火事のとき、なぜ姿勢を低くして逃げるの?
― 煙は1秒たらずで天井へ上がり、上から部屋を埋めていきます
避難訓練では必ず「姿勢を低くして」と言われます。でも、なぜ低いほうが良いのでしょうか。答えは、煙が熱くて軽いことにあります。煙は横に広がる前に、まっすぐ上へ駆け上がります。そして天井から順に、部屋を上から下へ埋めていくのです。床の近くには、しばらくのあいだ息のできる空気が残ります。
部屋のすみで、何かが燃え始めたとします。最初に目につくのは、立ちのぼる細い煙です。
その煙は、まず天井にぶつかります。そして天井に沿って、四方へ広がっていきます。
しばらくして部屋を見わたすと、天井のあたりだけが灰色に沈んでいます。足元は、まだ見えています。
理由は2つだけです
煙は熱いので、まわりの空気よりずっと軽くなっています。軽いものは浮き上がります。煙は横へ広がる前に、まず天井まで一気に上がります。
天井にぶつかった煙は、たまり場を作ります。あとから来た煙がそこへ加わり、たまり場は下へ下へと厚くなります。床の近くは、最後まで残ります。
つまり煙は、部屋のすみずみへ均等に混ざるのではありません。水を入れたコップと逆で、「上から水位が下がってくる」ような埋まり方をします。だから、頭の高さを下げるだけで、吸う空気がまるで変わります。
煙が上がる速さは、想像よりずっと速い
燃え始めたばかりの煙は、150℃ほどになっていることがあります。この温度の空気は、部屋の空気の7割ほどの重さしかありません。軽い分だけ、上向きに押し上げられます。
あとで計算しますが、天井までの高さ2.4メートルを上がるのにかかる時間は、およそ1秒です。走って逃げる余裕があるように見えても、煙の動きはそれより速いのです。図1を見てください。部屋の断面を描いたものです。
怖いのは熱さより、息ができなくなること
火事で亡くなる方の多くは、炎に焼かれたのではなく、煙やガスを吸ったことが原因だとされています。煙の中には一酸化炭素が含まれます。これは体が酸素を運ぶはたらきを止めてしまう気体です。
さらに、煙の層は目も奪います。すぐそこにあるはずの出口が、まったく見えなくなります。低い姿勢なら、床と壁の境目を手でたどって進めます。見えるかどうかと、吸えるかどうか。その両方が、高さで決まるのです。
閉じたドアの向こうに煙の層がたまっていると、ドアそのものが熱くなります。手の甲を近づけて熱さを確かめてから開けると、判断に使えます。熱いと感じたら、そのドアは開けずに別の道を探します。
煙は上へ行きます。階段は、煙にとって格好の通り道です。上の階へ向かうと、煙と同じ方向へ進むことになります。原則として、下の階へ、そして外へ向かいます。
じゃあ、どうすればいいの?
- まず大きな声で知らせて、119番自分で消そうとするより先に、まわりへ知らせます。火が天井に届いたら、消そうとせずに逃げます
- 頭を低くして、口と鼻をおおうぬらしたタオルやハンカチがあれば当てます。無ければ服のそででかまいません
- いちど外へ出たら、もう戻らない忘れ物を取りに戻ることが、いちばん多い事故のもとだとされています
煙の層の中では、数回の呼吸で動けなくなることがあります。通り抜けられる距離かどうかは、中に入ってからでは判断できません。煙が満ちた通路には入らず、別の出口へ向かってください。逃げるときは、使っていた暖房や火の元を止められるなら止め、戸を閉めて空気の流れを断ちます。ただし、そのために引き返してはいけません。
まとめ
煙は熱くて軽いため、まず天井へ上がります。そして部屋を上から下へ埋めていきます。姿勢を低くするのは、まだ残っている空気の層に頭を置くためです。見えることと、吸えること。その両方が、頭の高さで決まります。
煙は、部屋に均等に混ざるのではありません。
水位が上がるように、天井から床へ迫ってきます。
煙の中でいちばん危ないのは、においも色もない気体です。くわしくは一酸化炭素は、なぜ「気づけない」のがいちばん怖いの?をご覧ください。台所の火については天ぷら油の火に水をかけると、なぜ天井まで火柱が上がるの?もあわせてどうぞ。
- お風呂場で熱いシャワーを出し、立ちのぼる湯気の動きを見ます。横に広がる前に、まっすぐ上がるはずです。
- 換気扇を止めたまましばらく置き、天井の近くと足元で、どちらが先に白くかすむかを見ます。
- 低い姿勢で天井のほうを見上げると、白い層と透明な空気の境目が見えることがあります。
湯気は害のない水滴ですが、上へ行って上からたまる動き方は、煙とまったく同じです。やけどをしない湯温で行ってください。
もっと知りたい人へ ― 用語・数式・教科書とのつながり中学理科から大学の専門科目まで、どのレベルの話かを明示しています
- 中学中学校の理科で習う範囲
- 高校高校の「物理基礎・物理」で習う範囲
- 高校+高校の発展、または教科書のコラム扱いの内容
- 大学高校では習わない、大学の専門科目(燃焼工学・建築防災)の内容
- 研究大学でも「定説」として教わらない、いま研究者が調べている最中の話
中学用語:この現象には名前があります
- 煙層(えんそう):天井の側にたまった、煙の混じった熱い空気のかたまり。下の空気とはっきり分かれた層になります。
- 清浄層(せいじょうそう):煙層の下に残っている、まだ息のできる空気の層。低い姿勢が役に立つのは、この層があるからです。
- 浮力:まわりより軽いものが、上向きに押し上げられる力。水に浮く氷と、天井へ上がる煙は、同じ理由で動いています。
中学高校式で確かめる:煙は何秒で天井に届くのか
煙が天井へ上がるのは、まわりの空気より軽いからです。どれくらい軽いのかを温度から求め、その軽さがどれだけの加速度を生むのかを計算します。最後に、天井に届くときの速さと、かかる時間を出します。
| 記号で書くと | ρ = ρ₀ × ( T₀ ÷ T ) / a = g × ( ρ₀ − ρ ) ÷ ρ / v = √( 2 × a × h ) |
| 言葉で書くと | 煙の密度 = 空気の密度 × (空気の絶対温度 ÷ 煙の絶対温度)。上向きの加速度 = 重力加速度 × 密度の差 ÷ 煙の密度。天井での速さ = 2 × 加速度 × 高さ、の平方根 |
| どこから来る式か | 1つ目は、圧力が同じなら気体の体積が絶対温度に比例するという法則から。2つ目は、浮力から自分の重さを引いた残りが煙を押し上げる、という運動の式から。3つ目は、一定の加速度で動くときの速さの式から |
| ρ(ロー) | 密度。単位は1立方メートルあたりの重さ(kg/m³)。添字の0が付くほうが、まわりの空気 |
| T | 絶対温度。単位はケルビン(K)。セ氏の温度に273を足した数 |
| a | 煙が上向きに得る加速度。単位は m/s² |
| g | 重力加速度。9.8 m/s² とされています |
| h | 床から天井までの高さ。単位はメートル |
| v | 天井に届いたときの上向きの速さ。単位は m/s |
| 部屋の空気の密度 | 20℃で 1.20 kg/m³ とされています |
| 部屋の空気の絶対温度 | 293 K(20℃) |
| 燃え始めの煙の絶対温度 | 423 K(150℃) |
| 天井までの高さ | 2.4 m(ふつうの住宅の天井の高さ) |
| 重力加速度 | 9.8 m/s² |
| 温度の比を出す | 293 ÷ 423 ≒ 0.69 |
| 煙の密度を出す | 1.20 × 0.69 ≒ 0.83 |
| 密度の差を出す | 1.20 − 0.83 = 0.37 |
| 差を煙の密度でわる | 0.37 ÷ 0.83 ≒ 0.45 |
| 上向きの加速度を出す | 9.8 × 0.45 ≒ 4.4 |
| 速さの式の中身(その1) | 2 × 4.4 = 8.8 |
| 速さの式の中身(その2) | 8.8 × 2.4 ≒ 21.1 |
| その平方根が天井での速さ | 21.1 の平方根は およそ 4.6 とされます(m/s) |
| 平均の速さを出す | 4.6 ÷ 2 = 2.3 |
| 天井に届くまでの時間 | 2.4 ÷ 2.3 ≒ 1.0 |
煙は秒速4.6メートルまで加速し、およそ1秒で天井に届くことになります。人が走るより速く、しかも上へ向かいます。実際の火災では、上がりながらまわりの空気を巻き込むぶん、これより遅くなります。それでも「数秒で天井に届く」という結論は変わりません。
| 煙が天井に届くまで | およそ 1 秒 |
| 人が異変に気づいて立ち上がるまで | 数秒はかかります |
気づいたときには、天井の側はもう煙の通り道になっています。だから「上を避けて、下を進む」が最初の一手になります。
高校高校+層はなぜ、混ざらずに分かれたままなのか
高校上の計算では、煙の密度を温度だけから求めました。これは気体の状態方程式から導かれます。圧力が同じなら、密度は絶対温度に反比例します。150℃の空気が20℃の空気の7割ほどの重さになるのは、この関係の結果です。
高校+軽い気体が上、重い気体が下という並びは、それ自体が安定です。この状態を安定成層といいます。上下を入れかえるには、重い空気を持ち上げる仕事が要ります。だから煙層と清浄層は、境目をはっきり保ったまま分かれていられます。逆に、重い空気が上にある並びは不安定で、すぐにひっくり返って混ざります。入道雲ができるのは、後者の状態です。
大学火災プルームと、二層ゾーンモデル
建築防災の分野では、火元から立ちのぼる煙の流れを火災プルームと呼びます。プルームは上昇しながらまわりの空気を巻き込むため、上へ行くほど量が増え、温度は下がります。この巻き込み量を、火源の発熱速度と高さから見積もる式が知られています。
避難の計算では、部屋を「煙層」と「清浄層」の2つだけに分けて扱う二層ゾーンモデルが使われます。プルームが運び上げる体積のぶんだけ境目が下がる、として時間を追う方法です。煙層の温度が上がり続けると、部屋じゅうの可燃物がいっせいに発火するフラッシュオーバーに至ります。これが起きるまでの時間が、避難に使える時間の上限になります。
📖 式の導出や、さらに先の内容:フラッシュオーバー(ウィキペディア日本語版) / 浮力(ウィキペディア日本語版)
研究まだはっきりとはわかっていないこと
- 層の境目は、どこまで保たれるのか。 現実の部屋には、すき間風や空調の流れがあります。こうした乱れがあるとき、境目がいつ崩れて全体が混ざるのかは、条件ごとに予測が難しいとされています。
- 新しい材料が出す気体の毒性。 家具や内装の素材は年々変わっています。燃えたときにどんな気体が、どれだけ出るのか。素材ごとの評価は今も続けられています。
- 人は実際にどう動くのか。 煙の中での人の行動は、訓練どおりにはなりません。見えない状況での経路の選び方は、避難の研究の課題であり続けています。
つまりこの記事の内容も、「いまわかっている範囲での説明」です。数値は、住宅の一室を想定した目安として読んでください。
教科書とのつながり(レベル別)
| レベル | 科目・単元 | この記事のどこ |
|---|---|---|
| 中学 | 理科・浮力と気体の性質 | 煙が上へ上がる理由 |
| 高校 | 物理基礎・等加速度運動/物理・気体の法則 | ②の計算すべて |
| 高校+ | 物理・気体の状態方程式の応用 | 安定成層の話 |
| 大学 | 燃焼工学・建築防災 | 火災プルームと二層ゾーンモデル |
| 研究 | 避難安全工学 | 層の崩れ方と人の行動 |
| ― | 生活とのつながり | 避難訓練で低い姿勢を取る理由 |
- 日本建築学会編『建築火災安全工学入門』(煙層と清浄層の考え方、二層ゾーンモデルの解説)
- 総務省消防庁『消防白書』(住宅火災の死因に関する統計)
- フラッシュオーバー(ウィキペディア日本語版)
- 日本火災学会編『火災便覧』(火災プルームの巻き込み量、煙の温度に関する記述)
※本記事は一般向けの科学解説です。掲載した数値は、しくみを理解するための目安・概算です。実際の火災では、部屋の広さ・燃えているもの・戸の開閉によって状況が大きく変わります。避難の判断は、消防や自治体の指示、および建物ごとの避難計画に従ってください。