湖や港の水位が、風もないのにゆっくり上がったり下がったりするのはなぜ?
― 19世紀のスイスの医師が、湖まるごとの「シーソー」を測りました
湖や湾の水は、全体がひとつの大きなシーソーのように、ゆっくり傾きを入れかえることがあります。この揺れには決まった「リズム」があり、それは湖の長さと深さだけで決まります。そのことを確かめたのは、湖のほとりに住んでいたひとりの医師でした。
風のない静かな日、湖の桟橋に立っています。足もとの杭を見ると、さっきまで乾いていた所が、いつのまにか水につかっています。
しばらくすると、水はまた引いていきます。波が打ち寄せたわけではありません。水面はずっと鏡のように平らなままです。
湖には海のような潮の満ち引きは、ほとんどありません。では、この上がり下がりはどこから来るのでしょうか。
理由は2つだけ
片方の岸で水が上がると、反対側の岸では下がります。まん中はほとんど動きません。水面全体がゆっくり傾きを入れかえているのです。
水の揺れは、岸から岸へ行って帰る時間ごとにくり返します。この時間は湖の長さと深さだけで決まり、大きな湖では1時間をこえます。
この現象は「セイシュ」と呼ばれます。名前のもとは、スイスのジュネーブ周辺で昔から使われてきた言葉だとされています。地元の人々は、レマン湖の水位がときどき不思議に上下することを、ずっと前から知っていました。
湖のほとりの医師が、水位を測り続けた
この揺れの正体を突き止めたのは、フランソワ=アルフォンス・フォレルというスイスの人です。本業は医学で、大学で解剖学や生理学を教えていました。
フォレルはレマン湖のほとりの町モルジュで育ち、湖を一生の研究対象にしました。1870年代から、水位を紙に自動で書き続ける装置を岸に置き、記録をとったとされています。
記録の線には、くり返し同じ形の波が現れました。レマン湖の長い方向の揺れは、1往復がおよそ73分だったとされています。天気の日によって大きさは変わっても、この周期はほとんど変わりませんでした。
周期が変わらない、というのが大きな手がかりでした。ブランコは、強く押しても弱く押しても、1往復の時間は同じです。決まった周期があるのは、その物が「自分の揺れやすいリズム」で揺れている証拠です。
図1を見てください。湖を横から切ったところです。水面は、まん中を支点にして左右が交互に上下します。つまみで湖の深さを変えると、1往復の時間がどう変わるかが分かります。
深いほど速く、長いほどゆっくり
シーソーのリズムは、水の揺れが岸から岸まで行って帰るのにかかる時間です。湖の長さにくらべて深さがずっと浅いとき、この揺れが進む速さは、深さだけで決まります。深い湖ほど速く、浅い湖ほど遅く進みます。
この関係を式にしたのが、スイスのバーゼルの学者メリアンで、1828年のことだとされています。フォレルはこの式とレマン湖の実測をくらべ、揺れの正体が湖全体の水の往復運動だと確かめました。
実際に計算すると、レマン湖では約62分になります。実測の約73分とはずれますが、これは湖が単純な箱の形ではないからです。浅い所や幅のせまい所では揺れが遅れるため、本物の湖では少し長くなります。
では、なぜ風もない日に揺れ始めるのでしょうか。きっかけは、湖の上を通りすぎる気圧の変化や、遠くで吹いた風です。湖の片側の水がわずかに押し下げられると、そのあとは押す力が消えても、水はしばらく自分のリズムで揺れ続けます。
港や湾でも同じ揺れが起きます。日本では潮の満ち引きを「主」と見て、それに重なる短い周期の揺れを「副振動」と呼びます。1900年代のはじめには、本多光太郎や寺田寅彦らが全国の港の記録を集め、湾ごとに決まった周期があることを示したとされています。
湾の口が開いていると、揺れ方が変わる
湖は両端が岸で閉じています。ところが湾は、片側が外の海につながっています。湾の口では水位があまり変わらず、そこが節になります。いちばん大きく上下するのは、湾のいちばん奥です(図2)。
こうした湾では、同じ長さの湖にくらべて、1往復の時間がおよそ2倍になります。湾の口から奥までの距離が、湖でいえば「まん中から岸まで」に当たるからです。
ここで、ブランコの話がもう一度効いてきます。ブランコは、リズムに合わせて押すと、小さな力でも大きく揺れます。外の海から届く揺れの周期が、湾の決まった周期とたまたま合うと、湾の奥の水位は大きく上下します。
長崎湾では、この揺れが昔から「あびき」と呼ばれてきました。1979年3月31日には、長崎港で水位が約2.8メートルも上下したとされています。きっかけは、東シナ海を進んだ小さな気圧の変化でした。海の上で少しずつ育ち、湾のリズムと重なって大きくなったと考えられています。
あびきの季節には、港に係留した船が流されたり、低い岸から水があふれたりすることがあります。気象台は「副振動」に関する情報を出しています。港の近くでは、その情報にも目を向けておくと安心です。
まとめ
湖や港の水位が、風もない日にゆっくり上下するのは、水全体がシーソーのように揺れているからです。その周期は、湖や湾の長さと深さでほぼ決まります。フォレルは記録紙に現れる「変わらない周期」から、それを見抜きました。
水たまりにも、湖にも、湾にも、
その形だけで決まった「揺れのリズム」があります。
小さな器の中で同じことが起きる話は「コーヒーを持って歩くと、なぜこぼれるの?」で、遠くから届く長い波の話は「風もないのに、なぜ急に高い波が来るの?」で読めます。湖ではなく運河で波を追いかけた人の話はこちらです。
- 長方形のバットか浅い容器に、水を深さ2cmほど入れます。容器の長さを測っておきます。
- 容器の片方の端を、ほんの少しだけ持ち上げてすぐ戻します。水面がシーソーのように行き来するのを見ます。
- 10往復にかかる時間をストップウォッチで測り、10で割ります。次に水を深さ4cmにして、もう一度測ってみます。
長さ30cm・深さ2cmなら、1往復は1秒あまりになるはずです。深くすると、1往復は短くなります。湖と同じ式が、台所の容器でもそのまま成り立ちます。
もっと知りたい人へ ― 用語・数式・教科書とのつながり中学理科から大学の専門科目まで、どのレベルの話かを明示しています
- 中学中学校の理科で習う範囲
- 高校高校の「物理」で習う範囲
- 高校+高校の発展、または教科書のコラム扱いの内容
- 大学高校では習わない、大学の専門科目(流体力学・海洋物理学)の内容
- 研究大学でも「定説」として教わらない、いま研究者が調べている最中の話
中学用語:この現象には名前があります
- セイシュ(静振):湖や湾などの閉じた水域で、水全体が決まった周期で揺れる現象。
- 副振動:港や湾で、潮の満ち引きに重なって起きる数分〜数十分の周期の水位変化。長崎の「あびき」はその代表例です。
- 固有周期:ブランコや湖など、それぞれの物が持つ「揺れやすい1往復の時間」。
中学高校式で確かめる:レマン湖の1往復の時間
湖を、長さと深さが一定の細長い箱とみなします。揺れが岸から岸まで行って帰る時間が、そのまま1往復の時間になります。
| 記号で書くと | T = 2L ÷ √( g × h ) (湾のように片側が開いていると T = 4L ÷ √( g × h )) |
| 言葉で書くと | 1往復の時間 = 往復の道のり(湖の長さの2倍) ÷ 水の揺れが進む速さ。速さは「重力加速度 × 深さ」の平方根 |
| どこから来る式か | 浅い水の波では、水を元に戻そうとする重力と、動く水の勢い(慣性)のつり合いから、速さが √( g × h ) と決まる。それを往復の道のりに当てはめたのが「メリアンの式」 |
| T | 1往復の時間(周期)。単位は秒 |
| L | 湖の長さ。単位はメートル |
| h | 平均の深さ。単位はメートル |
| g | 重力加速度。約 9.8 m/s² |
| レマン湖の長さ(長い方向) | 約 72 km = 72000 m |
| 平均の深さ | 約 154 m とされています |
| 重力加速度 | 9.8 m/s² |
| 実測の周期(フォレルら) | 約 73 分とされています |
| 重力加速度 × 深さ | 9.8 × 154 ≒ 1509 |
| 揺れが進む速さ | 1509 の平方根は およそ 38.8(秒速 38.8 m) |
| 往復の道のり | 2 × 72000 = 144000 |
| 1往復の時間(秒) | 144000 ÷ 38.8 ≒ 3711 |
| 分に直す | 3711 ÷ 60 ≒ 61.9 |
単純な箱とみなすと約62分で、実測の約73分と同じ「1時間ほど」のけたになります。揺れの速さは時速140kmほどで、新幹線の半分くらいです。それでも湖が長いため、1往復に1時間かかります。
| 重力加速度 × 深さ(深さ 0.02 m) | 9.8 × 0.02 ≒ 0.196 |
| 揺れが進む速さ | 0.196 の平方根は およそ 0.44(秒速 0.44 m) |
| 往復の道のり(長さ 0.3 m) | 2 × 0.3 = 0.6 |
| 1往復の時間(秒) | 0.6 ÷ 0.44 ≒ 1.36 |
高校高校+定常波としてのセイシュ
高校セイシュは、岸で跳ね返った波どうしが重なってできる定常波です。両端が閉じた湖では両端が腹になり、いちばん単純な揺れでは湖の長さが半波長に当たります。弦や気柱の固有振動と同じ考え方です。
高校+片側が開いた湾は、片側が閉じた気柱と同じで、長さが4分の1波長に当たります。だから周期の式は 4L になります。節が2つ、3つある揺れ方もあり、周期はそれぞれ短くなります。
大学浅水波の理論と、あびきを育てるしくみ
波長が水深よりずっと長い波は「浅水波(長波)」と呼ばれ、速さは水深だけで決まります。実際の湖のように形が複雑な場合は、深さと幅の変化を入れた方程式を数値で解いて固有周期を求めます。スコットランドのクリスタルは、20世紀のはじめに断面の変化を入れた理論を立てたとされています。あびきのように、海上を進む気圧の変化の速さが長波の速さとそろうと、波が少しずつ育ちます。これは「プラウドマン共鳴」と呼ばれています。
📖 式の導出や、さらに先の内容:副振動(セイシュ)― ウィキペディア / 定常波 ― ウィキペディア
研究まだはっきりとはわかっていないこと
- 大きなあびきを、いつ・どこで予測できるか。 気圧の小さな変化は観測網のすき間をすり抜けやすく、数時間前に確実に知らせるのはまだ難しいとされています。
- 湖の生き物への影響。 深い湖では、水の表面だけでなく、温度の違う層の境目も大きく揺れます。これが栄養や酸素の運ばれ方にどう効くかは、湖ごとに調べられている最中です。
- 気候の変化で、揺れ方は変わるのか。 気圧の変化や水温の層の様子が変わると、セイシュの起きやすさも変わる可能性があります。
つまりこの記事の内容も、「いまわかっている範囲での説明」です。周期を決める式は確かでも、いつ大きく揺れるかは、いまも研究が続いています。
教科書とのつながり(レベル別)
| レベル | 科目・単元 | この記事のどこ |
|---|---|---|
| 中学 | 理科「音・振動」(振動の周期) | ブランコの1往復と、湖のリズム |
| 高校 | 物理「波」(定常波・固有振動) | 図1の節と腹 |
| 高校+ | 物理「気柱の共鳴」の応用 | 図2の片側が開いた湾 |
| 大学 | 流体力学・海洋物理学(浅水波、共鳴) | メリアンの式、プラウドマン共鳴 |
| 研究 | 陸水学・沿岸防災 | あびきの予測、湖の内部の揺れ |
| ― | 生活とのつながり | 港での係留、湖岸の水位の変化 |
- F.-A. Forel, Le Léman: monographie limnologique(1892〜1904)
- ウィキペディア「副振動」
- 宇野木早苗『海洋の波と流れの科学』東海大学出版会
- Rabinovich, A. B., Seiches and Harbor Oscillations, Handbook of Coastal and Ocean Engineering (2009)
※本記事は一般向けの科学解説です。掲載した数値は、しくみを理解するための目安・概算です。港や海岸の近くでは、気象台や自治体の情報・指示に従ってください。