水につかった道を歩いて逃げるのは、なぜ危ないの?
― ひざまでの水でも、流れがあると大人の足がすくわれます
「ひざくらいの水なら歩けるはず」。そう思って外へ出た人が、流れに足をとられる事故はくり返し起きています。原因は2つの力のせめぎ合いです。水が脚を押す力は、流れの速さにつれて急に大きくなります。一方で、水につかった体は軽くなり、靴底が地面をつかむ力は弱くなります。
大雨の夜、家の前の道に茶色い水が流れ込んできました。深さはひざくらいです。避難所までは歩いて10分ほどです。
プールで、ひざまでの水の中を歩いたことはあるはずです。少し重たいけれど、転ぶほどではありませんでした。
ところが、同じ深さでも「流れている水」になると話がまったく変わります。いったい何が違うのでしょうか。
危ない理由は、2つの力のせめぎ合いです
流れが脚を押す力は、速さが2倍になると4倍になります。少し速くなっただけで、押す力は一気に強くなります。
水の中では浮力が働き、体が軽くなります。体が地面を押す力が減ると、靴底がすべりにくさを保てなくなります。
人が流されるかどうかは、「流れが押す力」と「靴底が踏ん張れる力」のどちらが大きいかで決まります。順番に見ていきましょう。
流れの力は、なぜ急に強くなるの?
流れている水は、脚にぶつかって向きを変えられます。このとき水が脚に渡す勢いが、脚を押す力になります。
速さが2倍になると、1秒間にぶつかる水の量が2倍になります。しかも、ぶつかる水1つぶんの勢いも2倍です。2倍と2倍が重なって、押す力は4倍になります。これが「速さの2乗で増える」ということです。
さらに、深くなるほど水を受ける脚の面積が増えます。深さが2倍なら、押す力もおよそ2倍です。図1のつまみで流れの速さを変えてみてください。
秒速1.6 mは、大人が少し急いで歩くくらいの速さです。道路を流れる水としては、決して珍しい速さではありません。
水につかると、なぜ踏ん張れなくなるの?
私たちが地面に立っていられるのは、体重で靴底が地面に押しつけられているからです。押しつける力が大きいほど、横から押されても靴底はすべりにくくなります。
ところが水の中では、つかった部分に浮力が働きます。体重60 kgの人がひざ上まで水につかると、脚が押しのけた水の重さぶん、およそ10 kgほど体が軽くなります。そのぶん靴底を押しつける力も減り、すべりやすくなります。
しかも浸水した道路の表面は、泥でぬるぬるしています。乾いた道よりずっとすべりやすい状態です。深くなるほど「押す力は増え、踏ん張る力は減る」。悪い方向の変化が、同時に起きるのです。
歩くときは、片足を上げた瞬間に、もう一方の足1本だけで流れに耐えることになります。立ち止まっているより、歩いているときのほうが危ないのはこのためです。
濁った水の中では、足元が見えません。浸水時には、水圧でマンホールのふたが外れたり、側溝や用水路との境目が分からなくなったりします。一歩踏み外すだけで、深みに落ちて流されることがあります。
じゃあ、どうすればいいの?
- 水が来る前に逃げる避難は道が乾いているうちに。浸水が始まってからの外出は、それ自体が危険です。
- もう水が来ていたら、無理に外へ出ない家や近くの丈夫な建物の2階以上へ上がるのも、立派な避難です。
- 流された人を見ても、水に飛び込まない近づかずに119番へ通報し、浮くものを投げて助けを待ちます。
防災機関の資料では、大人でも水深が50 cmほどあると歩くのは危険とされ、流れがあれば20 cmほどでも足をとられることがあるとされています。長靴は中に水が入って重くなるため、ひもで締められる運動靴が勧められています。棒で足元を確かめ、ひとりではなく何人かで、ロープなどでつながって歩きます。ただし、これは「どうしても」のときの方法です。最善は、水が来る前に避難を終えることです。
まとめ
浸水した道で人が流されるのは、①流れが脚を押す力が速さの2乗で強くなること、②水につかるほど浮力で体が軽くなり、靴底が踏ん張れなくなること、の2つが重なるからです。深さだけで「歩ける」と判断すると、流れの力を見落とします。
水は、深さより「速さ」で人を押し流す。
だから避難は、水が来る前に終えておく。
同じ浸水でも、車のドアが開かなくなるのは流れではなく「水の重さ」のしわざです。くわしくは冠水した道路で車のドアが開かなくなる理由で取り上げています。川の水が晴れていても急に増える理由は晴れているのに川が増水する理由を読んでみてください。
- 湯船の中で手のひらを広げ、ゆっくり横に動かします。次に、同じ距離を速く動かしてみます。
- 速く動かしたときのほうが、手のひらが押し返される力がずっと強いことを感じてください。速さが2倍なら、力は4倍です。
- 湯船に座ったまま、腰を少し浮かせてみます。陸の上よりずっと軽く体が持ち上がるはずです。これが浮力です。
プールで流れるプール(回流プール)があれば、流れに向かって立つと、体が押される感覚がよく分かります。実際の浸水した道で試すことは、絶対にしないでください。
もっと知りたい人へ ― 用語・数式・教科書とのつながり中学理科から大学の専門科目まで、どのレベルの話かを明示しています
- 中学中学校の理科で習う範囲
- 高校高校の「物理基礎・物理」で習う範囲
- 高校+高校の発展、または教科書のコラム扱いの内容
- 大学高校では習わない、大学の専門科目(流体力学)の内容
- 研究大学でも「定説」として教わらない、いま研究者が調べている最中の話
中学用語:この現象には名前があります
- 抗力:流れの中に置かれた物が、流れの向きに押される力。脚が水に押される力はこれです。
- 浮力:水などにつかった物が、押しのけた水の重さぶんだけ上向きに受ける力。
- 摩擦力:面どうしがすべるのをじゃまする力。面を押しつける力が大きいほど大きくなります。
中学高校式で確かめる:流れの力と、踏ん張れる力をくらべる
体重60 kgの大人が、深さ50 cmの流れの中に立っている場面で、2つの力を計算します。数値は、しくみを見るための目安です。
| 記号で書くと | F = ½ × ρ × C × A × v² と R = μ × ( m × g − ρ × V × g ) |
| 言葉で書くと | 押す力 = ½ × 水の密度 × 形の係数 × 水を受ける面積 × 速さの2乗。踏ん張れる力 = 摩擦係数 ×(体重 − 浮力) |
| どこから来る式か | 押す力は、脚にぶつかって止められる水の勢い(運動量)から来ます。踏ん張る力は、摩擦の法則とアルキメデスの原理の組み合わせです。押す力が踏ん張れる力を上回ると、足がすべり出します。 |
| 記号 | 意味と単位 |
|---|---|
| F | 流れが脚を押す力(抗力)。単位は N(ニュートン) |
| ρ | 水の密度。単位は kg/m³ |
| C | 抗力係数。物の形で決まる数で、単位はない |
| A | 水を受ける脚の正面の面積。単位は m² |
| v | 流れの速さ。単位は m/s |
| R | 靴底が踏ん張れる力の上限。単位は N |
| μ | 靴底と地面の摩擦係数。単位はない |
| V | 水につかった脚の体積。単位は m³ |
| 水の密度 | 1000 kg/m³ |
| 脚のような円柱の抗力係数 | およそ 1.0 とされています |
| 水を受ける脚の正面の面積(幅12 cmの脚2本、深さ50 cm) | およそ 0.12 m² |
| 流れの速さ | 秒速 1.5 m とする |
| 体重 | 60 kg |
| 水につかった脚の体積(水10 kgぶん) | およそ 10 L |
| 泥でぬれた道路と靴底の摩擦係数 | 0.3 と仮定 |
| 速さの2乗 | 1.5 × 1.5 = 2.25 |
| 水の密度の半分(係数 1.0 をかけても同じ) | 1000 ÷ 2 = 500 |
| 面積をかける | 500 × 0.12 = 60 |
| 押す力 F | 60 × 2.25 = 135 N |
| 体重による重さ | 60 × 9.8 = 588 N |
| 浮力(水10 kgの重さ) | 10 × 9.8 = 98 N |
| 地面を押す力 | 588 − 98 = 490 N |
| 踏ん張れる力 R | 490 × 0.3 = 147 N |
| 押す力が踏ん張れる力と等しくなる速さの2乗 | 147 ÷ 60 ≒ 2.45 |
| そのときの速さ | 2.45 の平方根は およそ 1.57(秒速約1.6 m) |
秒速1.5 mで押す力は135 Nです。踏ん張れる限界147 Nのすぐ手前で、ほんの少し速くなるだけで足がすべり出します。
| 押す力135 Nを、荷物の重さに直すと | 135 ÷ 9.8 ≒ 13.8 kg |
| 流れが2倍の秒速3 mなら、押す力は | 135 × 4 = 540 N |
秒速1.5 mの流れは、14 kgほどの荷物で横から押され続けるのと同じです。秒速3 mになれば55 kgぶん、大人1人に体当たりされ続ける力になります。しかも片足を上げた瞬間は、踏ん張りがさらに減ります。
高校高校+力のつり合いと、速さの2乗の抵抗
高校物理基礎では、静止摩擦力の最大値が「静止摩擦係数 × 垂直抗力」になることを習います。水の中では浮力のぶん垂直抗力が減るため、同じ靴でも最大摩擦力が小さくなります。浮力は「押しのけた液体の重さ」に等しいというアルキメデスの原理で求められます。
高校+水や空気の抵抗には、速さに比例するもの(粘性抵抗)と、速さの2乗に比例するもの(慣性抵抗)があります。人の脚くらいの大きさで、秒速1 m前後の水の流れでは、ほぼ2乗の抵抗だけを考えればよいとされています。雨粒や落下する物の終端速度と同じ考え方です。
大学抗力係数とレイノルズ数、カルマン渦
抗力係数は、流れの性質を表すレイノルズ数(速さ × 大きさ ÷ 動粘性係数)によって変わります。脚の太さで秒速1 mの水なら、レイノルズ数は10万程度になります。この範囲の円柱では、抗力係数はおよそ1から1.2とされています。また円柱の後ろには左右交互に渦が生まれ(カルマン渦)、脚は流れの向きだけでなく横方向にも周期的に揺さぶられます。
📖 式の導出や、さらに先の内容:抗力(ウィキペディア) / アルキメデスの原理(ウィキペディア)
研究まだはっきりとはわかっていないこと
- どこからが「歩けない水」なのか。 水深と流速をかけ合わせた値で危険度を判定する方法が提案されていますが、体格・年齢・靴によって限界は大きく変わり、一つの線では決めきれないとされています。
- 泥やがれきを含む水の力。 実際の浸水では、水に泥や流木が混ざります。重い濁水がどれだけ押す力を増やすのかは、きれいな水の実験ほどにはわかっていません。
- 夜と恐怖の影響。 暗さや足元の見えなさ、あせりが歩き方をどう変え、転倒の危険をどれだけ上げるのかは、実験で再現しにくい課題です。
つまりこの記事の内容も、「いまわかっている範囲での説明」です。限界がはっきり決められないからこそ、水が来る前に動くことが大切になります。
教科書とのつながり(レベル別)
| レベル | 科目・単元 | この記事のどこ |
|---|---|---|
| 中学 | 理科「力のはたらき」「水圧と浮力」 | 浮力で体が軽くなること |
| 高校 | 物理基礎「摩擦力」「浮力」 | 踏ん張れる力 = 摩擦係数 ×(体重 − 浮力) |
| 高校+ | 物理「空気抵抗と終端速度」の発展 | 押す力が速さの2乗で増えること |
| 大学 | 流体力学「抗力・レイノルズ数」 | 抗力係数とカルマン渦 |
| 研究 | 防災工学・水工学 | 歩行の限界をどう決めるか |
| ― | 生活とのつながり | 大雨のときの避難の判断 |
- 内閣府(防災担当)「避難情報に関するガイドライン」
- 国土交通省「川の防災情報」および水害時の避難に関する解説資料
- 日本機械学会『流体力学』(JSMEテキストシリーズ)丸善出版
- 京都大学防災研究所 宇治川オープンラボラトリーにおける浸水時の歩行実験に関する報告
※本記事は一般向けの科学解説です。掲載した数値は、しくみを理解するための目安・概算です。実際に人が流され始める水深や速さは、体格・靴・路面の状態によって大きく変わります。大雨のときは、消防・自治体等の指示や避難情報に従って行動してください。