服に火がついたら、なぜ走らずに「止まって・倒れて・転がる」の?
― 炎の熱は、立った体にそって顔へ駆けのぼります
袖に火が移ったら、だれでも走って逃げたくなります。けれども、それがいちばん危ない動き方です。炎の熱いガスは、まっすぐ上へのぼります。立っている人の体は、その通り道にぴったり重なっています。横になるだけで、熱は体から離れて空へ抜けていきます。
寒い夜、ガスコンロで鍋を温めています。奥の調味料を取ろうと、ふわふわのフリースを着た腕を、火の上へ伸ばしました。
ふと見ると、袖口がオレンジ色に光っています。炎は、思ったよりずっと速く腕を這いあがってきます。
頭に浮かぶのは「水のあるところまで走ろう」です。ところが消防は、まったく逆のことを教えています。その場で止まり、倒れて、転がりなさい、と。
走ってはいけない理由は2つだけ
炎のまわりの空気は熱くて軽く、まっすぐ上へ流れます。立っていると、袖やすその炎の熱が、胸から顔へそのままのぼってきます。
火は空気の中の酸素で燃えています。走ると、うちわであおぐのと同じで、新しい空気がどんどん炎に届きます。
「止まって・倒れて・転がる」は、この2つをまとめて断つ動き方です。倒れると、熱の通り道から顔が外れます。転がると、燃えている面が床に押しつけられ、空気が届かなくなります。
立っている体は「煙突」になっている
炎の正体は、光っている熱いガスです。熱いガスはまわりの空気より軽いので、浮かびあがります。お風呂でお湯の上のほうが熱くなるのと同じしくみです。
立っている人の体は、縦に長い筒のような形です。すそや袖で燃えた熱いガスは、体の表面にそってのぼります。のぼる途中で、上にある布を次々に温めます。温まった布は燃えやすくなり、そこに火が移ります。こうして炎は、下から上へ加速しながら広がります。
布を縦につるして下の端に火をつけると、炎は上へ一気に走ります。上の端に火をつけた場合は、下へはゆっくりとしか進みません。熱の行き先が上だからです。
図1を見てください。つまみで体の角度を変えると、熱いガスに包まれる体の長さが変わります。立っているときは、炎から上の体がまるごと熱の中です。寝転がると、熱いガスは体から離れて空へ抜けていきます。
走ると、炎に空気を配達してしまう
もう1つの理由は空気です。炎が燃え続けるには、まわりから酸素が届き続ける必要があります。じっとしていても、のぼる熱いガスに引かれて、下から新しい空気が入ってきます。
走ると、これに向かい風が加わります。たき火をうちわであおぐと勢いが増すのと同じです。しかも走っている本人には、背中や腕の炎の様子が見えません。水のある場所に着くころには、炎はずっと大きくなっています。
転がるのは、この空気を断つためです。燃えている面を床に押しつけると、その面には酸素が届きません。転がって向きを変えるたびに、別の面も押しつけられます。左右に数回ずつ転がり、火が消えるまで続けます。
綿やレーヨンを起毛させた服や、毛足の長い服は、表面の細い毛に火が触れると、炎が表面を一瞬で走ることがあります。「表面フラッシュ」と呼ばれる現象で、消防が注意を呼びかけています。細い毛は軽くてすぐ熱くなり、まわりに空気もたっぷりあるからです。調理のときは袖口のしまった服を選び、火の向こうへ腕を伸ばさない置き方にしておくと安心です。
じゃあ、どうすればいいの?
- 止まる走らない。あわてて走ると、炎に空気を送りこみ、熱が顔へのぼります。
- 倒れるその場で床に横になり、両手で顔をおおいます。顔を熱の通り道から外し、炎を吸いこまないためです。
- 転がる燃えている所を床に押しつけるように、左右に転がります。火が消えるまで続けます。
近くの人は、まずコンロやストーブの火を止めて熱源を断ちます。次に、燃えている人に「止まって、寝て、転がって」と大きな声で伝えます。水がすぐ手に届けば、かけて消します。バスタオルや上着は、顔から足の方向へ押しつけて火を包みます。消えたあとも、やけどは水道の流水で冷やし続け、すぐに119番に通報してください。火が家具や壁に移ったら、無理に消そうとせず、全員で外へ逃げてください。
まとめ
炎の熱いガスは真上へのぼります。立った体はその通り道で、袖やすその炎は1秒足らずで顔の高さに届きえます。走れば、炎に空気を送りこみます。止まって倒れると、熱の通り道から顔が外れます。転がると、燃えている面から空気が断たれます。
逃げたいときこそ、その場で横になる。
炎は上へ走り、床の上では息ができません。
炎がなぜ上を向くのかは「ろうそくの炎は、なぜ上に向かって伸びるの?」で、火事の煙から身を低くして逃げる理由は「火事のとき、なぜ姿勢を低くして逃げるの?」で、くわしく解説しています。
- やかんでお湯をわかし、口から出る湯気を横から見ます。湯気は、斜めに出ても途中から真上へ曲がっていきます。熱い空気が上へのぼる様子が目で見えます。
- 湯気の真上、30cmほど離れた所に手のひらをかざします。同じ距離で、真横に手を置いた場合と熱さを比べます。やけどしないよう、熱いと感じたらすぐ手を引いてください。
- 家族で「止まって・倒れて・転がる」を一度、床の上で練習します。両手で顔をおおったまま、左右に転がれるかを試します。
真上だけが熱いと分かれば、立ったままの体がどれほど熱の通り道に入っているか、実感できます。実際に火を使った実験はしないでください。
もっと知りたい人へ ― 用語・数式・教科書とのつながり中学理科から大学の専門科目まで、どのレベルの話かを明示しています
- 中学中学校の理科で習う範囲
- 高校高校の「物理基礎・化学基礎」で習う範囲
- 高校+高校の発展、または教科書のコラム扱いの内容
- 大学高校では習わない、大学の専門科目(燃焼工学・火災工学)の内容
- 研究大学でも「定説」として教わらない、いま研究者が調べている最中の話
中学用語:この現象には名前があります
- 着衣着火:着ている服に火が燃え移ること。コンロやストーブ、仏壇のろうそくなどで起き、高齢の人の被害が多いとされています。
- 燃焼の3要素:燃えるもの・酸素・熱(温度)。どれか1つを断てば火は消えます。転がるのは酸素を、水をかけるのは熱を断つ方法です。
- 上昇気流(火災プルーム):炎で温められた空気やガスが、軽くなって柱のように立ちのぼる流れ。
中学高校式で確かめる:袖の炎の熱は、何秒で顔に届くか
胸もとの袖で燃えた熱いガスが、50cm上の顔の高さまでのぼる時間を見積もります。熱いガスが受ける浮力から、のぼる速さを出します。
| 記号で書くと | v = √( 2 × g × h × ( T − T0 ) ÷ T ) |
| 言葉で書くと | のぼる速さ = 2 × 重力加速度 × のぼった高さ × 「温度差 ÷ 熱いガスの温度」の平方根 |
| どこから来る式か | 熱いガスが軽い分だけ受ける浮力が、高さ h のあいだに運動エネルギーへ変わる、というエネルギーのつり合い。「温度差 ÷ 温度」は、熱いガスがまわりの空気よりどれだけ軽いかの割合です。 |
| 重力加速度 g | 9.8 m/s² |
| 袖から顔までの高さ h | 0.5 m |
| 炎のすぐ上の熱いガスの温度 T | およそ 1000 K(約730℃)とします |
| まわりの空気の温度 T0 | およそ 300 K(約27℃) |
| 2 × 重力加速度 | 2 × 9.8 = 19.6 |
| 高さをかける | 19.6 × 0.5 = 9.8 |
| 温度差 | 1000 − 300 = 700 |
| 軽さの割合 | 700 ÷ 1000 = 0.7 |
| 平方根の中身 | 9.8 × 0.7 = 6.86 |
| 顔の高さでの速さ | 6.86 の平方根は およそ 2.6 m/s |
| のぼる途中の平均の速さ(はじめは0から加速) | 2.6 ÷ 2 = 1.3 m/s |
| 顔に届くまでの時間 | 0.5 ÷ 1.3 ≒ 0.38 秒 |
実際の熱いガスは、まわりの空気を巻きこんで少し冷め、遅くなります。それでも時間はおよそ1秒以内です。「熱いと気づいてから走り出す」より先に、熱は顔の高さに届きます。
| 秒速2.6m を時速に | 2.6 × 3.6 ≒ 9.4 km/h |
早歩きより速い上向きの風が、体にそって吹きあがっている計算です。寝転がれば、この風は体ではなく、空へ向かって吹きます。
| 記号 | 意味と単位 |
| v | 熱いガスののぼる速さ(m/s) |
| g | 重力加速度(m/s²) |
| h | のぼった高さ(m) |
| T | 熱いガスの温度(K、絶対温度) |
| T0 | まわりの空気の温度(K) |
高校高校+上向きに燃え広がるのは、なぜ速いのか
高校気体は温度が上がると膨らみ、同じ体積あたりの重さ(密度)が小さくなります。ボイル・シャルルの法則から、圧力が同じなら密度は絶対温度に反比例します。1000Kのガスの密度は、300Kの空気の約3割です。この軽さが浮力となり、熱いガスを押し上げます。
高校+縦の布で炎が上へ進むと、炎の上にある未燃の布が、熱いガスと炎の放射で前もって温められます。温まった布ほど早く燃えだすので、炎は進むほど長くなり、さらに先を温めます。これを「上方への火炎伝ぱ」と呼び、加速する性質があります。下向きの火炎伝ぱでは、熱が進む先と反対側へ逃げるため、ゆっくりで一定の速さになります。
大学拡散燃焼と火災プルーム
服の炎は、燃料(布が熱で分解してできたガス)と空気がまざりながら燃える拡散燃焼です。燃える速さは、空気の酸素が炎へ届く速さで決まります。走ると向かい風で酸素の供給が増え、燃え方が強まります。炎の上の流れは火災プルームと呼ばれ、浮力で立ちのぼりながら周囲の空気を巻きこみます。その速さや温度の変わり方は、浮力プルームの理論や、火災科学のマッカフリーの相関式で表されます。
📖 式の導出や、さらに先の内容:拡散燃焼(ウィキペディア) / 浮力(ウィキペディア)
研究まだはっきりとはわかっていないこと
- 服の素材や形ごとの燃え広がり方。 起毛の長さ、重ね着、ゆるい袖の形で、炎の進む速さは大きく変わります。人が着た状態での予測は、まだ難しいとされています。
- 「止まって・倒れて・転がる」の効果の大きさ。 有効とされる教え方ですが、何回転がればよいか、高齢の人や体の不自由な人にはどう伝えるかなど、実証の研究は多くありません。
- 表面フラッシュの起きる条件。 毛の細さや密度、湿り気によって、表面だけを炎が走る現象が起きるかどうかが変わり、その境目は研究が続いています。
つまりこの記事の内容も、「いまわかっている範囲での説明」です。ただ、炎の熱が上へのぼること自体は、まちがいのない基本です。
教科書とのつながり(レベル別)
| レベル | 科目・単元 | この記事のどこ |
|---|---|---|
| 中学 | 理科(燃焼と酸素、空気の膨張) | 燃焼の3要素、走ると空気を送りこむ理由 |
| 高校 | 物理基礎(浮力・エネルギー)、化学基礎(気体の法則) | 熱いガスののぼる速さの式 |
| 高校+ | 熱の伝わり方の発展 | 上向きと下向きの燃え広がりの差 |
| 大学 | 燃焼工学・火災工学 | 拡散燃焼、火災プルーム |
| 研究 | 火災安全工学・繊維の燃焼性 | 服の素材ごとの燃え広がり、教え方の効果 |
| ― | 生活とのつながり | 調理の服装、ストーブの近くでの注意、家族での練習 |
- 東京消防庁 広報資料「着衣着火に注意」(止まって・倒れて・転がる、表面フラッシュ現象の注意喚起)。
- 消防庁『消防白書』(住宅火災の出火原因と死者の状況)。
- D. Drysdale, An Introduction to Fire Dynamics, 3rd ed., Wiley, 2011(上方・下方の火炎伝ぱ、火災プルーム)。
- 日本火災学会 編『火災便覧』第4版、共立出版、2018。
- 米国防火協会(NFPA)の防火教育資料「Stop, Drop and Roll」。
※本記事は一般向けの科学解説です。掲載した数値は、しくみを理解するための目安・概算です。実際の火災では、消防・自治体等の指示に従ってください。やけどをしたら、自己判断せず医療機関を受診してください。