ基(酸素と水素の組)がたくさん並んでいます。となりの分子のヒドロキシ基どうしが水素結合でつながり、繊維の形を保ちます。水もヒドロキシ基と水素結合をつくれるので、繊維の中に入ると分子どうしの結合の一部を水との結合に置きかえます。
高校+綿の繊維には、分子がきれいに並んだ結晶の部分と、乱れて並んだ非晶の部分があります。水が入りこめるのは主に非晶の部分で、しわの「曲がり」を受けもつのもこの部分だと考えられています。綿が標準の空気中で含む水分は、重さの約8.5%(公定水分率)とされています。
大学可塑化とガラス転移
高分子の非晶部分は、ある温度を境に「かたいガラスのような状態」から「やわらかいゴムのような状態」へ変わります。この温度をガラス転移温度と呼びます。水のように小さな分子が入りこんでガラス転移温度を下げる働きを、可塑化といいます。乾いたセルロースのガラス転移温度はとても高いとされますが、水を含むと大きく下がります。アイロンがけは、湿らせてガラス転移温度より上でかたちを決め、乾燥と冷却で転移温度より下へ戻して形を凍結する操作と見ることができます。ポリエステルは吸水しないため、熱だけでこの温度を超えさせます。プリーツ加工はこれを利用した熱固定(ヒートセット)です。
📖 式の導出や、さらに先の内容:ガラス転移点(ウィキペディア) / 水素結合(ウィキペディア)
研究まだはっきりとはわかっていないこと
- しわの「戻り」を分子のどこが決めているのか。 結晶部分と非晶部分の境目で何が起きているかは、測定が難しく、詳しい解明が続いています。
- 形態安定加工の新しい方法。 しわになりにくいシャツは、分子どうしを化学的に橋渡しして手がほどけないようにしています。より安全で布を傷めない橋渡しの方法が研究されています。
- 水の入り方の速さ。 湯気の水が繊維の奥へどれくらいの速さで広がるかは、繊維の太さや撚り方で変わり、統一的な見積もりはまだ確立していないとされています。
つまりこの記事の内容も、「いまわかっている範囲での説明」です。毎日の家事の中にも、まだ解き明かされていない分子の動きがあります。
教科書とのつながり(レベル別)
| レベル | 科目・単元 | この記事のどこ |
|---|---|---|
| 中学 | 理科・状態変化と熱 | 水を蒸気にするのに熱が要る、水を飛ばす時間の計算 |
| 高校 | 化学・高分子化合物(セルロース)、水素結合 | しわの正体と、水が結びつきを横取りするしくみ |
| 高校+ | 化学・繊維の性質(吸湿性) | 結晶と非晶の部分、公定水分率 |
| 大学 | 高分子物理・繊維工学 | ガラス転移、可塑化、熱固定 |
| 研究 | 繊維・高分子材料の研究 | しわの回復と形態安定加工 |
| ― | 生活とのつながり | 湿らせてからかける、乾くまで手を止めない、洗濯物は濡れているうちに伸ばして干す |
- 日本産業規格 JIS L 0001「繊維製品の取扱いに関する表示記号及びその表示方法」
- 繊維学会 編『繊維便覧』丸善出版
- J. W. S. Hearle, W. E. Morton, Physical Properties of Textile Fibres, Woodhead Publishing
- ウィキペディア「ガラス転移点」
- ウィキペディア「水素結合」
※本記事は一般向けの科学解説です。掲載した数値は、しくみを理解するための目安・概算です。アイロンの温度は、衣類の洗濯表示と製品の取扱説明書に従ってください。