木こりは、なぜ狙った方向に木を倒せるの?
― 切り残した「つる」が、ちょうつがいになります
高さ20メートル、重さ数トンの木を、林業の人は決めた方向へ倒します。秘密は、切ることよりも「切らずに残す」ことにあります。根元にわざと残した指の幅ほどの帯が、ドアのちょうつがいのように木の回る向きを決めているのです。
山の斜面で、ヘルメットをかぶった人がチェーンソーを構えています。まず木の根元の片側に、ななめと水平の2回の切りこみを入れ、くさび形の木片を抜き取りました。
次に反対側へ回り、少し高い位置から水平に切りこんでいきます。ところが、刃が前の切りこみに届く手前で、ぴたりと止めてしまいました。
やがて木はゆっくりと傾き、最初にくさびを抜いた側へ、ほぼまっすぐ倒れていきました。最後まで切ってしまえば早いのに、なぜ止めたのでしょうか。
狙いどおりに倒せる理由は、2つだけ
倒したい側の根元をくさび形に抜くと、木はそちら側にだけ傾ける空間ができます。反対側にはまだ木の体が残っているので、後ろへは倒れられません。
最後に残した細い帯が、幹と切り株をつなぎとめます。木はこの帯を軸にして回るしかなく、軸に直角な一方向へ倒れていきます。
林業では、くさび形の切りこみを「受け口」、反対側からの切りこみを「追い口」、切り残す帯を「つる」と呼びます。順に見ていきましょう。
くさび形の切りこみは、木に「倒れる道」をあける
図1は、根元を横から見たところです。右側のくさび形が受け口で、深さは幹の直径の4分の1ほどが目安とされています。左側から入れる追い口は、受け口の底より少し高い位置に入れます。
受け口をあけると、木の重さを支える場所は左側の残りの部分だけになります。追い口で左側を切り離していくと、支えはどんどん右へ寄り、最後はつるだけになります。木は支えを失った側、つまり右へ傾くしかありません。
追い口を受け口の底より高くするのにも意味があります。切り口に小さな段ができ、倒れはじめた幹の根元が、切った人のいる後ろ側へすべってくるのを止める役をすると説明されています。
切り残した帯は、ドアのちょうつがいと同じ
ドアは、ちょうつがいのある辺を軸にしか回れません。上下にも、斜めにも動けません。つるも同じで、木が回れる軸を1本の線に決めてしまいます。木はこの線に直角な向き、つまり受け口の正面へ倒れます。
つるが役に立つのは、木の繊維が縦方向に引っぱられることにとても強いからです。木が傾くと、つるの後ろ側の繊維は引きのばされ、前側は押しつぶされます。それでも繊維はすぐにはちぎれず、曲がりながら幹を切り株につなぎとめます。
もし追い口でつるまで切ってしまうと、軸がなくなります。幹は切り株の上で浮いた状態になり、少しの傾きや風で、どちらへ倒れるか分からなくなります。だから林業の人は、刃をつるの手前で必ず止めるのです。
倒れ方を体感するために、図2のつまみを動かしてみてください。木がつるを軸に回るとき、てっぺんは円をえがいて地面へ向かいます。そのてっぺんは、同じ高さから落とした石よりも速く地面に届きます。木の重さの中心は幹の真ん中あたりにあり、その落ちる勢いが、軸から遠いてっぺんほど大きく振り回されるからです。
つるの左右で厚さを変えると、木は厚く残した側へ引き寄せられるように倒れるとされます。厚い側の繊維ほどちぎれにくく、そちらの軸足が長く残るためです。熟練した人は、枝の張り方による重さの偏りを、これで打ち消すといいます。
倒れた木の根元は、ときに切り株からはね上がって後ろへ跳ぶことがあります。そのため、退く場所は倒す方向の斜め後ろに決めておくのが基本とされています。また、まわりの人は木の高さの2倍以上はなれる決まりになっています。図2のとおり、木のてっぺんは想像よりずっと速く地面を打つからです。
まとめ
木を狙った方向へ倒せるのは、受け口で倒れる側の道をあけ、つるを切り残して回る軸を1本に決めるからです。ちぎれにくい木の繊維が、最後まで幹を切り株につなぎとめ、向きを導きます。切りすぎないことが、いちばん大事な技術なのです。
木を倒すのは、切った部分ではありません。
切り残した指の幅ほどの帯が、行き先を決めています。
木を切り出す季節のわけは「木を切り出すのは、なぜ秋から冬なの?」、木材が決まった向きに反るしくみは「木の板は、なぜいつも決まった向きに反るの?」で紹介しています。
- トイレットペーパーの芯を1本用意し、下の端から2センチほどの高さに、片側からはさみでV字の切れこみを入れて小さなくさびを抜きます(受け口)。
- 反対側から、V字の底より少しだけ高い位置に水平に切りこみ、V字の手前で止めて細い帯を残します(追い口とつる)。下の端を机にテープでとめます。
- 芯の上の端を、いろいろな向きから指先でそっと押してみます。帯まで切ってしまった芯とも比べてみましょう。
帯を残した芯は、どの向きから押しても帯を軸に折れ、V字の側へ倒れやすいはずです。帯を切った芯は、押した向きへばらばらに倒れます。※はさみを使うときは手元に気をつけてください。本物の木を切るのは、講習を受けた人の仕事です。
もっと知りたい人へ ― 用語・数式・教科書とのつながり中学理科から大学の専門科目まで、どのレベルの話かを明示しています
- 中学中学校の理科で習う範囲
- 高校高校の「物理」で習う範囲
- 高校+高校の発展、または教科書のコラム扱いの内容
- 大学高校では習わない、大学の専門科目(力学・材料力学・森林工学)の内容
- 研究大学でも「定説」として教わらない、いま研究者が調べている最中の話
中学用語:この現象には名前があります
- 伐倒(ばっとう):立っている木を切り倒す作業のこと。倒す方向を決めて切るやり方を「方向伐倒」と呼びます。
- 受け口・追い口:倒す側に入れるくさび形の切りこみが受け口、反対側から入れる切りこみが追い口です。
- つる:受け口と追い口のあいだに切り残す帯。木が回るときの軸になります。
- 力のモーメント:物を回そうとするはたらきの大きさ。力の大きさと、軸からのきょりのかけ算で表します。
中学高校式で確かめる:倒れる木のてっぺんは、どれくらい速いか
木を、根元のつるを軸に回る1本の太さが同じ棒とみなします。まっすぐ立った状態から静かに倒れはじめ、地面に横たわる直前のてっぺんの速さを求めます。
| 記号で書くと | v = √( 3 × g × L ) |
| 言葉で書くと | てっぺんの速さ = 3 × 重力加速度 × 木の高さ、の平方根 |
| どこから来る式か | 力学的エネルギーの保存。重さの中心が L/2 だけ下がって失った位置エネルギー m × g × L/2 が、軸まわりの回転のエネルギー(1/2)× I × ω² に変わる。太さが同じ棒の慣性モーメントは I = m × L² / 3 で、てっぺんの速さは v = L × ω。石を落とすときの √( 2 × g × L ) と比べ、2 が 3 に変わる |
| 記号 | 意味と単位 |
|---|---|
| v | 地面に着く直前の、木のてっぺんの速さ(m/s) |
| g | 重力加速度(m/s²) |
| L | 木の高さ(m)。軸からてっぺんまでのきょり |
| I | 軸まわりの慣性モーメント(kg・m²)。回しにくさを表す量 |
| ω | 木が回る角速度(1秒あたりに回る角度、rad/s) |
| 重力加速度 | 9.8 m/s² |
| 木の高さ(スギやヒノキの成木の例) | 20 m |
| 588 の平方根 | およそ 24.2 |
| 392 の平方根 | およそ 19.8 |
| 3 × 重力加速度 | 3 × 9.8 = 29.4 |
| それに木の高さをかける | 29.4 × 20 = 588 |
| 平方根をとると、てっぺんの速さ(秒速) | およそ 24.2 m/s |
| 時速に直す | 24.2 × 3.6 ≒ 87 km/h |
| 比べる:石を20 mから落とすとき(2 × 9.8 × 20) | 19.6 × 20 = 392 |
| その平方根が石の速さ(秒速) | およそ 19.8 m/s |
| てっぺんは石の何倍速いか | 24.2 ÷ 19.8 ≒ 1.22 |
高さ20メートルの木のてっぺんは、時速およそ87キロメートルで地面を打ちます。高速道路を走る車に近い速さです。同じ高さから落とした石より約2割速く、木が高いほどこの速さは増します。まわりの人が木の高さの2倍以上はなれるのは、このためでもあります。
高校高校+なぜ、てっぺんは石より速くなるのか
高校石が落ちるとき、失った位置エネルギーはすべて石自身の速さになります。木では、重さの中心は高さの半分までしか下がらず、失うエネルギーは石の半分です。ところが、そのエネルギーは軸に近い根元ではなく、軸から遠い上の部分の速さに多く配られます。根元はほとんど動かず、てっぺんほど大きく振り回されるので、てっぺんの速さは石を上回ります。
高校+傾きが進むと、てっぺんの加速度は重力加速度より大きくなる場面があります。倒れる煙突が途中で折れるのも同じしくみと考えられており、「倒れる棒の問題」として知られています。つるが軸を1か所に固定していることが、この計算の前提です。つるがちぎれて根元がすべると、木は軸を失い、回り方も倒れる向きも変わってしまいます。
大学剛体の回転と、木材の曲げ破壊
倒れる木は、大学の力学でいう固定軸まわりの剛体の回転として扱えます。運動方程式は「慣性モーメント × 角加速度 = 重力による力のモーメント」で、太さが同じ棒なら慣性モーメントは m × L² / 3 です。一方、つるの中で起きているのは材料力学の曲げです。繊維方向の引っぱりに強く、押しつぶしにやや弱いという木材の異方性が、つるを「ちぎれにくい軸」にしています。森林工学では、つるの幅や厚さ、樹種や含水率とつるの保持力との関係が調べられています。
📖 式の導出や、さらに先の内容:慣性モーメント(ウィキペディア) / 力学的エネルギー保存則(ウィキペディア)
研究まだはっきりとはわかっていないこと
- つるが「いつ」ちぎれるか。 つるの保持力は、樹種・含水率・凍結の有無・節の位置で大きく変わるとされ、現場の目安の多くは経験から決まっています。力学的に予測するモデルは研究途上です。
- 中が腐った木の倒れ方。 外から見えない腐れや空洞があると、つるが思ったように働かないことがあります。音や電気で中を調べる方法が研究されていますが、伐倒の判断にどう使うかは確立していません。
- 枝の張り方と風の影響。 枝が片側に偏った木や、風が吹く中での倒れ方は、つるの細工でどこまで修正できるかが定量的には分かっていない部分があります。
つまりこの記事の内容も、「いまわかっている範囲での説明」です。林業の作業指針の数値も、多くの経験と事故の教訓から積み上げられたものです。
教科書とのつながり(レベル別)
| レベル | 科目・単元 | この記事のどこ |
|---|---|---|
| 中学 | 理科「力のはたらき」「エネルギー」 | 位置エネルギーが運動のエネルギーに変わる |
| 高校 | 物理「剛体のつり合い」「力のモーメント」 | つるを軸に回る木、重さの中心 |
| 高校+ | 物理(発展)「剛体の回転運動」 | てっぺんが石より速くなる理由 |
| 大学 | 力学・材料力学・森林工学 | 慣性モーメント、木材の異方性と曲げ |
| 研究 | 森林工学・樹木診断 | つるの保持力の予測、腐朽木の評価 |
| ― | 生活とのつながり | 庭木や倒木の処理は専門の人に任せる理由 |
- 厚生労働省「チェーンソーによる伐木等作業の安全に関するガイドライン」(2020年改正)
- 林業・木材製造業労働災害防止協会『チェーンソーによる伐木等の業務従事者安全衛生教育テキスト』
- 全国林業改良普及協会『林業現場人 道具と技』シリーズ
- 伐採(ウィキペディア)
- 高校物理の教科書「剛体」の章(各社)
※本記事は一般向けの科学解説です。掲載した数値は、しくみを理解するための目安・概算です。立木の伐倒は危険を伴う作業で、法令により特別教育が必要です。実際の作業は講習を受けたうえで、作業指針や現場の責任者・自治体等の指示に従ってください。